色即是空

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なぜボクシングが、映画の舞台に選ばれるのであろうか。
ロッキー、チャンプ、レイジングブル、ザ・ファイターと、枚挙に暇がない。
それは恐らく、アメリカにおけるキング・オブ・スポーツが今でも、ボクシングだからなのであろう。
長者番付でも、フロイドメイウェザーJr.とマニーパッキャオが、1.2を争った。
では、各映画のプロットは似通うか、というと、それらの作品がどの要素にライトを当てるかで、まったくといって良い程到達点が異なる。
また、この映画におけるプロットとしてのリング禍についても、手垢にまみれた表現である事は否めない。
だがその、装置としての古さをも、もって有り余る程の展開力と設定が、作品の価値をも飛躍的に向上させ、古さを払拭し新しさに昇華させているのが、本作品の特徴であろう。
この映画には結果として、生が人にもたらす多くの重要な要素が盛り込んである。
日常、 逡巡、 DV、出合い、達成感、悪意、アクシデント、尊厳死、そして生きる意味と死ぬ理由、生き甲斐、選択、訣別すべき人達、真に繋がるべきソウルメイト。
そして何より、命とその価値、
更にはそれらが、目指す処。
そして何より、それらの要素が一点に集約されていくところが圧巻だ。
消去法によって研磨され、大切なものが、まるで削り現れたダイヤモンドの輝きの様に、力強く形作られる。
そしてそれは、ヒラリースワンクの最後のセリフに凝縮される。
どんなセリフか、
それは貴方にその身をもって映画体験し、味わっていただきたい。

それにしてもなぜ、これほどまでに、生きる目的と意味を問う作品に昇華しえたのか。
それは、自らの舌を噛みきるまでして、守らなければならないものの中に、その理由が隠されていたのであろう。
それは、何か?
自身が自身である事、
そしてその尊厳だ。
この作品の価値は、クライマックスで、一つのテーゼに集約される。
それは、
今正に死を迎えたその時、
『良い人生だった』
と追懐できる生様の為にほか、ならない。
与えられた最大のオモチャ、つまりは、自分という器を、完全燃焼させたご褒美こそが、そこに在った。
ボクシングを通して、アメリカンスピリットが、ひしひしと伝わってくる作品だ。

自分の価値が揺らいだ時、
自分が信じられにくなった時、
自分が矮小な存在に思えた時、
ぜひ、この作品を観て欲しい。
作品を観終えた時、貴方の眼前に見えた道こそが、貴方を完全燃焼に誘う、貴方が進むべき道にほかならないのだから。

2004年公開された本作品は第77回アカデミー賞において、作品賞と、監督賞にはクリントイーストウッドが、主演女優賞にはヒラリースワンクが、助演男優賞にはモーガンフリーマンがそれぞれ栄誉に輝いた。

試練を糧と

よわい八十過ぎの徳積み。
彼は自身の辞書にない事柄を今になって、強烈に、求められている。苦手なそれらを。
しかも、悠々自適になってから、立て続けにふってくる、彼にとっての災難。
これも因果応報か。
思えばそれは、それぞれに異なるだろう。
ある人にとっては、我慢かもしれないし、忍耐かもしれない。
あるいは、開放であったり、奉仕かもしれない。
蹂躙であったり、凌辱であったり、無慈悲なんていう場合もあるから、人生は正に修行の連続だ。
意味化する性を宿命付けられたヒトには、だから、色即是空はある面、無情そのものに写る。
周りの者達にとって、彼の災難は、周りの者達の災難でもある。
その関わりの深さにもよるが。

では、如何に関わるか。
それが即ち、未来への道程造りそのものだろう。
だから、かつて、
“人の振り見て我が振り直せ”
という警鐘が出来た。
今はすっかり、
“人の振り見て我が振り真似ろ”
の風潮だが。

さて、
意味は、在って、無いものだとすれば、創ってみて感じるしかない。
だとすれば、
“今”
の出来事から彼は、私は、何を感じ、そこから何を学ぶべきなのだろう。
まだ、判らない。
ただ一つ、その試練の、目的だけは、判る。
それは乗り越える関わりを通して、彼の、私の人生に奥行きを与える為であろう。
痛みを知り、悩み、愁い、眠れぬ夜を経る。
その果てに産まれ育まれる、赤子のような思いやり、慈しみ。
それらの積み重ねの結果、すべからく生を、命を、豊潤なものに足り得るか、実感として我が物と出来るか。

