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ヒトたるゆえんは、
“気概”
であると思う。
こんな記事に目を奪われた。
『深刻な事故が相次ぐ福島第1原発。
東電の不手際が問題視されているのとは裏腹に、
事態を改善しようと現場にとどまる作業員や自衛隊員、
警察官らをたたえる声がインターネット上で広がっている。
不手際続きで批判にさらされる東電だが、 ネット上では《批難されるトウデンは経営陣。
称賛されるトウデンは現場で奮闘する社員と下請けの人々である》と、
幹部と作業員を明確に分けるコメントも目立つ。
自衛隊員の妻とみられる人物による
《大丈夫?無理しないで。」とメールしたら、
「自衛隊なめんなよ。今無理しないでいつ無理するんだ?」
と返事が。という投稿には《すごい話見つけた》といったコメントが続く』
真偽のほどは定かではない。
また、それ自体風評であるかもしれない。
ただ、
この記事を読んで想いを馳せると、
少なくとも、まぎれもない真実が一つ、
見えてくる。
自衛隊員が、
ハイパーレスキュー隊が、
福島第一原発の現場で、
日本が見舞われたこの、
未曾有の危機回避という“国防”のために、
まぎれもなくその命を懸けて、
使命を果たしていることを。
なによりも日本の自衛隊は、
ハイパーレスキュー隊は、
その存在意義を、戦場という国同士の利害関係の、
衝突の場での殺し合いで発揮するのではなく、
“災害復興”
という対自然という最も困難な局面で、
使命を自覚し命を懸け、
今まさに従事しているのだ。
なんという誇らしいことか。
この国に所属するヒトとして、
感謝する。 ありがとう!
そして、
感謝と共に君たちに、
日本を未来を賭けるよ。
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2011年03月19日
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緊急援助物資が届かない大きな原因の一つに、
燃料補給を経たれたことが今朝、
報道された。
トラック協会の発案に運送会社が手を挙げ、
トラックと人手を割き、
救援物資を運びはじめたが、途中トラックを動かす燃料が手に入らない。
何日という無為な時間を消費し、
問い合わせた消防庁が緊急車両用の燃料を提供し、
ようやく現地に向かっているとあった。
今何が必要か、
急迫時、何を優先すべきか判断し、
その問題解決に最短な道筋を、
具体化して指示する。
このリーダーシップは政治が担い、
政治だけ行えることだ。
ガソリンの販売店に対し、
販売先に規制をかけるのは無理なことはわかる。
が、政府所轄の資源を優先的に供給する仕組みをつくり、
実施すればもっともっと早く、物資を現地に届けられた。
特に今も手を挙げてくれている関西方面からは、
途中の燃料補給が具体的支援の前提条件となる。
交通整理すら出来ない政治状況。
肝心なときは、力量が図りやすい。
申し訳ないが、
政治不在という現実を露呈した報道と、
受け取らざるを得ない。
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“ベスト・バウド”
とは、特定の選手が繰り広げたパフォーマンスの中で、後にも先にもない、
“最高”
のパフォーマンスを指す。
そのような定義だから、
ベスト・バウドは、ヒトから定められ評されることが多い。
だが、それだけではないのだろう。
そもそもアスリートとは、
過去になったパフォーマンスには、
容易には満足しない人種なのだ。
自身が自らのベストバウドをチョイスする時は、
現役を引退してから、
相当な時間が経ってからが、多い。
だが、稀に、
はなから覚悟を持ち、
至る試合を自分の選手生命における
“ベスト・バウド”
と定め、最高のパフォーマンスを実現し達成するフィールドと位置付け、
それを実際に、
創り上げるアスリートがいる。
類稀な集中力を発揮し、
重層的なミックスアップを体現。
その名を刻した歴史に残る名勝負は、
彼らのそんな稀有な覚醒からもたらされたことが多い。
少年老い易く学成り難し
一寸の光陰軽んずべからず 未だ覚めず池塘春草の夢 階前の梧葉已に秋声 wikiによると、
若いうちはまだ先があると思って勉強に必死になれないが、
すぐに年月が過ぎて年をとり、
何も学べないで終わってしまう、
だから若いうちから勉学に励まなければならない、
とある。
字面を見ればその通りだろう。
だが、これも“在り方”に見える。
いずれもたどっていくと、
今日ベストを尽くせず、
明日のベストを夢想する、
あるいは懇願するヒトの性に行き当たる。
そして、
危機を実感すると、
ヒトはようやく腰を上げ、
それが去るとまた、
うたたねる。
だからこれは、
チャンスだと思う。
振り返るほど、
ヒトの生は瞬きのごとしで、
無常がつきまとう。
そうのように感じることこそ、
大小のチャンス時、
知りつつもまた、
明日を夢想する今という日常を、
脱却できなかった証だ。
“有事だから”
ではない。
“有事でしか、目が覚めない”
そんな在り方を、
我が身の内から問われているのだと思う。
今回は天災の規模が大きい。
だから気づきの感覚も大きく、
ある意味チャンスと言える。
生来的に悪を振舞う“性悪”に、
“善行に目覚めよ”と言いたい訳ではなく、
まだ見ぬ自分の発する産声に耳を澄まし、
一旦歩を休め内省し、
そして意思を持って選択する。
そんな良い機会だと、感じている。
自分自身を省みると、
今見舞われている感覚、
それが正に、定めの試合に臨む感覚だ。
なんのはなし?と聞かれても、
書いている本人もわからないし、
うまくコトバに翻訳できないが。
この国に生まれ、
この時代を生き、
この日本という国の一員として、
この東北地方太平洋沖地震に遭遇し、
この世界の、
あらゆる国から注視される事態に立合う。
めぐり合わせの結果ではあるが。
海や空という隔たりはあるが、
まぎれもなく地球は球体で、
世界はつながっている。
そう実感できる機会は実は、
それほどない。
覚悟を持って覚醒し時を向かえたい。
自分を生かすも殺すも、
自分自身の所業だ。
だがら日々丹念に時を敬い、
自分に宿った命に対し、
感謝をもち今ある生を過ごしたいと感じている。
丹念に、
時を刻みたい。
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