|
私は元来おとなしい方である。 小さいころから恥ずかしがり屋で、人前で話すのが苦手だった。 幼稚園のころは、1日休むと、気後れして次の日学校に行きたがらなかったという。 小学校のころ副学級委員(当時は、男が学級委員、女が副学級委員だったなあ) になって「皆さん、廊下に並んでください」などの単純な号令がかけるのが 恥ずかしかったほどなのだ。 高校のときに、レッド・ツェッペリンが好きな憧れの男の子に 話しかけることができず、「もしよかったらカセットテープ貸してください」という メモを彼の下駄箱にそっと置いたような女の子だった。 現在の私しか知らない人は、信じられないかもしれない。 でも話をしなければどうしようもない状況を何回も経験するにつれ、 「恥ずかしがり屋の殻」を打ち破る術を身に付けたように思う。 高校を出るまで、5回転校した。他の生徒に話しかけるのを恥ずかしがっていたら 友達はできなかった。 どきどきしながら、勇気を出して新しいクラスメートに話しかけたっけ。 それが良い練習になったのだろう。大学で東京で一人暮らしを始めて、 新しい人間関係を作るのが苦にならない自分を発見した。 けっこう積極的になった自分の性格を楽しんだのもつかのま、 大学4年生のときにカナダに留学し、どーんと壁にぶつかった。 文化や言葉が違う人たちに囲まれ、またShyな自分がでてきたのだ。 この壁を越えるのは、結構きつかったが、人間は社会的動物。 一人ぼっちでわかちあえる友達がいないのはしんどすぎる。 一つ山を越えて、友達を作った。 東京で働いていたときは、途上国からの研修生にかかわる仕事をしていたので、 慣れない外国である日本で、ホームシックになる多くの研修生の友を多く持った。 恥ずかしがり屋で、なかなか他の研修生と打ち解けない研修生を見ると、 昔の自分を思い出し、よく相談相手になった。 それがスウェーデンに渡り、また壁にぶつかった。 北欧人というのは、仲良くなるのに時間がかかるとよく言われる。 仲良くなると信頼できる良い人が多いのだが、 そこまでにたどりつくのにかなりの努力を要した。 スウェーデンには恥ずかしがり屋の人が多いという 説がどれほど根拠のあるものか知らないが、 実際初対面の人に対して、自ら積極的に近寄って話しかけたり、 人を気軽に自宅に招いたりしない(例えばアメリカに比べて)。 言葉の壁も厚かったため、最初の数年はきつかった。 何回も泣いたっけ。 8年前にアメリカの東海岸に引っ越してきたときには、 私の面の皮も随分厚くなっていた。 ちょっとぐらい無視されても、 向こうから話しかけてくれなくても、 こちらが真意を持って接すれば 気の合う友人はいるもんだ、という自信が生まれてきた。 また移民の国であるアメリカには、自分と似たような境遇の人が多くいる。 自分もその大勢の一人だと思うと気が楽であった。 子育て、新しい近所付き合い、夫の仕事などを通じて多くの友人に恵まれて 感謝している。 今の私の中にも、当時の「恥ずかしがりやの自分」は確かに存在するし、 どちらかというと、話をするよりも聞くほうが好きだ。 そんな私だが、今年になって随分人前で話をする機会が増えた。 地元の市民運動の会の仕事に関連して、 大学教授、いろいろな非営利団体の役員、その他いろいろな人の前で 話をしなければいけない機会が急に増えてきたのだ。 一昨日は日本に本社がある国際企業のアメリカ本社の重役さんたちの会議で 発表し、昨日は市長さんとの会議に出かけてきた。 前日は寝つきが悪いことが多い。 「何とかなるや」という開き直りも歳とともに身に付けたが、 やはり恥ずかしがり屋の自分が「怖い、怖い」と言っている声が聞こえる。 胃が痛くなることもある。 当日は、100%とはいえないが、まあまあのパフォーマンスができることが多い。 こんな経験を積んでいくうちに、場慣れしていくのかなあ。 何でこんなことしてるんだろうと思うこともある。 大変だと思っている反面、「人と理解しあう」ことが私にとって 大切魅力的だからかもしれない。 元来、人が好きなんだろう。 肩書きが立派で、人格が優れている人もいる。 肩書きなんて何にもないけど、人間的に魅力的な人もいる。 年をとっていても頭がやわらかい人もいる。 アメリカの外から一歩も出たことがなくても、とても視野が広い人がいる。 もちろん、上記のような人たちと反対の人もいる。 人間とはとても興味深いものである。 言葉が違っても、文化が違っても 人間として、何か心通じるものが感じられると 私はとても嬉しくなってしまう。 自分の中の「私」に
「よく頑張ってるよ」と言いたくなったので、 ぐだぐだ書いてしまった。 |
思い出
[ リスト | 詳細 ]
全1ページ
[1]
全1ページ
[1]