だからこそ、在りたい自分に向かって今日も、関わりたいと思う。
試練を糧とするために。

気質と行動と新年と。 ケータイ投稿記事

たとえば、負けず嫌いな性格は、勝負師に必須な天分とも言うべき気質だと思う。
特にアスリートと呼ばれる者達はもれなく、この気質を多分にその身に宿している。
また、彼等の内何割かは、強烈な自意識の持ち主だ。
選別思考と、それに対する嗜好を、自己肯定感を維持するために、存分に働かせ、強烈な自意識を堅持する為に打算を働かせる。
更にその、気高きプライドと、何より在りたい自分に向かって貪欲に自己昇華を実現する為の行動力を併せ持つと、上位数%の部類だろう。
あとは競技に対する適性を備えていれば、完璧だ。

ところで最近、気質だけのアスリートが増えてきた気がする。
本物のアスリートと何が違うか。
行動力が、圧倒的に足りないのだ。
行動による在りたい自己と現実の自己との擦り合わせのプロセスが決定的に不足してしまっている。
必然的に理想と現実との乖離が生じ、その原因を、あろうことか外に捜す。
なぜなら彼に見える彼の姿は、理想というフィールドにいる理想的な自分で、外から見える現実の彼の姿は、彼にだけは見えないからだ。

気付いた時はもう遅い。
決定的な事が起きて痛い思いをして初めて、ようやく気付く、それも一瞬。

どうすれば良いか、まさか、乳幼児期の刷り込みまで戻り、自分にとっての良き操り人形をつくろうと奮闘する、彼の親と引き離す事も出来ない。
故に、そこにこそ、先生と呼ばれる者の出番がある。
だから困難で、極めて選択肢の少ない作業になるが、先生は、やるべきことをやるしかない。
良質な鏡になること。
同時にその鏡は、希望も映し出す鏡で無ければならない。
在りたい自分に現実の自分を重ねるための、具体的な作業の積み重ねの過程を表す唯一無二の、道標なのだから。
時には生活習慣から変えるトレーニングが必要となるだろう。
そして、ルーティーンが終わる都度、その道程がどうであったか、景色はどう変わったかを内省し、彼と検証する。
その繰り返しを、いや、繰り返し試みるという完結する小さな一連の作業を。動いて変わった景色の意味を。学び、積み重ねていく。
劇的に変わり始める彼。
彼がそれを成果として振り返り実感するにはまだ、相当な試行錯誤とタイムラグが必要だが。

今年は、そんな年にしたい。
自分の中の彼でも良いし、自分以外の先生を目指しても良いだろう。
変わらずメタファーにもお付き合いいただくが。

新年明けましておめでとうございます。

〜コトバ使い〜 渡邊 聡

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自分考

「上昇指向」を持て!
などといきなり言うと、
どういう風の吹き回しだ!
とお叱りを受けるだろう。
 
確かにこれまで、
上昇指向などといった他者との関係性のみに着眼する在り方よりもまず、
他者を鏡とする自己を客体化し、知ることが近道だよ、と説いてきた。
上昇指向に囚われればそれは、他者との関係性のみに囚われているのみならず、
自己と他者の関わりにおいて、他者に介入し、他者を操作する権能を手に出来ると、
錯覚してしまう、その錯覚に対し、警鐘を鳴らしていた訳だ。
言語にそのような機能は生来備わっている。
がしかし、権能と、それがもたらす権限を手にした瞬間、ポンとそれらの力が備ったと錯覚してしまうことは、
甚だしい誤解だから、だ。
どちらを嗜好するかは別にして、
言語の、集団化を促進する催眠効果も、集団を解体する理性化効果も、
それを習得するにはそれ相応の教養と研鑽を積まなければなしえない。
ところが権能を手にしたとたん、それらもセットでわが身に備わると錯覚してしまう。
早合点も甚だしい。
 
だが、ここの所、交流をもった若人を見、或は聞いていると、
この「上昇指向」を強烈に欲している者と、
はなから諦めている者と、
ここでも二極化が進んだなあと感じずにはいられなかった。
 
自分の未来図への、社会の介入。
それが全てだ、と若人が感じずにはいられないのであれば、
それすなわち社会の歪さ、そのものであろう。
 
古代レベルの脳幹部と、
動物レベルの旧皮質と、
人間に昇華した新皮質があるように、
他者とのふれあいも、
それぞれにレベルが用意されている。
それが学習出来ない社会構造。
社会構造の変革がもたらした少子化の弊害は、
歪な学習がもたらした弊害をもセットでもたらした。
 
相当なショートカットだが、若人の指向的二極化も、
この弊害の現れ、と言えよう。
それにはまず、ふれあう機会の提供が不可欠だ。
心的、物的ふれあい。
本来、社会構造がもたらすべきこの学習の機会が、
社会から喪失し、社会がその喪失によって脅かされ、
今度はそれを、貨幣価値と交換する形で提供しなければならない現象は、
人の行く未来を暗示していると感じてしまうのはうがった見方か。
 
