八犬伝の四方山話

ワン達から飛行機まで幅広く私の趣味を書いちゃいます(^^;...

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君が代

国歌というものに対して、これだけ認識が人によって違うものだろうか?。
 
軍国主義の歌だとか?、天皇崇拝の歌だとか?
 
日教組やGHQによってゆがめられてしまった日本の国歌。
 
実は、恋の歌だということを知っている人はどれだけいるだろうか?。
かくいう私もそうだったのだが(笑)
                             
                         
             
                  
以下転載、ちょっと長いですが読んでみてくださいね。
Facebook 神道の心を伝えるより。
                    
              
 
皆様は君が代の本当の意味をご存知でしょうか?世の中には席を立たないとか、歌わないとか、間違った解釈で誤解している人が沢山います。日本人として我が国国家の本当の意味を理解しない訳にはいきません。この動画を観て本当の意味、またこの歌の素晴らしさを御官能下さい。
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君が代は
千代に八千代に
さざれ石の
巌(いわお)となりて
苔(こけ)のむすまで
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世の中で言われている天皇崇拝の歌であるという説に耳を奪われていたが、深く探求するとそうではなかった。
君が代の本当の意味をお伝えします。


「君が代」は天皇崇拝の軍国主義賛美の歌だと言う人がいますが、じつに程度の低い話です。
そもそも「君が代」は、戦前からのわずか70〜80年の歴史の歌ではありません。
いまから千年以上もの歴史のある歌です。
よくもまあ、軍国主義の歌だとか、デタラメなことを言えたものです。
「君が代」の文字としての初出は、平安時代初期の延喜5年(905年)です。
この年に編纂された「古今和歌集」の巻7に、「賀歌」の代表作として納められています。「古今和歌集」は、醍醐天皇の勅命によって編纂された勅撰和歌集です。
いまでいったら日本政府そのものが編纂した公的歌集で、万葉の時代から撰者たちの時代までの140年間の代表的作品を集めたものです。
序文はカナで書かれていて、その執筆者は紀貫之(きのつらゆき)です。
その中に「読み人知らず」として掲載されているということは、すでにこの時点で多くの人に愛された歌だったことを示しています。

後年に書かれた「枕草子」によると、平安貴族たちにとって「古今和歌集」の暗唱は、常識だったのだそうで、その「古今和歌集」で、お祝いの歌の代表作として紹介されたのが、「君が代」です。
ダメ親父の帝王学

つまり「君が代」は、貴族たちの慶賀の歌としても、常識歌だったわけです。

それだけではありません。
「君が代」は、その後に編纂された「新撰和歌集」や「和漢朗詠集」にも転載されています。
つまり、そうしなければならないほど、いまから千年もの昔から多くの人々に愛された歌であったということです。

ではなぜ「君が代」は、そんなに素晴らしい歌とされたのでしょうか。
理由のひとつに「君(きみ)」があります。

「君」は君主をあらわすという人がいますが、それは間違いです。
漢字の「君」は、「口」ヘンと「尹(イン)」を組み合わせた文字ですが、「尹(イン)は、「手」に「|」(つえ)を持っている姿です。
これは「聖職者」をあらわします。
「口」は、その聖職者が口を開けて、何かを説いている姿です。

つまり「君」という字は、会意形成文字で、高貴な人をあらわす文字です。
読みは「クン」です。

「君主(クンシュ)」となると「高貴な人=君(きみ)の主人」なので、それだけ偉い人です。
「君子(クンシ)」は、その高貴な人の子と、ちょっと謙遜がはいります。

つまり「君」という字は、高貴な人であり、だからこそ、源氏物語は朝顔の君や、藤袴の君など、美しい女性たちに「君」の尊称をつけています。
「君」が天皇をあらわすというのなら、源氏物語の女性たちは全員、天皇ということになってしまう。

その「君(クン)」という漢字に、古代の日本人は、もとからの日本語にある「きみ」という読みを当てました。
「君が代」の「きみ」です。
その「きみ」とは、どういう意味の言葉なのでしょうか。

実は、古代日本語で「き」は男性、「み」は女性をあらわす言葉なのです。
日本神話に登場する最初の男女神は、イザナキノミコト「キ」、イザナミノミコト「ミ」であり、「おきな=翁」「おみな=嫗」という言葉もあります。
ダメ親父の帝王学


