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ミュージックマガジンを久しく読んでないのですが最近はどうなってるんでしょうか。

私はロック全般を聴いては来ましたがロックの王道を通って来たわけでもなく
ロッキング・オンよりはミュージックマガジン派だったわけです。

マガジンが進める音楽をすべてを肯定することもないのですが
ロックというトライブを形成し王道を作ろうとするロキノンよりは
ロックを冷やかに見ながら広く音楽を探ろうとするマガジンに刺激を感じてたわけです。

ロックにおける右派がロキノンならマガジンは左派
ロックを信じると叫ぶのがロキノンならロックを冷ややかに横目に見るのがマガジン
ロックビジネスを肯定するのがロキノンなら、批判的なのがマガジン

要するに屈折したへそ曲りなんですよね、ロックに関してのマガジンはw

ミュージックマガジンはもともとニューミュージックマガジンとして
70年代前半に当時の反体制的・反商業主義的なフォークと連携して開始します
当時、日本に入ってくる洋楽を紹介するスタンスでロック全般を紹介するわけですが
マガジンがマガジンらしかったのは中村とうようが編集長だった80年代末までのようです

私などはそんな古いことはバックナンバーでくらいしか知らないのですが
それでもそこそこ読んでいて80年代半ばまでの中村とうようは基本的に肯定します
少しうさんくさくなるのはワールドミュージック論を展開し始め、
短いながらもワールドミュージックが商売として軌道に乗った以降でしょう

フォークからロック、パンクを経てニューウェーヴを紹介していた頃の中村とうようは最高にロックです

ックの評価から商業的成功を切り離し、本当に自分の信じるものを提示する
ジャーマンロックのファウストに0点付けたりとかいろいろなくもないのですが
その評言は必ずしも間違ってなかったと思います

たとえばソニックユースのデイドリームネイション低い点でしたが(1点?)
工場排水のような音楽、という表現は極めて精確だったと思います
そういう点で私は肯定するわけですが

ロッキングオンの渋谷陽一とは80年代末に論争をし関係が冷やかになっていきますが
直接のきっかけになったじゃがたらの江戸アケミをめぐる論争は正直あまり面白くありません
もともと渋谷陽一のラジオで表現規制があったかなかったという話なのですが
まあ結局よくわからないままうやむやになった感があるわけです

対応としては渋谷の方が大人だったような気もしますが、ロックな噛みつき方をしていたのはやっぱり中村とうようだったと思いますw
渋谷陽一という人はロックで商売をする人であって、言動そのものがロックかというとそうでもないんですよね

ロックには商業的な側面がたしかにあって、それを肯定するのが渋谷陽一だったり
ロッキングオンだったりするんですが、それもロックの一部なので間違ってるとも思いません。
ただ私にとってそうしたロックという言葉は必ずしも刺激的ではなかったというだけ

渋谷と中村の対比はやっぱり面白いわけで80年代に評価が割れた1つは
80年代前半のトーキングヘッズのリメイン・イン・ライト。

ファンクとアフロとニューウェーヴを混ぜてぶちまけたような傑作ですが、渋谷陽一はこれを否定するわけですね。
「ロックは黒人音楽に刺激されて生まれた白人の音楽であって黒人音楽そのものを取り込むことがロックだろうか」、と、だいたいそんな感じ。

見返すとこの主張は渋谷陽一にしては珍しくロックですねw
前半部分、「ロックは黒人音楽に刺激されて生まれた白人の音楽」云々というような認識はかなり正しいと思うんですが、しかし、後半部分はちょっとあやしいわけです。

実際には黒人演奏者がアルバムのバッキングをやってることはあったし、ジミ・ヘンドリックスあたりから連なるブラックロックの歴史もあるわけでそう簡単にこの理屈では否定できない部分があります。

中村とうようなんかはこうしたトーキングヘッズを全肯定するわけで、この時期のニューウェーブの一番刺激的なぐちゃぐちゃな部分、たとえばイギリスではポップグループがさらに野蛮にやっていましたが、これらの価値を正しく評価していたと思います。

渋谷陽一は後年もこの見解を曲げず、トーキングヘッズがアフロ志向を離れたあたりで、「彼らも姿勢を改めつつあるようだ」とか牽強付会な自説押し付けをしていたと思います、全然男らしくないですね。・・・でも少しロックかも?

