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“身体は入れ物、身体は器、身体は舞台”
広い世界を描いているようで、
極めて狭い。
人々の交流を描いているようで、
一人の人間の独白のように思える。
その理由はこの物語が、
一つの世界観の元に描かれているからに他ならない。
しかしその世界観が、
いかに清々しいことか。
いかにその命が、
豊潤なことか。
そしてその命の実感が、
いかに確かなモノか。
そこがこの作品の、唯一にして無二の、魅力と言える。
“入れ物を、器を、舞台を、すみずみまで生かし、すみずみまでに命を吹き込む”
そのような体内の、体外の自然との関わりの中で、
武蔵の身体は五感を研ぎ澄まされ、
身体という自然をわが物とし、
更なる研磨はぜい肉をそぎ落とし、
ついに身体は自然という宇宙と一体となる。
土は鏡で、その土を耕す行為は、
すなわち己の身体を耕すのと等しい。
隅々の細胞までを覚醒させるために、
鍬を振るい、その成果をかみしめながら、剣にフィードバックするスパイラル。
鍬を振るい、剣を振るう、鍬を振るう剣。
研磨され昇華され高みに昇った剣。
だがそれがもたらしてきたものは、いかに。
自然の理は武蔵に命の実感をプレゼントする。
だが同時に、命の流転は、無常そのものであり、
生と死は正に今、表裏一体となった。
剣で奪ってきた無数の命の去来と、耕しながら、今眼前で死んでいく命。
軽く、そして余りにも重い命。
その死に、次の命を育む糧が在るか?
その無常の流転の果てに、武蔵の口をついて出た、
最後のシーンでのコトバにすべては凝縮し結晶化される。
その出されたコトバが武蔵を、今後どう開くか。
静で、しかし美しい一巻だ。
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すこぶる体調が良い。 気のせいかと思ったが、体感のみならず、数値にも現れ出した。 そもそも身体は使わなければ衰える。 それを痛感してこの3年、ウェイトトレーニングとジョギングを週2回アベで続けてきた。 しかしこんなに劇的な体感の変化は実感したことはない。 だとすれば…、すぐに2つの習慣に思い当たった。 最近始めたばかりの習慣だ。 一つは、奥方に指南を受けた呼吸法で、 “ZEN呼吸法” というもの。 腹筋が締まり、体幹がブレなくなる。 そして何より下の通りが良くなる。 原理は単純で適性な腹式呼吸により横隔膜を上下させ、その刺激で内臓マッサージを施す。
その腹式呼吸による横隔膜の上下を、腹筋で行うのだ。
だから、体内脂肪は減り、腹が締まる。
そして屁も出るし、ミも押し出される。
これは劇的で、便秘に悩まされる女性にはたまらない効果ではないか。 そして効果を直ぐに体感できる、速効性がイイ。 やり方にはコツが必要で、これは基本的な所作の伝授を一度受ければ長く使え、するとしないでは正に、大違いだ。 もう一つは、 “真向法” というもの。 これはいつまでもお元気であられた、鈴木元都知事から伺った体操。 単なる長寿ではない、元気な長寿たらしめる秘訣として長く、記憶に残っていた。 真向法の内、協会のサイトを見て、第一体操から第四体操までを毎日、風呂上がりに実施している。 これがまた、すこぶる良い。 これによってコリから、完全に解放された。 嘘のようだが、本当の話し。 この2つは優れた共通点をもっている。 何より手軽であること。そして、無理がないことだ。 習慣の良し悪しとしては、この上なく良い。 参考までに。 ↓ ZEN呼吸法 椎名さんが提唱者ですが、奥方がトレーナーなので、
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“親の心子知らず” とは良く言ったものだ。 母は齢84。 生来心配性の母に、幼少期から輪をかけて心配をかけた。 シーソーにぶつかって目尻を切ったり、ゴミ箱を飛び越えそこね腿を裂いたり、プールで頭を打ったり。 治療を終え一寝入りし、起きて見た母の、なんとも言えない表情が今も、網膜の裏にこびりついている。 小学校高学年から中学に入ると、更に加速して、向こう見ずでアホなことばかりしていた。 自転車で東京の府中から箱根ヶ崎や城ヶ島、茅野まで走って傷だらけになって帰ったり、友人宅に泊まり込んで帰宅を告げなかったこともしばしば。 携帯電話などない時代。