イザナキ、イザナミ以前の神々は性別がなく、日本の神々で最初に性別を持った神として登場するのが、イザナキ、イザナミです。

その最初の男女神は、イザナキ、つまり「いざなう男」、イザナミ「いざなう女」として登場します。
「いざなう」は、漢字で書けば「誘う(いざなう、さそう)」です。
つまりイザナキ、イザナミの物語は、誘(さそ)いあう男女の物語でもあるわけです。

二人は天つ御柱で出会い、
キ「我、成り成りて、成り余るところあり」
ミ「我、成り成りて、成り足らざるところあり」
と声をかけあい、互いの余っているところと、足りないところを合体させて、子を産みます。

ここで大切なことが、男女が互いに「成り成りて」というところです。
「成り」というのは、完全に、完璧に、という意味です。
その成りが二つ重なっていますから、「成り成りて」は、完全に完璧に成長したことを意味します。
完全です。何の欠点もなく完璧に、ということです。知性も肉体も、まさに完璧に成長し、成熟したのです。

ところが、完璧に成長したら、互いに「余っているところ」と「足りないところ」があった。
これは矛盾です。余ったり、足りなかったりするのは、「完全」ではないからです。
完全体になったら、完全でなくなってしまったのです。

そこで二人は互いの余っているところと、足りないところを合体させて、より完璧になろうとしました。
すると「子」が生まれたのです。

このことは、私達にとてもたいせつなことを教えてくれています。
神々でさえ、完全に完璧に成長してから、男女のまぐあいを持ったのです。
ましてや、神々の子孫である我々人間は、男女とも当然に完全に成長してから、交合するものだということを教えているからです。
つまり、親の脛かじりで、まだ勉強中の身上では、男女のまぐあいはするものではない。
もっとしっかり勉強し、体を鍛え、互いに完璧に成長してから、結婚しなさい、というわけです。

つまり「きみ」というのは、男と女、それも「成り成りた男女」をあらわします。
男女が「なりなりた」ことは、本人たちに喜びがあるだけでなく、親や親戚、教師など、周囲の者たちの喜びでもあります。
そしてまた、「完全に完璧な成長」は、尊敬の対象でもあります。
ですから「きみ」は、「完全に成熟し成長した」という、喜びの言葉であり、おめでたい、相手を敬う言葉となったのです。

従って、「きみ」は、「完全に完璧に成長した男女の喜びであり、尊敬し敬愛する人の喜びであり、「きみが代」は、その「愛し尊敬する人の時代」という意味となります。

その「愛し尊敬する人の代」が、「千代に八千代に」と続くのです。


ここまでだけでも、「君が代」とその背景となっている日本文化の素晴らしさがあるのですが、歌はさらに「さざれ石の巌となりて」と続きます。

「さざれ石」というのは、正式名称を「礫岩(れきがん)」といいます。
細かな石が長い年月をかけて固まって巌となった岩石です。

さざれ石
さざれ石


実はこの「礫岩」、日本列島が生成されたことによって生まれた、日本ならではの地勢が生んだ岩石です。
ダメ親父の帝王学

どういうことかというと、日本列島の周辺には、大陸間のプレートがあります。
よく地震が起きる原因となっているといわれている、あの地底プレートです。

そこでは、片方の大陸のプレートが地底に沈み、もう片方の大陸プレートが隆起をしています。
互いに押し合いへしあいしている場所ですから、当然、そこは傾斜しています。
その傾斜地に、プレートで運ばれてた小石が堆積する。
そして何万年という長い年月が経つ。
堆積した小石は、大陸プレートのものすごい圧力に押されて、石と石がくっついていきます。
そして大きなかたまりの岩石になる。
やがてその傾斜地が地殻変動で隆起し、地上に出て山脈となります。
その山脈で見つかるのが、礫岩、すなわち「さざれ石」です。

まさに「さざれ石の巌と」なることは、それこそ何千年、何万年という、とほうもなく長い年月を必要とします。
昔の人が、そんな地学の知識をもっていたかはわかりませんが、ただ、礫岩を見て、長い年月をかけた自然の偉大な力には畏怖を感じたことでしょう。

同時に、とほうもない、何百年、何千年、何万年という寿命は、人間にはありません。
にもかかわらずさざれ石が巌になるまでというとほうもない年月、互いに協力しあうということは、何を意味しているのでしょうか。