逆に中村とうようが否定して渋谷陽一が肯定したのがマイケル・ジャクソン〜プリンスではないでしょうか。マイケル・ジャクソンはたぶん渋谷陽一も全肯定はしないだろうから、面白いのはプリンスの方ですね。

ブラックロックの末裔のようなプリンスですが、中村とうようはそのナルシスティックなたたずまいと、それを商業的に展開するプリンスを否定するわけです。彼にはたぶんショーケースの中のロックに見えたことでしょう。

一方の渋谷陽一はナルシスティックなステージパフォーマンスこそが彼の魅力であると肯定します、この辺はたしか対談か何かあったような気もします。プリンスの中には実際には多くの過去の音楽などが流れ込んでいて、私は全ては肯定しませんが(特に彼のロックっぽい曲は苦手)、やはり刺激的な音楽でもあることも否定できません。

果たしてどっちが正しかったのか、それを判断することはできません。
ただ結果的に見ても1つ言えることはプリンスとトーキングヘッズでは商業的な成功の桁が違うということ。
プリンスは商売になるけどトーキングヘッズはそこまでは商売にならない、(ポップグループあたりだともっと・・・

途中でも触れたようにロックには商業的な側面があり、そのすべてを否定することは不可能、中村とうようにしてもそれはわかっていたはず。
批評家は音楽に関する批判ばかりしていて何も生み出さない、という批判もあります。

しかし、中村とうようの場合、ワールドミュージックを紹介することでそれを商業的にも成功させようとしたわけで、彼の批評は何かを生み出そうとするものだったし、私はそうした点を評価します。

一方のロッキングオンは欧米ですでに売れている音楽をどうやって日本で効率よく宣伝して売るかに特化したようなところがあり、それもジャーナリズムだけれど、やはり腰ぎんちゃく的なところは拭えないわけですね。

以上、長々とロッキングオンへの悪口みたいなことを書きましたが、
マガジンにしてもロッキングオンにしても洋楽が聞きにくかった時代の商社みたいなところがあり、時にその扱っている商品が違っていたというだけの話です。両方とも中身にメイド・イン・ロックなんて書かれてたりするわけですがw

ギブ・ミー・チョコレート的な洋楽時代は終わったと思いますが、かといって別に何か新しいものがあるわけでもない。市場規模で見れば国内よりはやはり海外マーケットの方が大きい以上、洋楽がなくなったわけでもない。

何を聞けばいいのかよくわからなくなりつつある昨今の私の迷いをただ書き綴ったわけです。

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過去記事についてのコメントでごめんなさい。
渋谷陽一と中村とうようについてちょっと調べてて辿り着きました。自分もミュージックマガジン派でとても納得できる内容でした。
プリンスについてはとうようさんも「アラウンドザワールド」以降は割と好意的で、次作「パレード」は満点を付けていました。
自分は、分りやすくいえば美味しんぼの海原雄山と山岡みたいな関係だと(表面は反発しても求めるものは同じ)思ってて、プリンスはそのいい証拠みたいに思ってます。
それが音楽のことではない論争で立場を失った中村とうようさんは本当に残念でした。自分はあそこでとうようさん熱が一気に醒めたのを覚えています。渋谷陽一さんがその時に言った「せめてもう少しマシなことでやりかたった」という言葉が、まさに自分の気持ちの代弁でしたね。
当時はもう中村とうようさんもかなり衰えてはいたと思うけど、それでもまだ十分読ませる原稿書いてたし。一度、二人のガコンチの論争を読んでみたかったです。
アントニオ猪木とジャイアント馬場のガチンコを見たかったみたいに。って歳ですね〜。(笑)

2018/9/10(月) 午前 11:17 [ tak**hi_act ]


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