ぼくの父、つまり君たちのお祖父ちゃんは、丁度君たちの年代に自分の父親を鉄道自殺で失っている。
その件でぼくが父から聞かされたことは、財産を食いつぶし、看護婦長をしていた自分の妻に、目の前で白飯を炊かれ自分だけ食べられ、世を儚んだ末ということだけだった。その後、お祖父ちゃんの姉が後を追う。
父は高校を出てすぐ働きに出た。妹と、自分だけ白飯を食べた母親を養うために。
自転車で毎日20キロの距離を走って夜間の大学に通ったんだって。腹が減って疲れて、辛くて辛くて、泣きながらペダルを漕いだと言っていたよ。
寡黙な父だった。
辛い感情は飲み込んで、自分で処理をする男だったよ。
事の詳細を訪ねた時、父はこう言った。
負の遺産は自分が全て墓まで持っていく。だから安心して自分の道を邁進するように、と。
馬車馬のように働き、あらゆるストレスと闘い、
内と外で格闘し、さぞかし大変だったろうと今思い返すとよく判る。
今流に言えば、ぼくの父が受け続けた、負い続けたストレスの量は、すさまじいものだったろうに。
だけど君たちのお祖父ちゃんはね、ぼくらに八つ当たりなど、一度としてしたことはなかったよ。
母に手を挙げるようなことも、一度としてなかった。
彼の勲三等受賞が決まった時、本人がそれを認識できない状態だったことだけは残念に思った。
だけど、老人病院に入院している父に代わり、母と兄でいただきにあがった時は誇らしかったよ、名誉や栄誉といった稚拙なものではなく、彼の生き様が。
時代背景も、社会の状況もあるだろう。
ストレスの質も、在り様も変化する。
権利の主張合戦を繰り広げ、損得でモノを測るようになった。
だけれど変わらない事もあるよ。
とどのつまりぼくは、負荷がかかった時、それをどのように負うか。そしてどう処すか。
それを生き様として、父から教えられた気がする。
それがぼくが父から受け継いだ、一番の財産だ。
大震災に大不況。君たちが生きる社会を取り巻く状況は、さらに混迷を極めている。
君たちが生きるこれからは、いろいろな皺寄せが君たちに降り掛かるだろう。
だけれど父は、あえて言おう。
逆境にあっても、辛い状況に見舞われても、願わくばそれを糧として自分を磨き乗り越えて欲しい。
大丈夫、君たちにはそんな遺伝子が、受け継がれているはずだから。
逆境こそ、真価の発揮どころ。その時の所作と関わりこそ、誉。
金や名誉、そんな稚拙なものは犬にでも食わせて良いから。
なにより自分自身を無二の宝と扱って、高らかに笑える生き様であるよう。
父は祈っております。