ここにも深い意味があります。
日本では古来、人は生まれ変わるものと信じられてきました。
肉体は老い、死を迎えても、魂は再び人となってこの世に生まれる。

つまり、「さざれ石の巌となりて」は、「生まれ変わって何度でも」という意味としてもとらえることができます。

そして忘れてならないのは、さざれ石は、小さな小石が結束して大きな岩石となっているという点です。
ひとつひとつは小さな小石でも、大きな力でみんなで団結したら、それは大きな「巌」となる。
つまりさざれ石は、「きみ=男女」の結束、そして生まれて来る子供達や新たに親戚となる者たちなど、そのすべての人々が、大きな力のもとで固く固く団結しあい、協力しあうことの象徴でもあります。


そして最後に「君が代」は、「苔のむすまで」と締めています。

苔は、冷えきったり乾燥しているところには生えません。
濡れていて、水はけの良いところに生育します。カビとは違うのです。
つまり、濡れたものと、固いものがしっかりと結びついたところに苔は生えます。

【苔のむすまで】 むすとは天地に最初に現れた3柱の神のうちの2柱、タカミムスヒ­、カミムスヒのムスを指します。
タカミムスヒとカミムスヒには性別はなくムスと言う字にコがつく­と『ムスコ』になりメが付くと『ムスメ』になります。
また、『苔のむす』のむすを漢字で書くと『生す』と書き、生すと­は子供を養い育てると言う意味があります。
つまり、苔は永遠に存在するものではなく、その中で新しい生命が­誕生し、古いものが死に徐々に広がりをみせます。 
子孫繁栄を示しているのです。 日本の神道の中心にあるのは生むではなく、育てるということ。 苔の生すまでとは、古いものが土となり、新しいものを生み、育て­繁栄しましょうという意味なのです。

すなわち「苔」は、「きみ=男女」が、互いにしっかりと結びつき、一緒になって汗を流し、涙を流し、互いにしっかりと協力しあい、長い年月をかけて生育する。
それは、男女のいつくしみと協力を意味します。

ですから君が代は、

「きみ」=完璧に成長した男女が、
「代」=時代を越えて
「千代に八千代に」=永遠に千年も万年も、生まれ変わってもなお、
「さざれ石の巌となりて」=結束し協力しあい、団結して
「苔のむすまで」=固い絆と信頼で結びついて行こう

そんな意味の歌である、ということになります。

戦争の象徴だとか、そんな意味ではまったくない。
人の愛と繁栄と団結を高らかに謳い上げた、祝いの歌なのです。

そんな歌が、いまから千年以上前に生まれ、たいへんにおめでたい素晴らしい歌として、勅撰和歌集にも繰り返し掲載され、江戸時代には庶民の一般的な祝いの席の謡曲として、広く普及していたのです。
ダメ親父の帝王学

千年の時を越えて、人々に祝歌として歌い継がれる歌を、我が国の国歌としているということ自体、すごいと思うし、さらにもっといえば、「きみ」の持つ深い意味と、その深い意味が千代に八千代に続く、さらに「苔のむすまで」という男女の愛に、私は、とてつもない日本文化の愛の深さと、あたたかみを感じます。


さて、君が代の歌詞のことを書きましたので、せっかくですから曲(旋律)のことも書いておこうと思います。

いま歌われている君が代の旋律ができたのは、明治の初めの頃のことです。
その頃横浜の英国大使館に、ジョン・ウィリアム・フェントン(John William Fenton)という、音楽隊長がいました。
ダメ親父の帝王学


フェントンは、薩摩藩の依頼を受けて、薩摩の青年たちに吹奏楽を教えていました。
薩摩軍楽隊です。
ダメ親父の帝王学

実はこの吹奏楽団が、日本初の西洋式吹奏楽団です。

なにせ楽器といえば、お琴や三味線、和太鼓、和笛くらいしかなかった時代のことです。
言葉も通じない、五線譜も初めて目にするという日本人に、西洋式楽器の指導をされたフェントンは、さぞかしたいへんなご苦労だったことと思います。

ちなみにフェントンが教えた「薩摩軍楽隊」は、明治元年(1871年)には「日本海軍軍楽隊」へと発展し、これがいまに続く海上自衛隊吹奏楽団に至っています。
ダメ親父の帝王学


