アルバム・リーフのアルバムを久しぶりに聴いていた。
トリステザ(Tristeza)のギタリストだったジミー・ラベルによるソロ・ユニット。
実は解説できるほどそれらに詳しいわけでもないし、熱狂的に聴いてたわけではない。
ポスト・ロック華やかりし頃、シカゴ音響派にどっぷりだった私に、
ポストロック好きならということでオススメされた1枚だったわけですが。
初めて聴いたとき、世間ではポストロックをこう解釈してるんだなあと思ったりしました。
それは一言でいうとロックに対する批評としてのサウンドではなく、ようするにBGM。
刺激をなるべく取り除いたヒーリングミュージックにも近い。
ここでの音楽には難解さはない代わりに刺激もない・・・当時そう考えたなあと。
ではなんで今聴いてるのかというとただひたすら落ち着きたいからかもしれない。
うんざりするほどは聴き込んでなくて安心して聴ける耳になじみやすい音楽。
その条件にこのアルバムは合致するし、ゆっくり眠りたい時や眠れない夜に聴くのにちょうどいい。
刺激がないと書いたけれど、それはシカゴ勢のような実験的要素が薄いという話であって、
音楽単体としては実験的要素を嫌う人の方が多いだろうしこちらの方が随分と素直である。
ポストロックという文脈で語るべきなのかはよくわからないけれど、
しかし当時ポストロック的なサウンドと言えばこういうサウンドの感覚の方が主流だったような気もする。
強い感情を引き起こすことはないけれど、ムードはあって感傷に浸るような音楽、
そうした音楽がポストロックサウンドとして語られることが多かったんではないだろうか。
実はそういう点で「ポストロック」という言葉はあまり好きではなかったというか信じていなかった。
しかし、このアルバムの音楽はポストロックという文脈を失っても優しいBGMとして残るだろう。
同時代的にはたとえばUKロックではコールドプレイ(Coldplay)なんかが人気のあった頃。
レディオヘッド(Radiohead)のように毀誉褒貶激しくはなかったので、
コールドプレイの方が素直に聴けたなあという印象はある、驚きはまあなかったけれど。
どちらかというとポストロック的にはコールドプレイよりはシガー・ロスか。
シガー・ロスはピンク・フロイドの末裔くらいに思ってたかも。
もっとも、こちらのアルバムリーフは間違ってもそういった主役にはならない、そんな音楽でもある。
あらためてトリステザも聴いてたけれど、わりといいんだよね。
80年代のドゥルッティ・コラム(Drutti Column)とかフェルト(Felt)みたいなものの末裔という気もする。