その間母にしてみれば、情報の取りようが無い。長きに渡る時間を母が、如何に過ごしたかに思いを馳せると、流石に申し訳なく思う。 相当な忍耐を彼女に強いたことだけは、疑いようもない。 それも親になってみて、はじめてわかった事だが。 正に、 “親の心、子知らず” だが子育ちから強いられる忍耐は親への試しでもあり、必要な親育ちの機会でもある。 成長に適した行動範囲を規制し、行動を選択しその結果を消化し、糧として次に生かせる子に育てるには、 何より親から子への、適切な距離感が不可欠となる。 子が子として育つように、最初から親でない親には、親になる親育ちの機会が必要だ。 特に子とのディスカスを通じた交渉力と、親の忍耐力の向上は、子どもの適切な自立の育みにおける、命綱となる。 自立の度合いに応じて子どもの行動範囲は広くなる。 必然的に遊びから帰る時間も遅くなり、交友関係も複雑になって、面倒だから一々報告しなくなる。 その子育ちを受け止め、忍耐し、逡巡し、適切なアドバイスを送る為に、コトバを探す。 親がそんな育ちの機会を担保して始めて、子は親の知らないところで、冒険や挑戦が出来る。 時には悪さをして、予期せぬしっぺ返しを食らう。 それを百回も千回も繰り返し、痛みや喜びを身体で味わって漸く、人の痛みを思いやり、善悪の判断が出来、欲を律することの出来る大人への、自立の為の学び、準備が出来る。 前置きが長くなった。 情報化社会は、親から親育ちの機会を奪った結果、子から子育ちの為の重要な機会を疎外した。 すぐスマフォで子に電話がかけられるし、位置情報が取得出来てしまうからだ。 これでは親の忍耐力が育たない。 もう一つの弊害は規制の強化だ。 危ない事は止めなさい。そこは危ないから行くのを止めなさい。 あの子とは遊ぶの止しなさい。 止しなさい、止めなさい、言うことききなさい…。 好奇心旺盛な幼少期に待っている心理的去勢。 これでは、 “子の心、親知らず” と言われてもやむを得ない。 結果的に家庭での子育て時、質問と規制語しか聞くことが出来なくなる。その結果はどうだ。 のびのびとした判断力のある自立した子が育たなくなる。生命力が希薄な、命が実感出来ないヒトに育ってしまう。 だから終わりはもう一つのことわざで締めくくろう。 “可愛い子には旅をさせろ” |
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“香港屋台” にハマった。 デリバリーだが。 五目中華焼そば、レバニラ丼、上海焼そば、棒々鶏弁当etc. どれも何しろ美味い。 日本の中華とは少し異なるテイストで、ただし、油はこってり。 いや〜これはうまい!と、連日香港屋台からデリを取り、ガッツリと頬張る。
いや〜やめられまへんな〜。
と、頭の中で、 “カチリ” 音を立てて、メタボスイッチが入った。 やあ、マズい。 トレーニングをもってしても、落としにくいのは、何と言っても油。
脂に比べれば糖は、それ程の苦労はいらない。
ヤバいヤバいと、無理尻デリ先を変更。 あえてしばらく和食にし、ライスは半ライス。 これも美味い。 美味いけど、 物足りない。 やはり、油。 和食でもソースメンチカツなどが出ると、身体が久しぶり油を注入され、嬉々と踊るのがわる。 マズイマズイ。 これまだ、後遺症。 やむなく9月のダブル三連休と、その間の週を入れて毎週三回、みっちりウェイトとランを5or11キロ、そしてたっぷりのストレッチを入れた。 それを昨日まで続けたら、 “カチリ” ようやく入ってくれましたよ、燃焼スイッチが。 だが世に誘惑は数多の星程、多い。 香港屋台の五目焼きそばデリを、ガッツリと目の前で若人に頬張られると、涎は溢れ、クラクラ眩暈が。 油は落としにくいけどね〜、 うまさはとなると話は別なんだよね。 例えば油と糖をミックスした、クリームリンゴパイなどを目の前に出されると、 もう、止められないだろう。
来月早々ビーチデビューを飾るから、 それまでのガマン…、 といいつつ、毎日昼のデリを選ぶ時、 己の欲にヤラレないように、格闘しながら、 気が付くと揚餅をつまんでしまったりしている。
まだ、道、半ば!