そのフェントンが大山巌に、「明治新政府になにか儀礼音楽が必要です」と進言したのが、明治2年(1872年)10月のことです。
「なるほど」とうなづいた大山巌は、数人と相談して、平素、彼自身が愛唱している「薩摩琵琶歌の蓬莱山」に引用されている「君が代」を歌詞として選び、作曲をフェントンに頼みました。

ダメ親父の帝王学

薩摩琵琶歌「蓬莱山(ほうらいさん)」は、薩摩藩でおめでたい席で歌われた定番曲で、歌詞は次のようになっています。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜
めでたやな 
君が恵みは久方の 光り長閑き春の日に
不老門を立出で 四方の景色を詠むれば
峰の小松に雛鶴棲みて 谷の小川に亀遊ぶ
君が代は千代に八千代に
さざれ石の、巌となりて苔のむすまで
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
まさに「おめでたい」の歌です。

ちなみに「蓬莱山」というのは、道教の神仙思想にある支那の山東半島のはるか東方の海にあるとされている、不老不死の仙人が住む架空の島です。(一説によると日本)
かぐや姫の物語(竹取物語)にも「蓬莱山」は、「東の海に蓬莱という山あり」とされ、そこは不老不死で金銀財宝ざっくざくのたいへんおめでたい島として登場しています。
ダメ親父の帝王学
つまり「鳳来山」の歌は、そんなおめでたい島に住んでいるかのように、美しい景色とおいしい食べ物恵まれ、病気になることもなく、人々が不老不死で、互いの幸せが永久に続きますように、という願いを込めた、たいへんにおめでたい歌というわけです。

そしてこの「おめでたい歌」に引用されているのが、まさに平安時代に誕生した「君が代」であるわけです。

フェントンは早速、この歌に旋律をつけたのですが、出来上がりはイマイチ評判が悪い。
コラール風で、アイルランド民謡ぽかったのだそうです。

で、明治9(1876)年に、海軍楽長だった中村裕庸が「君が代」楽譜を改訂したいという上申書を海軍軍務局長宛に提出しました。

ジョン W.フェントンと中村裕庸
ダメ親父の帝王学


中村裕庸は、その上申書にこう書いたそうです。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
(西洋諸国において)聘門往来などの盛儀大典あるときは、各国たがいに(国歌の)楽譜を謳奏し、以てその特立自立国たるの隆栄を表認し、その君主の威厳を発揮するの礼款において欠くべからざるの典となせり。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜

要するに、西洋では大典などの際に、国歌を演奏しているから、日本も国歌を持つべきである、というわけです。

ところがこの上申は、普通に考えるととんでもないことです。
なぜなら、中村裕庸はフェントンの弟子です。
その弟子が、師匠であるフェントンが作曲した君が代はイマイチだから改善したい、と上申したということだからです。

ところが、そこが師匠のフェントンです。
フェントンは、むしろ自分が作曲した君が代よりも、日本が日本文化に適した国歌を、自分たちの手で作曲するということに、逆に深い意義を感じてくれた。
そして、むしろ中村の上申をフォローさえもしてくれたといわれています。
なぜならフェントンは、日本人と親しく接し、日本文化に深く触れるにつれ、日本が好きで好きでどうしようもなく日本を愛するようになっていたのです。

こうして明治政府は、明治13(1880)年、宮内省雅樂課に、君が代の新たな作曲を命じました。
宮内庁雅楽課の奥好義は、フェントンの作曲した作品にさらに改良を加えていきました。

その旋律を、当時最高の雅楽演奏家とされていた一等伶人の林広守が、さらに荘厳しました。

するとこんどは、音楽教師として日本に滞在していたドイツ人の音楽家フランツ・エッケルトが、「和音をつければ、もっと素晴らしいものになりますよ」と、曲に和音を加えてくれました。
>
ダメ親父の帝王学


つまり「君が代」の旋律は、日、英、独の、いわば合作によって生まれた旋律なのです。


その「君が代」について、次のようなエピソードがあります。
日本の代表的作曲家山田耕作氏が、若い頃ドイツに留学していたときのことです。

ドイツの大学の音楽教授たちが、世界の主な国歌について品定めをしました。
結果、第一位に選ばれたのが日本の「君が代」だったのです。

理由は、まず曲の素晴らしさがあったことでしょう。
そして君が代の歌詞に込められた古代の日本人の心を知ったとき、まさに「君が代」は賞賛の嵐となったのです。


「君が代」は、平成11(1999)年に、国歌として法制度化されました。
実は、それまで「君が代」は、明治大正昭和にかけても、国歌とする法はなかったのです。

それでもみんなが「君が代」を国歌と思ってきた。
法があろうがなかろうが、関係ないのです。
幾百年にわたって、多くの人々によって、祝い歌として歌い継がれてきた謡曲が、稀世のメロディを得て、素晴らしい曲となったからです。
法なんてなくても、意味を知れば誰しも自然とこの歌が国歌と思う。
それだけのことです。
そして、そういう「自然にみんながそう思う」ということが、世の中においてとっても大切なことなのではないかと思います。
法があるかないかの問題ではないのです。

