以下は、身近で聞いた話。
配属後何日かで、職場が合わないと休み出した。
その後、休暇がおぼつかなくなる前に、
病気休暇を申請。
タイトなスケジュール管理の中、
業務が移行するスリム化された組織には大打撃だ。
臨時職員を雇用し、
しのぐ。
本人はその後病気休職に移行。
給料はもちろん払い続けられる。
組織は時間外労働も増え、
人件費がかさむ。
その後一旦職場復帰するが、
復帰訓練明け直前に再び診断書。
奇異なのは、
休み続け、分限処分が間近になると、
スッと職場復帰。
以後、何事もなかったように、
仕事をおこなっているそうである。
その間、その職場では、
半病人者が出現。
当人は担当もはずれ、定時帰りだそう。
昼休みには保険屋が出入りし、
書類のやり取りをしていたらしい。
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鬱は、恐ろしい病気だ。
アウト・オブ・コントロール
最後には、
まさに、そうなる。
私自身、この疾病で身近な縁者を四人、
看取っている。
そして、その四人には、
ある典型的な共通したサインがあったことを、
知っている。
遺伝的因子も、明らかに作用していると思う。
だが、抑止するのは非常に難しい。
今、このマイナスシーリングの時代、
生活保護受給者の増大と、
鬱症状による休職者の増大は、
由々しき事態だ。
亀裂が入って浸水し沈没途中の船に、
難民が殺到しているようなものである。
これほど解決すべき、
大きな社会問題が肥大した状況はかつて、
なかったであろう。
欧米にならった組織は、
大量の失業者を生む。
それを残った者たちが、
必死になって支え、
時を待つ。
が、
人は易きに流れやすく、
そこからの浮上はし難い。
だから政治という仕組みで、
担保する。
例えば、生活保護費の期間限定支給を、
就労支援とセットに制度化するのは、
必然の流れだと思う。
難病などを基因として就労できないのであれば、
別の枠組みを用意すれば良い。
本当に時が来るか?
本当に加重が緩和される日を迎える、
具体的な策を、
早急に的確に、
今の政府が講じられるのか?
確約できる要素は極めて不確定な、
現在だ。
その上、
明るみに出た
“詐病”
という犯罪。
人の業。
四人は、あちらで、
この在り様を、
いかに見、どう思うことだろう。
社会的討死と、
計画的な詐取。
同じ疾病を巡って、
360度反転した社会問題が、
跋扈する。
“詐病”
これも私にとっては、
深い、
人が持ち合わせる闇の、
ある種“シンボリックなもの”の吐露のように見える。
後ろめたさが本人に皆無な点が特徴というが、
その裏で多くの人の血と汗の結晶を搾取しているという実感が
まったく欠落しているのが、痛手だ。
ひいてはそれが社会観の欠落、社会実感の不存在に進行してしまう。
痛む良心が、先細り、枯渇し、
さらには、手段を選ばす利を得なければ、
損とすら感じてしまう。
そんな風潮を再生産し続ける社会。
今、
“社会”
はその根底が、
大きな音を発てて軋んでいる。
パブリックな精神は、
家庭教育が育み、
学校教育が担い、
政治が担保し、
育まれた個が社会で実践するべきものだ。
今一度、
早急に
“公共”
という理念の義務的必要度を、
見直したい。
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