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この映画を紹介する文章のプロットだけを読んでみると、そこに描かれた出来事に目新しさは感じられない。
だが、読むのと観るのとでは、大きく異なる。 のっけの場面がいちばん衝撃的だ。 自らを神の霊媒と名乗るコニー率いるLRA(神の解放軍)は、夜な夜な村を襲撃し焼き討ちや虐殺を繰り返す。 冒頭のシーンはスーダンでのその、LRAの闇討ちから始まる。 LRAの兵士達は、銃を乱射し、家に火を放ち、老若男女を容赦なく撃ち殺す。 カメラはパンして、兵士達に囲まれ、座して命乞いをする家族を捉える。兵士は一人の子ども、ウィリアムスに棍棒を握らせ、母を殴れと脅す。 頬をナイフで割かれウィリアムスは、頷く母に棍棒を、振り下ろす…。 主人公は、元麻薬密売人で牧師のサム・チルダース。実話に基づいて作られた映画だ。 サムを通じ描かれたアメリカの暗部とアフリカの暗部の、コントラストが理屈なく、飛び込んでくる。 スーダン内戦で犠牲になる子どもたちを目の当たりにしたサムは、アメリカでの稼ぎをアフリカにつぎ込み、児童養護施設をスーダンに作って、自らもマシンガンでLRAと対峙するが、サムの子どもたちへの、救済の想いが強まれば強まるほど、過酷な現実が彼を襲う。 ある日の戦闘でサムは、LRAの一団を制圧し少年兵士たちを保護する。その中にあの、ウィリアムスもいた。 助けられたウィリアムスだが、過去の傷と呪縛は彼をいつまでも、寡黙で孤独なままにする。 内戦は長期化し闘いは泥沼化する中、サム自身の資金は枯渇し困窮する。 アメリカの家族に当たり、友達を蔑み、贅沢な生活をおくりながら援助に渋る知人を罵倒し、スーダンの同志たちにさえ畏怖され、自暴自棄になって目的を忘れコニーになりかけたサムに、 ウィリアムスが珠玉のコトバでサムを諭す。 「憎しみで心を満たしたら、奴らの勝ちだよ、心を奪われちゃだめだ」 さて、この作品から何を拾うか。 社会の構成員であればあるだけ、闘いは不可避な時代だ。 それぞれがそれぞれの闘いに身を投じることとなる。 闘いに身を投じるに当たっては、いくつか必須の、身に付けるべき要素がある。 大儀や目的、そして覚悟などだ。 だが忘れてはならない要素は、前出の目的と、何よりも動機であろう。 サムはそのコトバで、自分と自分の闘いを取り戻す。
だが、闘いに終わりは訪れない。
焼かれる子ども。顔をそぎ落とされる子ども。
その日々の闘いと負の記憶の蓄積の中、如何に自分を失わないでいられるか。
正に観手が試される作品だ。 事務弁護士にして苦労人、武骨な名優、ジェラルド・バトラーが魅せる、
清々しい笑顔に、一抹の回答が、垣間見える。
『マシンガン・プリーチャー』は2012年2月、日活によって配給された。 |