♪ 君が代は
  千代に八千代に
  さざれ石の
  巌(いわお)となりて
  苔(こけ)のむすまで
 
 
以上転載終わり。
 
これでも、軍国主義の歌だというのでしょうかね(^^;...

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犬は飼い主を忘れない

フェイスブックからの転載です。
 犬は飼い主を忘れない

先日来院した患者さんから聞いた話しです。
彼女は25年ほど前に、三重県の北西から伊勢に嫁いできたのですが、その彼女がまだ独身の時に、自宅で飼っていたマルチーズが庭に出た隙に誰かに盗まれたのだそうです。

自分からは垣根を越えて出る犬では無かったそうですが、人がまたいで入ってこられるほどの垣根の高さだったとか・
直ぐに警察にも届け、近辺の保健所にも連絡し、辺り一面に張り紙もして、家族中で来る日も来る日も探し続けたそうです。
それはもう何年も何年も、張り紙を新しいのに替えてはずっと探していたのですが、これという情報は全く入ってきませんでした。

そして月日だけが流れて、居なくなってから丁度7年目の時です。ご実家は土木の仕事をされていて、たまたま社長であるお父さんがある現場に出向いたときのことでした。
道路を挟んだ向こう側に、犬が数匹ケージに入れられて並べてあるのですが、...そのケージに入っている一匹の犬が、お父さんに向って異常なほど吠えてくるのだそうです。
その鳴き声はとても人に対して吠えるというようなものではなくて、何かを訴えるような、喉の奥から叫ぶような鳴き声で、尋常な鳴き声ではありません。

それが凄く気になったので翌日も現場に行って、そのケージに入れられている犬を見に行ってみると、白のマルチーズはグレーがかった汚い毛並みになっていて、両目も白内障で白く濁り、とてもあの居なくなったマルチーズとは思えなかったのですが、お父さんが近づくと、ケージの中で狂ったように泣き叫ぶので、試しに犬の名前を呼んでみました。「
 
ジョイ?お前はジョイか??」

すると、犬がまるで「私よ、私よ、お父さん、助けて!!」と言っているように爪が剥がれるばかりにケージを搔いて、白濁した目から一杯涙を流しているのです。

お父さんはこれはあの子に違いないと思って、患者さんでもあるTさんに直ぐに電話して来てもらうと、Tさんの声を聞いた途端、犬はもう失神するかと思うほどの喜びよう。

「間違いない!これは私の犬ジョイだ!」と思って、その店のオーナーに「これは私の犬です。
 
7年前に居なくなって、あちらこちらに張り紙もしています。お宅の近くにも貼ってあったはずですが見てくれなかったのですか?」と問い詰めると、「この犬は道でさまよっていたから私が保護したんだ。
張り紙の犬と同じかどうかは解らない。
例えお宅の犬でも7年間世話したのだから、欲しかった3万円で売る」の一点張り。
仕方なく、3万円を出して、その子を引き取ったのだそうです。

毛もボロボロになって、歯も殆ど抜けていましたが、Tさんが抱き上げると狂ったように啼き、狂ったように舐め、狂ったように尾を振り、身体全身で再会の喜びを表したそうです。

目が見えなくなっていても、犬はお父さんの臭いを覚えていました
 
Tさんを忘れていませんでした。忘れるどころか、どれだけこの日を待ち望んだことでしょう。
どれだけ毎日泣き叫んだことでしょう。でも言葉を持たない犬には、自分の所在を知らせる術もありません。

家に無事戻れたワンコですが、彼女はもう結婚を目前にしていて、この子を残して伊勢に嫁がねばなりませんでした。
お嫁入りと一緒に連れて行きたかったのですが、お父さんにとっても大事のワンコ
最後は慣れ親しんだ家で過させたいということで、そのワンコを置いて伊勢に嫁ぎました。

