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昨日は、大学の就職フェアに参加してきた。 |
おばさんの再就職
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3月から、ちょっぴりだがお給料が支払われるようになった。 それと同時に、「肩書き」を付けなければいけないことになり、 自分で好きなものを選んでよいことになった。 「プロジェクト・ディレクター」 「プロジェクト・マネージャー」 「プロジェクト・アドミニストレーター」 「プロジェクト・コーディネーター」 「プロジェクト・アシスタント」 私のお給料は地域エネルギーセンターのプロジェクトから支払われるので、 肩書きの頭には、「プロジェクト」が付く。 私はまだまだ、見習いのようなものなので、一番上の「ディレクター」なんて 立派過ぎる。かといって40の半ばになって、「アシスタント」はちょっと寂しいな、 などと考えて、真ん中の「アドミニストレーター」を選ばせてもらった。 肩書きは付いたが、給料は6か月分しかないので、それ以降は自分で獲得しなければいけない。 非営利団体の財源は様々だが、うちは今までほとんど資金集めをしてこなかった団体でほとんど財源がない。そこでこの春は、頑張って「資金集め」兼「プロジェクト協賛者」を集めるため奔走している。 政府や民間の基金からの助成金は、Grant Proposalという企画書を書いて申請する方法。 プロジェクトの中身も大切だが、説得力のある文章力が求められる。 ああ、大変。 政府や民間会社に連絡して、プロジェクトを口頭で説明し、協賛してもらう方法。 今度は説得力のある話術が必要となる。 ああ、私にはない。 電話や訪問で、寄付をお願いする方法。 電話口や玄関先で、つめた〜くあしらわれる可能盛大。 気が重い方法だ。 メーカーではないので売る製品はないが、協賛団体の製品 (例えば、オーガニック綿のTシャツとか、持産地消のステッカー、アースデーのポスター) などをちょっと高めに売って資金源にする方法。 これは、来週のアースデーにやってみる予定。 ワークショップや勉強会を企画して、参加費を集める方法。 利益に興味がない人の集まりなので、とても低額か無料の参加費になってしまうことが多い。 これでは、給料は出ないだろう。 さて、秋からはどうなるんだろう。
とりあえず、資金繰り頑張らなければ。 |
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一年間のスウェーデン滞在を終え、アメリカに戻ったのが一年前。 2007年は、アメリカ生活再出発の一年だった。 このように別の場所にちょっと住んでから、前に住んでいた場所に戻る場合、 元の慣れ親しんだ生活習慣に戻ろうとしても、できないことがよくある。 違う土地に住んだことによって、自分の中に何らかの変化が起こるようだ。 私たち一家はペンシルバニアの自宅に戻り、夫は同じ職場へ、 子どもたちは前の小学校へ復学し、前と同じような生活が始まったのだが 私は技術翻訳を続けることをやめ、スウェーデン語からの福祉関係の本の翻訳を最後に、 翻訳の仕事をやめてしまった。 子どもの就学をきっかけに、新しいことを始める母親は少なくない。 私の場合も、去年次男が小学校へ入学し、自分の人生を考えてみたいと思ったのが 転職願望のもう一つの理由である。 何の分野で仕事をするかと考えたときに、大切だと思われたことは 「次の世代が生きられること」だった。 スウェーデンに滞在中、テレビや新聞などマスメディアは環境ニュースが多く、 人との会話でも環境問題が話題になることが多かったので、大きな危機感を持つようになった。 「今なんかしなければ、孫の顔が見れる前に滅亡だ〜」 といった感じでアメリカに戻ってきたのだ。 しかし、アメリカに戻って、家事、育児、 その他もろもろの雑事であっという間に時間は過ぎていった。 秋になり、重い腰を上げて本格的に就職活動をすることに決め、 就職カウンセラーと面接したころから、状況が変わってきた。 その後すぐ、ネット上で地元の環境市民グループを見つけ、 そのグループの活動に参加し始めた。 このグループが、たまたま地域再生可能エネルギーセンターという大きなことを企画しており、 パートで働ける人を捜していたため立候補したところ、「いいよ」と簡単に決まってしまった。 というわけで就職活動もせず、来年から、週に20時間程度、 地元の環境グループで働くことになった。 ただ、この仕事は「ただ働き」である。 エネルギーセンターのために申請した予算の4分の1しか獲得できなかったので、 私へお給料を出せなくなってしまったのだ。 私はそれでもいいと思った。 この仕事をしながら、他の多くのNGOや政府関係とのネットワークが築けるし、 市民活動のノウハウ、環境問題のいろいろなことが学べる。 