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スウェーデンの全国自閉症協会のホームページに、こんなプロジェクトが紹介されていた。 個性を生かして働ける社会がいい。Connexi社も素晴らしいが、このようなプロジェクトを 受け入れるIKEAもなかなかだ。 (http://www.autism.se) IKEAでチャンスを掴む モニカ・クラッセン・マグラス アスペルガー症候群の5人の若者が、この春からIKEAのクンゲンス クルバ支店で働いている。 彼らの就業の影には、コミューンの制度に詳しいConnexi社のマグダレーナ・シドとオーサ・ボン・ダンがいる。 カレ(Kalle)は、30歳でストックホルムの王立技術大学の学位を持っている。 彼の専門は代数であるが、なかなか学歴に合った仕事を見つけられなかった。 雇用者は高い社会的スキル、自発性などを求めることが多いが、 それこそカレが苦手とすることであるからである。 彼はアスペルガー症候群と診断されている。 近年、自閉症に関する社会の理解は深まっているが、 アスペルガー症候群に対してはまだ理解されないことが多い。 IKEAでは、カレは布地売り場で開店準備の責任者である。 彼は布地の色や肌合いなどに強い興味があるという。 「僕は布が好きで、ミシンを持っています。 ここでは、布地の色合わせや布の風合いと色について学べます。 ここに2つの布があるでしょう。一見よく似ていますが、 こうやってみると全く違うことがよくわかるでしょう (ポケットから小型の虫眼鏡を取り出して、布を覗き込む)。」 インタビューを終えると、カレは次の勤務場所であるIKEA内レストランへ向かった。 LSS法では、機能障害者が何らかの就業的な活動に参加する権利が保証されている。 それは、保護的就業の場合もあれば、通常の労働市場での就業の場合もある。 マグダレーナ・シドとオーサ・ボン・ダンは、コミューンで作業療法士としての勤務経験、 および自閉症に関する専門知識を持つ。 マグダレーナ「私は、コミューンが支援する保護就業と通常の労働市場での仕事以外に、 別の選択肢が必要だと感じました。私たちは、 その中間の支援を受けながら仕事をするという道を提供しています。」 オーサ「1996年ごろからこのようなプロジェクトを企画していたのですが、 IKEAが協力者として参加してくれたのです。IKEAのようなデパートには、 非常に様々な仕事がありますから、それをグループで分担することにしました。」 Conexi社には、アスペルガー症候群を持つ社員5名と担当者2名が勤務している。 IKEAは、任務と責任を明記したリスト(例えば、家具の組立て、リサイクル、 レストランでの作業など)をConexi社に提案し、 Conexi社は、各任務を社員の特性と希望に照らし合わせながら、与えていく。 社員は、いくつかの任務を試すことができるシステムである。 IKEAとConexi社の協力体制は、双方によい結果をもたらしているようだ。 IKEAのクンゲンス・クルバ支店の人事部長であるカイ・アクセルソンは、 「Conexi社とのパートナーシップは皆のためのIKEAというイメージに貢献している」 と高く評価している。 カイ・アクセルソン「IKEAは社会を反映し、社会の一部であると考えている。 これは社会貢献の一つでしょう。 わが社は、多くの会社から協力を要請されるため、お断りしなければいけない場合が多いのですが、 オーサとマグダレーナの熱心さに、心を動かされました。 その結果、私たちの協力体制が実現したといっても過言ではないでしょう。 IKEA側が期待するものには、全て応えてもらっています。 自閉症の人を採用するための導入訓練も素晴らしいものでしたし、 Conexi社と社員の対応も肯定的なものでした。」 適任者を捜すのには時間がかかる。 まず、アスペルガー症候群で仕事に合った若者を捜さなければいけない。 オーサ「自閉症協会が、適任者探しを助けてくれました。 そのあと、私たちがコミューンのLSS担当者、求職者、そして家族の人に連絡を取りました。」 「話がうまく進行すると、求職者が職場見学をし、一週間後に再度話し合いをします。 そして決定が通知されます。職場環境や任務が全ての人に合うとは限りません。 求職者、私たち、そしてIKEA三者にとってうまくいかなければならないのです。 今まで、お断りしなければならなかった求職者も三人ほどいます。」 安定への長い道のり IKEAで会った若者たちは、職場が気にいって、不安も感じていないように見受けられたが、 ここまでの道は長かったという。 マグダレーナ「職場導入を非常にゆっくりと行いました。 新しい仕事、通勤、時間、ルーティーン、同僚など、新しい職場では多くの初めての経験をしなければいけませんから。」 オーサ「今の状態になるまで、双方が随分努力しました。