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これまで唯一の信条は、こだわらぬことに、こだわることだった。
先日、主催した研修で、招聘した講師の話を聞いていたら、
ふと気づかされたことがあった。
話のキモは、幼少期に形成されるべき自尊感情の大切さで、
形成されそこねた自尊感情を取り戻しはぐくむには、
自尊感情の強い人間の傍にいく、
というところだったが、その前提として、
“こだわり”
は修正可能な性質のものではなく、
修正不可とも言われるべき生理的な性向で、
故にこだわるな、といわれても、苦しくつらいだけだと、
そして、自分のことは自分が一番無知である、という話の展開があった。
その辺りの流れの中でそのコトバを聞いて、
フト、客体化された自分がベラベラと映像のように流れ出てきた。
そういえば自分は、
こだわらないことの大切さについて、
これまで度々語ってきた。
しかし、実はそれは、
自分の信条とかあるべき理念とか呼ばれるものではなく。
自分の生理的な性向への、自戒と反省から生まれたものだ、ということだった。
三昼夜、掘り下げる子ども。
興味にひかれ、隣町まで歩いて行ってしまう子ども。
たまたまラッキーだったのは、母がそんな自分に対し、
一切規制しなかったことだ。
だが、自分と他者の間に、なかなか共通項を見出すことが出来なかった。
社会に出ていくトレーニングの過程で、そこから生じる軋轢に幾度となくさいなまれた。
あまりに人と異なる自分。
人となかなか共感を見いだせない自分。
だが、確固として、在る、自分。
故に、苦しく、さいなまれる自分。
だから、自分は、こだわることを、捨てた。
そんな自分と他者とのコミュニケーションの確立手段が、
“こだわりを捨てること”
だったのだ。
だが、それらは全て、意識下において選択されたというよりも、
オートマティックに選択されてきた気がする。
これも不思議なヒトの機能の、なせる業か。
自分の場合は、苦しさは、それほどでもなかった気がする。
せいぜい、ヒトに言いづらいクセ程度か。
お蔭で自尊感情を損なわずにすんだ。
これはひとえに、母の子に対する関わり方のお蔭だと、認めざるを得ない。
それでも、自分はこだわりが強い方だった。
そういう性向だからだ。
ただ、処世のお蔭で、視野を広く持つこと。
客体化してみて、俯瞰してみること。
立ち止まって、検証すること。
ヒトをよく見て、ヒトの話をよく聞いて、シンクロしてみることを学んだ。
そうして他者達とはなんとか、渡りをつける術を得た。
だから今後も、こだわらぬこと、とらわれぬことの素晴らしさを、
ネタにしていくのかもしれない。
さて、話を、〆ましょう。
実は今日の本題は、こちら。
それでもこだわり続けてきた、こと。
それは正月に、米と味噌とお茶のグレイドをジャンプアップさせること。
なぁ〜んだ、そんなことか、とお思いの向きがほとんどでしょうが、
そんなことなのだ。
今年はお茶は長崎の北村さんのもの。
味噌は長野の大久保さんのものが届いた。
米は、奥方が知り合いの生産者から購入したもの
これは普段使いで十二分のグレイド。
すき焼きにおせち、刺身にお寿司も良いだろう。
けれど、自分にとっての極上は、
朝起きて丁寧につくられたお茶をいただき、
ご飯と菜っ葉の味噌汁をいただく。
漬物と納豆、しらす大根があれば最高。
これが自分にとって、心新たに迎える年初めの、
最も贅沢な時間だ。
日本人であることの幸をあらためて再確認し、
大地の恵みの恩恵を享受し、
世界は繋がっていて、大切にしなければならないと、
心新たに感じる瞬間。
そんな元旦のそれらが今から楽しみだ。
こだわりには自身のルーツが意外の他隠されている。
掘り下げてみても面白いかもしれない。
あなたのこだわりは、如何なものかな。
それにしても・・・、
お後がよろしいようで。
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2013年12月07日
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両国国技館で行われた、東洋・太平洋バンタム級12回戦は、WBC世界1位の岩佐選手がチャンピオン椎野選手を完封。 前に出て迎撃にまわらされた椎野選手の打ち終わりにカウンターを合わせポイントを稼ぐ展開。 5ラウンド終盤、岩佐選手左ストレートがカウンターでジャストミート。 ダウンを奪いバンチをまとめストップを呼び込んだ。 一ファンの身勝手な戯言だが、今も自分は椎野選手がバンタム級最強と感じている。 リベンジが得意な無類のパンチ力を誇る椎野選手だけにしっかりと怪我を治し、リングに戻ってきてほしい。