自分考即ち他人考だ。
他人考即ち自分考でもある。
 
上昇指向が、
まるで他者を実感できない若人の、
あたかも物に対する操作的な錯覚に陥らぬよう、
見えやすい他者でなく、
見えにくい我を考えていければと、節に願う。
それが、木漏れ日の元で、ゆりかごに抱かれ、すやすやと眠る赤子の居場所が至る所に在ることのできる、
我が願う世界への実現の一歩だからこそ。
そのような社会実現のためにこそ、他者の命の実感の共有と共に上昇指向を、持って欲しい。
 
 
 

それでもこだわること

これまで唯一の信条は、こだわらぬことに、こだわることだった。
 
先日、主催した研修で、招聘した講師の話を聞いていたら、
ふと気づかされたことがあった。
話のキモは、幼少期に形成されるべき自尊感情の大切さで、
形成されそこねた自尊感情を取り戻しはぐくむには、
自尊感情の強い人間の傍にいく、
というところだったが、その前提として、
“こだわり”
は修正可能な性質のものではなく、
修正不可とも言われるべき生理的な性向で、
故にこだわるな、といわれても、苦しくつらいだけだと、
そして、自分のことは自分が一番無知である、という話の展開があった。
その辺りの流れの中でそのコトバを聞いて、
フト、客体化された自分がベラベラと映像のように流れ出てきた。
 
そういえば自分は、
こだわらないことの大切さについて、
これまで度々語ってきた。
しかし、実はそれは、
自分の信条とかあるべき理念とか呼ばれるものではなく。
自分の生理的な性向への、自戒と反省から生まれたものだ、ということだった。
三昼夜、掘り下げる子ども。
興味にひかれ、隣町まで歩いて行ってしまう子ども。
たまたまラッキーだったのは、母がそんな自分に対し、
一切規制しなかったことだ。
だが、自分と他者の間に、なかなか共通項を見出すことが出来なかった。
社会に出ていくトレーニングの過程で、そこから生じる軋轢に幾度となくさいなまれた。
あまりに人と異なる自分。
人となかなか共感を見いだせない自分。
だが、確固として、在る、自分。
故に、苦しく、さいなまれる自分。
だから、自分は、こだわることを、捨てた。
そんな自分と他者とのコミュニケーションの確立手段が、
“こだわりを捨てること”
だったのだ。
 
だが、それらは全て、意識下において選択されたというよりも、
オートマティックに選択されてきた気がする。
これも不思議なヒトの機能の、なせる業か。
自分の場合は、苦しさは、それほどでもなかった気がする。
せいぜい、ヒトに言いづらいクセ程度か。
お蔭で自尊感情を損なわずにすんだ。
これはひとえに、母の子に対する関わり方のお蔭だと、認めざるを得ない。
 
それでも、自分はこだわりが強い方だった。
そういう性向だからだ。
ただ、処世のお蔭で、視野を広く持つこと。
客体化してみて、俯瞰してみること。
立ち止まって、検証すること。
ヒトをよく見て、ヒトの話をよく聞いて、シンクロしてみることを学んだ。
そうして他者達とはなんとか、渡りをつける術を得た。
だから今後も、こだわらぬこと、とらわれぬことの素晴らしさを、
ネタにしていくのかもしれない。
 
さて、話を、〆ましょう。
実は今日の本題は、こちら。
それでもこだわり続けてきた、こと。
それは正月に、米と味噌とお茶のグレイドをジャンプアップさせること。
なぁ〜んだ、そんなことか、とお思いの向きがほとんどでしょうが、
そんなことなのだ。
今年はお茶は長崎の北村さんのもの。
味噌は長野の大久保さんのものが届いた。
米は、奥方が知り合いの生産者から購入したもの
これは普段使いで十二分のグレイド。
すき焼きにおせち、刺身にお寿司も良いだろう。
けれど、自分にとっての極上は、
朝起きて丁寧につくられたお茶をいただき、
ご飯と菜っ葉の味噌汁をいただく。
漬物と納豆、しらす大根があれば最高。
これが自分にとって、心新たに迎える年初めの、
最も贅沢な時間だ。
日本人であることの幸をあらためて再確認し、
大地の恵みの恩恵を享受し、
世界は繋がっていて、大切にしなければならないと、
心新たに感じる瞬間。
そんな元旦のそれらが今から楽しみだ。
こだわりには自身のルーツが意外の他隠されている。
掘り下げてみても面白いかもしれない。
あなたのこだわりは、如何なものかな。
 
それにしても・・・、
お後がよろしいようで。
 
 
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