ある日、お母さんから、その子が危篤だという電話がかかりました
 
店も忙しく直ぐに行くことができなかったのですが、臨月のお腹を抱えて仕事が終わって直ぐに高速を飛ばして実家に帰ると、もう虫の息だったジョイが、Tさんの所にまで這ってきて、見えない目でTさんの顔を覗き、1度尾を振って、彼女の膝の上で事切れたそうです。
待っていたのです。仕事が終わって来てくれるTさんを。7年間諦めずに探し続けたくれた大好きなTさんを。

救出されてからたった2年の寿命でしたが、ジョイは大好きな飼い主の元に戻れました。
 
ですが、世の中にはこうして帰ることもできず事切れていった子たちも大勢います。
 
この話しは25年も前の話ですが、こうして犬や猫が盗まれることは今も続いています。
 
どうか犬を軒先に縛らないで下さい。
 
買い物に連れて行って、電柱とかに縛ったままにしないでください。

犬猫を大切に思う方は、この話しは身にしみます。同じように良かったとホットします。
ですが、この日本では言葉も話せる人間が、子供も大人もある日突然拉致されて、見知らぬ所に連れて行かれ、二度と親にも家族にも会えない人がいるのです。
 
二度と日本に戻れない絶望感に苦しんでいる人がいるのです。
 
そして何百万回いや何千万回「返して!!」と叫んでも、我が子を抱きしめられない親が居るのです。
私たち日本人は決してそれを忘れてはいけないのです。
 
転載終わり。
イメージ 1
 
      
             
私の周り(こんなド田舎)でも、この様な事例は存在する。
いわゆる神隠し...
 
イメージ 2
連れ去られている場合が殆どだろう。
たとえ短い間でも最後は一緒に暮らして欲しい物です。
 
写真はイメージです、本文には全く関係がありません(笑)(^^;...

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YouTubeから
1999年11月22日13時48分
ふたりの英雄は帰らぬ人となった。
 
当時のマスコミはこぞって自衛隊批判を繰り返していたが、別の視点で見れば解ることだが、入間周辺は住宅密集地。
 
トラブルを抱えた航空機を安全に着陸させることがどんなに至難の業か。
 
緊急事態に陥ったとき、何処に落とすか?、パイロットは常に想定して飛んでいると思う。
 
このお二人が最後に思った事をうかがい知る事は出来ないが、住宅密集地から墜落地点を離すことが出来、最後に整備をしてくれた人たちに最後まで機体が立派に動いていてくれたことを伝えたかったのだろう。
 
もうすぐ命日、入間方面に向かって合掌しよう。
ふたりの英雄に。

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こんな記事を見つけた

朝鮮学校の問題で裁判所は理不尽な判決を出したが...
 
こう言うことには警察も無関心なのか?
 
兵士はある意味、有る程度我慢しても、家族や小さい子供達は...
 
引用先            
         
京都地裁は今年10月、朝鮮学校周辺での街宣活動を「ヘイトスピーチ(憎悪表現)」と認定し、違法判決を下した。一部のメディアは、このニュースを喜々として取り上げ、まるで「多くの日本人がヘイトスピーチをしている」かのような印象操作を行った。

 一方で、こうしたメディアが決して取り上げない「ヘイトスピーチ」「ヘイトクライム(憎悪犯罪)」がある。沖縄の米軍普天間飛行場前で、自称・市民活動家らによる嫌がらせである。

 彼らはオスプレイ配備反対などを掲げて、基地のフェンスに無断で赤いテープを大量に巻き付ける抗議活動を展開しているが、テープの中に、ガラスの破片や針金をしのばせている。

 ボランティアでテープを撤去している沖縄教育オンブズマン協会の手登根(てどこん)安則会長は「ガラスで手をケガをした仲間が何人もいる。彼らは、清掃する人間を傷つけようとしている。あまりにも卑劣だ」といい、さらに続ける。

 「問題行為はまだある。彼らは米兵だけでなく、家族や子供たちがゲートを通るとき、複数で車を取り囲み、『ファック・ユー!』などと聞くに堪えない言葉を浴びせている。最近では、ゲート横で脱糞までする嫌がらせをはじめた。日本人として看過できない」