しかし、このままずっと「ただ働き」が続きそうな場合は困るので、 就職活動も平行していくことに決めた。 就職カウンセラーとは定期的に面接をする予定である。 ネットワーキングの効果的な仕方や面接の練習などをサポートしてくれるそうだ。 その上に大学に戻ってコースを取ることも決めた。 つい最近までは、「いまさらおばさんが若い学生に混じって勉強なんて」 と思っていたのだが、 こちらで女性が再就職するのに勉強しなおすのは珍しくない。 アルゴアと一緒にノーベル平和賞を受賞したIPCCの報告書に、数年にわたって貢献している教授が、 地元のL大学で教えているときき、勉強したくなった。 その教授は、地元の亜鉛汚染指定地区を復元するプロジェクトも行っているという。 家族でその地域をハイキングしたばかりなので、 あの荒涼とした風景を元の状態に戻すプロジェクトというものにも興味がある。 (http://blogs.yahoo.co.jp/skog06/18229286.html) 面接に行ったら、とても優しそうで気さくな教授で、彼の講義を受けたくなったのである。 というわけで、かなり忙しくなりそうな2008年だが、 つっぱしらないで、家庭とのバランスを考えながらやっていきたいと思っている。 どうやってバランスをとるかは、やってみなければわからない。 「案ずるよりも産むが易し」でとりあえず、2008年をスタートしたいと思っている。 来年もよろしくお願いいたします。
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昨日、就職カウンセラーとの面接があった。 結果から言うと、とても力づけられ、自信を与えられた充実した面接であった。 「絶対、大丈夫よ。いっしょにやりましょうね!」という言葉に心がずっと軽くなった。 カウンセラーは、私と同い年で4歳と2歳の男の子のお母さん。 私の立場をよく理解してくれ、適切なプロとしてのアドバイスをいろいろしてくれた。 最初の面接なので、ちょっと緊張していた私だが、あっという間に打ち解け、 友達のような感覚で話ができた。リラックスすると驚くほどすらすらと自分の状況を説明できる ものだ。しゃべりにしゃべりまくったような気がする。 彼女によると、私の履歴書は、ちょっと手直しするだけでOKであるということ。 いわゆるレジメギャップと呼ばれる、常勤で仕事をしていない期間が長いことを気にしていたのだが、 フリーランスで仕事を続けていたということ、翻訳業で自分で顧客を開拓して、自分を売り込み、 固定客を持っていた実績があれば、それがパートであるか、フルタイムの仕事であるかは それほど大切ではないといわれ、一安心。 彼女の口からは、覚悟していた「中年女性の再就職や転職は厳しいのよね〜」と言った言葉はでなかった。とにかくポジティブだ。 「最初にこうして、次にこうして、最後にこうするのよ」 と就職活動のステップを聞いていると、目の前にパーッと 道が開けてくるような気がした。 具体的には、このカウンセラーから以下のような充実した支援が受けられる: *希望分野での就職サーチの方法、 *オンライン就職セミナー、 *ネットワーキングのアドバイスとツールの提供 *面接練習、 *給料交渉の練習 *メールによるサポート なんといたせりつくせりの支援ではないか! それもこのサービスは無料である。 大船に乗ったつもりで、もう就職した気になっていると、 「でも、このサービスを利用すれば絶対仕事が見つかるというものでなくて、 サービスを生かすかどうかは、あなた次第なのよ」というカウンセラーの言葉 にちょっと背筋を正す。 彼女によると、就職活動というのは平均3ヶ月から8ヶ月かかるもので、理想的には 一週間に15~20時間をその活動に充てるのがよいそうである。 あまり時期や分野を絞りすぎて、あせって短期に仕事を見つけるよりも、 このぐらいのエネルギーと時間をさいて「これだ!」という仕事を見つけなさいと言われる。 履歴書を書き直したり、就職先を探しているうちに、本当に自分の適性というのが 見えて来るそうだ。 これは自分の価値、生き方、性格の再確認にもなるから、興味深い活動だ。 私の最初の就職はバブルの80年代だったし、新卒だからこれほど本格的な就職活動なしに、 就職できた。それ以降の仕事も、幸運に恵まれてさほど努力せずに 見つかった。だから長期にわたって週に20時間以上の就職活動は、初めての 経験である。この一ヶ月一人でやってみて、いかに孤独で非効率な活動であるか ということを身にしみて感じていた。 昨日まで、ちょっと落ち込んでいた自分がうそのように気持ちが軽くなった。 元気づけられた私は、欲張って、就職活動と平行してやろうと思っている環境コースの 案内までもらい、足取り軽く帰路に着いた。 やっぱり適切な支援って大切だ。
本当にありがたい。 現実は厳しいかもしれない。 でもこんな支援があったら頑張れるぞ! |