まだ完全に安定した状態とはいえないし、 私たちの支援をまだ毎日必要とする従業員もいます」 担当者のマグダレーナとオーサは、IKEA内に個室を持ち、 彼らの部屋はアスペルガー症候群のConexi社員にとっての「会議室」兼「憩いの場」にもなっている。 彼らは、毎朝彼らとミーティングを持ち、毎日数回コンタクトを取り合っている。 IKEAの人事部長が集まる大きな会議で、マグダレーナとオーサはConexi社についてのプレゼンテーションを行った。エルムフエルトにあるIKEAが興味を示し、現在プロジェクトが進行中である。 「私たちの夢は、全国のIKEAとパートナーシップを結ぶことです。そのあとは、ヨーロッパ進出かしら」とオーサは笑顔で答えた。 彼女たちの夢が実現する日が遠くないように思われる。
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スウェーデン
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7年間住んだスウェーデンに関しての情報。夫はスウェーデン人。息子二人もストックホルム生まれです。
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子どもたちの夏休み中は、なるべく自宅で働くようにしているのだが、 今年の夏は、スウェーデン語の翻訳をしている。 去年に続き、アスペルガー症候群の人へのスウェーデンの支援について。 アスペルガー症候群は、興味・関心やコミュニケーションについて特異であるものの、知的障害がみられない発達障害のことであり、「知的障害がない自閉症」として扱われることも多い。 今年の翻訳は就労支援が中心だが、こんな新聞記事があったので紹介したい。 アスペルガー症候群の娘さんを持つ父親が、アスペルガー症候群の特技を生かして働ける コンサルタント会社を設立し、成功を収めている。 この会社は、Left is Right社といい、スウェーデンのフレドリック・レインフェルト首相は、 首相になってから最も印象に残る出会いとして、最初にこのLeft is Right社訪問を挙げている。 以下は、この会社を創立した父親とのインタビュー記事。 子どもの可能性を信じて行動を起した、このお父さんにエールを送る。 ****** Left is Right社のオレ・オルベルグ社長とのインタビュー オレ・オルベルグ氏は、アスペルガーの娘をよく理解するために、キャリア転向した。 今では、アスペルガーの人たちをコンサルタントとして採用するLeft is Right社を創立し、 全力を注いでいる。 Q.金融業会においてキャリアも長いあなたが、どうして 突然仕事を辞められたのですか? A.私は当時48歳で、私のキャリアは最終地点に到着していたのです。地元のカールスタッドでなるべく仕事をしたかったのですが、金融業会でキャリアを積むにつれ、首都のストックホルムの仕事が増えてしまいました。出張で留守がちの私の変わりに、妻が家庭での大きな役割を果たしてくれていました。アスペルガー症候群を持つ娘のシャロットについても妻にまかせがちでしたが、娘がティーンエイジャーになるといろいろと問題が出てきたのです。 Q.退職金をもらってやめられたということですが、どのような可能性があったのでしょうか? A. すぐに新しい仕事に就く人が多いと思います。前の仕事をやめた直後に、重役の仕事の口があったのです。妻に「これから何をやろうかとじっくりと考えることができる経済的余裕と時間が与えられたのは、これが一生で初めてなのよ」と言われ、私は新しい仕事の申し出を断り、夏の別荘を購入し、娘とゆっくり時間を過ごそうと決めました。自分なりにアスペルガー症候群の人間を理解したかったのです。 Q. Left is Right社のコンサルタントにはどのような仕事が向いていますか? A.たとえば、プログラミング、検査、プログラムのテスト、システム変換などがあげられます。数学的側面が必要とされる仕事です。言語にかかわる仕事では、校正、翻訳、テキストのチェックなども向いています。アスペルガーの人たちは、文法のようにきちんと構成されているものを理解するのが、アスペルガーでない人よりも優れています。反面、自由に文章を書くというのは、大変難しいのです。繰り返しを要求する仕事も問題ありません。しかし、仕事を始める前にきちんと説明することが非常に大切で、わが社ではコーチがその役割を果たしています。 Q.オフィスはどんな感じですか?オフィスでは孤立しがちですが、喫茶室などがあるのですか? A. コンサルタントたちには、それぞれ個室が与えられています。喫茶室があり、コーチとコンサルタントたち、そして私もそこで休憩します。壁に向かってコーヒーを飲む者もいますが、ここではそれを誰も変だとは思いません。