 傷害罪や脅迫罪、軽犯罪法違反などで摘発できそうなものだが、警察は目立った動きをしていないという。米軍側はどう思っているのか。

 在沖海兵隊バトラー基地・政務外交部のロバート・D・エルドリッジ次長は「同盟関係で重要なのは、法的な約束以上に人間同士の信頼関係です。一緒に現状を見てください」といい、私(大高)を車の助手席に乗せてゲートを出てみた。

 すると、中年の日本人男性が車に近寄り、鬼のような形相で「ヤンキー・ゴー・ホーム!」を連呼し、団塊の世代とおぼしき女性2人が「オスプレイ反対!」と金切り声を上げながら、得体の知れない死体写真を車のガラスに押し付けてきた。他の運動家たちは、怒声や卑猥な言葉を発し続けた。私も怖かったが、これを子供が受けたら…と思うとゾッとした。
 
エルドリッジ氏は悲痛な表情で「これが毎日です。もちろん、あのような活動家は日本人のごく一部だと理解しています。しかし、毎日執拗にやられたら、普通の人間は嫌気がさします」と話し、こう続けた。

 「われわれは兵士ですから耐えられます。しかし、家族はそうではありません。勤務地更新のとき、妻や子供たちに『もう日本は嫌だ』とせがまれる兵士が増え、沖縄での更新を希望する兵士は激減しています。毎年、兵士の2、3割が任期を終えて帰国しますが、彼らや家族を日本の友人にするのか、それとも…。日本政府には何らかの策を取ってほしい」

 表向きは平和を叫び、人権を主張しながら、同盟国の兵士や家族などに「ヘイトスピーチ」「ヘイトクライム」を繰り返す市民活動家たち。彼らの許し難い行為を一切報じない一部メディア。その背後で、一体何が暗躍しているのか。

 取材の最後、エルドリッジ氏は「東アジアの情勢は激変しています。私は沖縄が中国にならないよう、願うばかりです」と語った。

 ■大高未貴(おおたか・みき) 1969年、東京都生まれ。フェリス女学院大学卒業。ダライ・ラマ14世や、PLOのアラファト議長などにインタビューし、95年にジャーナリストとしてデビュー。世界100カ国以上を訪問し、潜入ルポなどを発表。著書に「神々の戦争」(小学館)、「冒険女王 女一人シルクロード一万キロ」(幻冬舎)「日本被害史」(共著、オークラNEXT新書)など。
 
引用終わり。
 
どうも、かの国の力が動いているように感じるのは私だけではないでしょう。
やり方がミャンマーやチベットなどと酷似しているからね。
プロバガンダという物は、一見同じ様な地元民と思わせるような工作員を教育して行うのが常。
 
さて...
こう言う輩を増長させたままにしている行政や警察も困った物だ。

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天気予報

今日は台風27号が、10時現在八丈島の南東海上を東進中なのだが...
 
天気予報では26号とほぼ(これがくせ者)同じコースをたどり関東地方にも多大な被害をもたらすと...
 
藤原効果という現象で煙に巻き、当たらなくてもしょうがないというようなマスコミ報道まで飛び出し(^^;...
            
結果はまあおおむね同じ様なコースで被害は少なくてすんだと言うことなんでしょうが...
 
狼少年のような報道で、準備まんたん(笑)待ちかまえていた関係者の肩すかし...
 
実は26号のすぐ後に出来たこの台風が、余り本土に接近しないと教えてくれたのが地元の漁師さん。
 
あらし(時化)にゃあなんねえよ。
と一言。
 
1週間以上も前にこんな事が解るものなんだろうかと思っていたのだが...
 
まあ地域限定ですので、大きな事は言えないでしょうけれども。
 
他の地域の人には悪いとは思いますが、必要な天気情報は地域限定の物。
この地域で海と共に暮らし、板子一枚下は地獄!!という生活をしている人たちにとっては、生き死にに直結する天気情報は昔から必要だったのだから。
             
私も若い頃からそう言う人達に接し、いくらか解るようにはなっても、最長で2日分くらいしか解らない。
 
すべて読み切れるわけでもないし、外れることも多々あるしね(滝汗)
 
命が係っているのと、そうではないのとでは雲泥の差だと思うこの頃。
 
気象レーダーや、スーパーコンピューターを備え、近代の利器を持ってしても地元の漁師には敵わないのか?。
 
気象庁さん、なんなら命の瀬戸際で天気予報やってみない?
そうすれば大島などの人達も、もっと助かったのかも知れないよ。
 
 

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