しばし戦士の休息を。 村田選手の2戦目は相手の芯でもらわない柔らかさとセンスに手を焼く展開。 退路を塞がず追いかけっこ、狙いすぎ、的になって被弾し、会場がざわめくシーンが繰り返された。 が、長いレンジでのリードと、至近距離で右にダッキングし顔を隠す相手への左フック起こしで展開を変えた村田選手の強打が、芯で相手を捉え始め、テーマを絞った5ラウンド中盤から試合は急展開。村田選手の強打にダメージの蓄積が足を止め、最終8ラウンドにサンドバック状態でフィニッシュ。ストレスの溜まった観客の溜飲を下げた。 雑音が聞こえようが、得手の特化が世界の趨勢。 これまで、日本のミドルウェイトチャンピオンは、海外のミドル級の8回戦ノーランカーに遊ばれるレベルだった。
村田選手はそういう意味において、日本の歴史始まって以来初の、世界のミドルウェイトに、
伍して切り開く唯一無二のタレントだ。
これまでのプロ・ミドル級は、東洋では一番でも、北中米と相まみえた瞬間に敗北が待っていたものだった。
唯一の勝利は竹原さんのタイトル奪取劇のみ。
世界戦線に躍り出る途上に、世界のタレントと伍すということは、
それだけであり得ない価値を持つ。
そこで登りつめたのなら、その足跡は日本プロボクシングの歴史上、
前人未到の快挙だ。
まるで彼がミドルウェイトにおいてオリンピックチャンピオンになったように。
いや、それ以上に。
力みが抜けた終盤の速いバンチと手数は、村田選手のタレントの披瀝。 これが常に出れば、やはり時代は彼を求めてしまうと感じた。
恐るべきは井上尚哉選手。 手数、パワフルさ、試合運び、そしてディフェンスのセンス。 あらゆるエレメントで、会場中の数多の観客たちの期待を凌駕した試合。 口々から発せられた、お〜、ほ〜っという母音のどよめき、波が彼の非凡さを強く印象付ける希有な状況を作り上げた。 こんな会場の雰囲気は生まれて始めて。 |
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人生はままならない。
そう感じる瞬間が多いのが、人という種の特徴だ。
なぜなら、君が自分を知る時に、
どうしても君は他者という鏡に映った自分の姿を、
追い求めてしまう。
それはそれで仕方ない。
人は自分の姿を、他者を通して確認するしか術がないと錯覚しやすい動物だから。
それが全てになってしまうと、
人の鏡に反射した自分の姿、
いわゆる“評価”と呼ばれるものに、
囚われる。
勝負に負けた時、
失敗した時、
叱責された時、
負のそれを突き付けられ、時には人が、
離れていくだろう。
けれど、僕は君に伝えたい。
その時に何を選ぶか?
結果として何を捨て、何を生かすか?
そしてどう歩くか?
今思い通りいかない状態にあるからこそ、
それらの選択が最も大切で、君にとっての真価が問われることとなる。
だから、あえて言うけれど、
悪いときこそ、生かし時。
悪いときの所作ほど、今後の君にとって、最も大切である、ということだ。
腐ってもいい、
泣いてもよいだろう。
ただし、自分をぞんざいに扱ったり、蔑むことだけは、してはならない。
そして、物も人も、
負けた後、失敗して離れていってなお、
残ったもの、寄り添ってくれる人が、本物だ。
君はもう、知っているはずだね。
実は評価は所詮、人が発したセルフィッシュなもので、
君が感じた君と、ズレがあることを。
そして君が望んだ君とも、ズレがあることを。
そうして君が君の実態を掴むことができれば、
賞賛さえ実は、君に向けて発せられたものではないことに、
気付くだろう。
大切で肝心なことは、君が君自身を認めて褒めることに他ならず、
他人のそれは実は、君という名を借りた他人自身の思惑でありエゴに他ならない。
多くを語りすぎました。
繰り返そう。
人の期待を失った時の身の処遇にこそ、
真価が問われる。
君を生かせるのは君だけ、
そう、君の選択と積み重ねのみ。
そして思うようにいかなかった今こそ、正念場。
さあ、かけがえのない自分を労り、
かけがえのない自分を労い、
ご苦労さんと言って歩き出しましょう。
そこに至るために、逡巡し、涙を流し切った後に。
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