普通の会社で求められる社会的能力とか、柔軟性は彼らの得意とすることではないので。まあだから他で仕事を見つけるのが難しいわけなのですが。他の会社では、おかしなやつだと思われるかもしれませんが、ここではそんなことはありません。 Q.新しい会社を設立するためのいろいろなアイディアがあったと思うのですが、アスペルガー症候群の人が働ける会社を作ろうというアイディアはどこで得たのですか? A. 私は、手配の仕事とか、調整役を引き受けることが多かったのです。妻がデンマークでアスペルガー症候群の人たちを採用する会社ができたということを教えてくれました。そのときには、かなり構想がまとまっていましたし、自閉症のお子さんのいるボーンマン夫妻と一緒に、よく似た会社をスウェーデンでもやってみないかということになりました。それに後からダウン症の子どもがいるトニー・ミカエルソンが加わったのです。 Q.それで、Left is Right社の拡大計画が始まったのですね。 A.はい。トニーは、5年間の間に20の支社を作り上げようと企画しました。各支社にはアスペルガーのコンサルタント20名、コーチ2名、営業担当1名を置く。つまり全国で460名の従業員を持つ会社にしようというトニーの考えは、私たちが当初考えていた規模をはるかに上回るものでした。トニーは私が社長になることを希望しました。ボーマン夫人のほうは経営陣に入りませんでしたが、ボーマン氏のほうはITの重要な柱として、システムと製品の責任者として貢献しています。このようにして2006年の6月にLeft is Right社は再スタートを切ったわけです。 Q.再スタートはうまくいったのですか? A.2006年の秋には、マスメディアに働きかけ、わが社を紹介したところ、すぐに反応がありました。私たちのサービスを利用したいという市、企業、雇用事務所などからの電話が殺到したのです。同時に最初の支社をクリスティナハムにオープンしました。コンサルタントたちは、わが社で一年の研修を受け、十分な仕事ができるかどうか試すことにしました。2007年の1月には、15人のコンサルタントが所属し、そのうち9人を雇用しています。彼らには給与全額が支払われるため、補助金は不要です。わが社はSamhallとは違い、民間企業ですから、私たちのサービスの武器である慎重さ、安定した高品質、誠実さ、論理性、整合性などで他社と競争します。 Q.将来の展望は? A わが社はマスメディアから前代未聞の注目をあびています。わが社のサービスを希望するお客様が非常に多く、供給が追いついていない状態です。ですから当初の5年拡大計画は、3年半で達成してしまいました。企業を作り上げるには時間を要しますが、現在クリスティナスタッド市、ロネビイ市、バレンチューナ市、ゴッテンバーグ市には従業員がおり、ウメオ市とマルメ・ルンド市にも順調です。私達は海外進出も考えており、2010年には実現したいと思っています。この秋にはインドに視察旅行に行く予定です。米国のフロリダにも興味を持っています。とてもうれしい展開ですが、リスクも伴うでしょう。しかし、クリスティナハムで働くコンサルタントたちは、「仕事があるのは、うれしい問題だ」と言っています。 (Financevarden 2008 –6-24)
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3週間弱のスウェーデン滞在を終え、アメリカに10日ほど戻った後、 昨日日本にやってきた。 環境だ、二酸化炭素削減だ!とえらそうなことを普段は書いている私だが、 夏は大西洋と太平洋を越えて、スウェーデンにいる義理の両親と 日本にいる実家を訪れている。 ジャンボジェット機のカーボンフットプリントを考えると、罪の意識に悩むのだが、 カヌーやヨットで太平洋と大西洋を越えることもできない。 ウェブキャメラで両親と話すことはできる。 ネットで外国の情報を得ることはできる。 だが、実際に両親を訪れ、ゆっくり話をし、孫と遊んでもらうことは バーチャルではできない。 スェーデンの環境活動見学も、ネットで情報を得るだけのと、実際に働いている人 と話をするのでは、まったく違う経験だ。 スウェーデン各地にあるエネルギーセンターとよばれる省エネに関するアドバイスを行うセンター、 ヨーロッパで一番グリーンであるという賞をもらったVaxjo市の見学、 エコビレッジの見学、 環境教育の遠足場所として使われているセンターなどなど、 大変勉強になる見学をさせてもらった。 これは後で記事にしようと思う。 家族のバケーションとしては、カヤック旅行を楽しんできた。 二人乗りのカヤックを2艘レンタルし、5日間ぶりの食料と水、テントと寝袋と着替え をカヤックに詰め込み、バルト海の多島海をパドルでひたすらこぐ。 夜は、水も電気もトイレもない無人島にテントを張って宿泊。 自然の美しさ、怖さ、恵みを感じた5日間であった。 