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「悼む人」という天童荒太さんの小説が王様のブランチで紹介されていました。
天童さんはこの小説を手がけるに当たって、7年もの年月を費やしたらしいのです。
「主人公に自分自身がなりきることによって、より小説を高めていく。」
そんなことを言っていました。
僕はまだこの本を読んでいないので、よくわかりませんが、この本の主人公は事故などで亡くなられた人々を悼むために、実際にその現場へ行って、手を合わせて悼むそうです。
天童さんは実際に同じようなことをやったそうです。
また、主人公の経歴などを作ってノートにまとめたりもしたそうです。
1冊の本を創作するために、そこまでの努力を費やすことは僕にはできないと思います。
強い執念と、並外れた粘り強さがなければ、絶対にできないことです。
そんな甲斐あって、この小説の完成度は非常に高く、王様のブランチの中で松田さんに「21世紀になって読んだ小説の中で、間違いなくナンバーワンだと思っている作品」と言わしめたほどです。
僕の書いた小説なんぞとは、努力から何から天と地の差があるなぁ、と渋々反省しています。
ところで、小説だけに限らず、創作または創造に必要なものとは何でしょうか?
努力だけではないと思います。
Endurance,Inspiration,Ambition,Experience,+Effort
そんな感じでしょうか。
努力は絶対条件だと思います。
天童さんは努力が他の要素に対して絶大な影響力を及ぼし、あれだけの作品が作れたのだと勝手に思っています。
話は変わりますが、僕の友達にこんなこといってる人が居ます。
「俺には勉強の才能がない。」と。
ただ、そういう人に限って諦めているかどうだか知らないけれど、大体勉強不足の人が多いような気がします。
進学校には確かに、勉強しないでも頭がものすごく良い人も居ます。そういう人を見て、僕の友達は自分は非才な人間だと決め付けてしまったのでしょう。
しかし、それは違うと思う。
「俺には」じゃない「殆どの人には」ではないでしょうか。
殆どの人に勉強の才能なんて無いような気がします。
なぜなら、そもそも「勉強に才能なんてない」と思うから。
勉強しないでテストの点が取れる人は記憶力が良い。それが究極的な理由です。
記憶力は子供の頃の生活によってある程度個人差が出てくると思います。
僕の経験上では、小学生の1〜3年くらいまでの間に物事をたくさん覚えた人は記憶力が良いと思います。
才能なんかじゃない、経験の違いです。
そういわれても、結局「努力しないで点が取れる」という事実に変わりは無いので、不満に思うかもしれませんが、「努力しないで点が取れる」ということは努力という要素がその人には欠けているのです。
創作、創造については、先ほど英語で書いたものの中から努力が消えてしまうことになります。
学校という小さな共同体から、社会という大きな共同体へ進出する人々にもっとも必要とされるのが「文字通りの学歴」という時代は終わりつつあります。
実際、ある新聞社が行った企業への「新人に求めるものは?」というアンケートに対して「学歴」と答えた企業は約40社中2社だったそうです。
とはいっても、本音と建前は勿論あるので、未だに多くの企業が学歴を求めていることは確かです。
しかし学歴とは何を評価するために存在する価値観なんでしょうか?
「学歴=努力」ではないでしょうか。
例えば、東大を出た人と偏差値30のスカイブルー大学(勝手に作った。)を出た人でどちらが多くの努力を積んだかといえば、まず東大を出た人でしょう。
だから企業は東大を出た人を採用する。
つまり、企業が求めるのは学歴そのものではなく、努力だと思うのです。
そこへもってきて、「努力を忘れた点取り屋」は果たして社会で活躍できるでしょうか?
そりゃ、いい大学へは行けて、いい企業に入社できるかもしれません。
しかし企業が求めたことに答えられなければ問題外です。
そんな人が社会で活躍できるとは到底思えません。
ここで言っておきたいのは、何も「努力=やる気」ではないということです。
やる気なんか無くても、努力ができて結果が出せていればそれでいいのです。
そして、努力ができる人には必ず結果は何らかの形でついてくるものです。
天童さんは努力のできる人でした。
だから結果がついてきた。
だから小説家として一流になることができたのだと思います。
話がまとまっていませんが、そろそろ風呂なので失礼します。
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