自然に遊んでももらうからには、自然は守るのがルールである。 スウェーデン人は、小さいころから自然に親しむ生活をしているので、 そのようなルールは、小さいときからきちんと躾ける。 人間が生活すると用を足さなければいけないし、食事後は食器を洗う。 どうすれば、自然への負担を最小限にできるかを考えながらの カヤック旅行は、息子たちにとっても勉強になったのではと思う。 親戚訪問では、夫の兄夫婦が離婚した直後だったので、 大変であった。 離婚率の高い国だからといって、離婚が楽なわけではない。 皆が傷つき、ものすごい負のエネルギーが費やされる。 傍目には仲の良い夫婦だったので、 家族の絆のもろさを感じた旅でもあった。 夫とはゆっくりと話す時間をもてた。 普段は、お互いの仕事に忙しく、何時間も星空を見ながら 話すということができない(というかしない)。 夏休みはこのような時間が持てるので貴重である。 息子たちのスウェーデン語も再び流暢になった。
さあ、今度は日本だ。 |
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「非営利団体に働くような人間は夢想家が多い」と、 よく言われるが、実際私たちの会議の内容を見てみると、 自分たちの財力とか、時間とか、実行力とは無関係に でっかい夢を描いている。 今、私たちが作り上げようとしているのは 持続可能なエネルギーセンターで、それを手段として、 約70万人の住民が住むこの地域 (米国ペンシルバニア州の中都市) を化石燃料に頼らないエネルギー自給自足、食料の自給自足を達成しようというもの。 とても小さな非営利団体にとって気の遠くなるようなプロジェクトだが、 夢追い人の私たちは、毎日 いろんな人とアポを取り会議、サイトを捜して外回り、協賛者を求めてメール勧誘など、 ありのように働いている。 疲れきって自宅でコンピューターの前に座ったある日、 あるサイトをみつけた。 スウェーデンでは国を挙げての「持続可能な都市づくり」というのが盛んで、 25%の地方自治体が「持続可能な都市」という方針を採用しているという。 Malm??市は世界で最もGreenな都市の一つとしてあげられ、 2012までに二酸化炭素排出を25%削減する予定という。 こんなのを見ると元気が出る。 未来は真っ暗ではないかもしれない。 わたしたちだって、頑張れば... 今週の木曜日からはスウェーデン。 親戚訪問とカヌーでキャンピングが主な予定だが、 「持続可能な都市づくり」を実践している都市と、 自給自足村みたいな所を見学してくるつもりだ。 行ってきます。
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スウェーデンでは、12月13日はルシア祭と呼ばれる「光のお祭り」が行われれる。 この習慣は、日照時間が非常に短い12月に光をもたらし、スウェーデン人が大好きな伝統の1つである。 このルシア祭がフィラデルフィアで行われると聞いたので、先週末に古いスウェーデン教会に 行ってきた。 アメリカにおけるスウェーデン移民の歴史は長い。 スウェーデンの植民地開拓者がアメリカに到着したのは1638年。 現在のフィラデルフィア付近に殖民した。 この初期のスウェーデン殖民開拓者は、原住民インディアンと良好な関係を保ったという点で ユニークだったといわれている。 これらの殖民開拓者によって立てられたスウェーデン教会がフィラデルフィアに現存している。 1700年に建てられたGloria Dei Churchは別名「古いスウェーデンの教会」とも呼ばれており、 ペンシルバニア州最古、アメリカで2番目に古い教会だそうだ。 そこで、スウェーデン系アメリカ人が中心となって形成されているグループが毎年ルシア祭を行っている。教会内での撮影は禁止だったので、NYのスウェーデン教会のルシア祭のリンクを 張っておこう。クリックすると、ルシア祭の写真が見ることができ、雰囲気がわかってもらえると 思う。 http://www.swedishchurch.net/index2.asp?id=220 ルシア祭では、サンタルシアをはじめ、スウェーデンの様々なクリスマスソングが スウェーデン語で歌われた。アメリカで聞く、英語アクセントのあるスウェーデン語の クリスマスソングが何となく異国情緒をかもし出す。 息子たちは、馴染みのある歌には合わせて歌い、夫は懐かしさに感動している様子。 私は、ろうそくの光がかもし出す美しい空間に酔いしれる。 スウェーデンからアメリカに戻ってきてちょうど一年が経った。 わたしたちにとってスウェーデンを思い出すよい機会になった。 中華街でアジア系野菜の食料を仕入れ、 帰り道にIKEAでスウェーデンの食料を仕入れて自宅にもどった。 たまには、このような外出も悪くない。
スウェーデンとアジアを体験できた1日であった。 |



