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箱根駅伝

明日箱根駅伝ですね。
昨年もこの大会はテレビを通して拝見させていただきました。

一番印象に残っているシーンが上り坂で順天堂大の選手が脱水症状に陥ってしまったシーン。
彼は、もう限界なのに必死に立ち上がろうと頑張っていました。
その姿がすごく目に焼きついています。
また、それと同時に監督の姿もとても印象深く残っています。

本当に感動的なシーンでした。


今回の箱根もそんな人々に感動を分け与えることができるようなドラマが生まれればいいなと思います。
選手の皆さん頑張って!
特に、順天堂大の選手の皆さん頑張って!!

理想と現実

あけましておめでとうございます。
今年もお年玉に期待しているスカイブルーです。


目標を定めるとき、何を基準にして定めるのがよいでしょうか?
現実を基準に定める人、理想を基準に定める人
成功するのはどちら?

目標を定めてから実行すまでの期間にもよるけれど、仮に3年間とした場合、成功するのは後者ではないでしょうか。
現実を基準に目標を定める人が何故成功しないのか?
それは、多くの人が「向下心」を持ってしまうからだと思います。
例えば、東大行きたいけど俺の実力じゃ無理だから早慶にしよう
少し経って、早慶もちょっと難しいかもしれない・・・、よしMARCHだって立派な大学だ!
また少し経って、MARCHもダメかもしれない・・・、地方の国立にしよう・・・。

こんなふうに、その時の自分の現状に相対して目標を下げていく。これを向下心と呼びます。
目標を定めることに関する現実主義者の大半がこれをもってしまうのだと思います。

しかしながら、理想を掲げ目標に立ち向かう人は違います。
現実を見ないから、向上心を抱いてどんどん昇ってく。
しかし、全く現実を見ていないのかと言うと、そうではないのです。
両者に異なるのはスタートダッシュ。
理想を基準に目標を定める人は、希望を抱き、努力できるものです。それ故に、向上心が自然に宿ります。
一度向上心がついてしまえば、あとはこっちのもの。
いくら現実を突きつけられようが、努力できる人間は努力できる。
そして、仮に目標にとどかなかったとしても、それよりちょっと下の目標なら容易に達成できる。
高い目標に対する努力には、サブ的な結果は常についてくるものだと思います。

しかし、理想を基準にして目標を定めた人が陥りやすい穴は、いつまでも理想に固執してしまうことではないでしょうか?
時間というものは時に残酷です。人間どうしたって現実を直視しなければならない瞬間がやってくる。
「現実を直視する」ということは必ずしも悪い意味ではありません。
しかし、現実を直視する時に、どうしたって目標の達成が無理と推測されたなら、現実に従わねばなりません。
そしてこの瞬間にも両者の違いは現れる。
努力できた人間は辛い現実にもある種の誇りを持てるはずです。
「俺はやるだけのことはやった。だから仕方ない。」会社などではそれでは通用しないような気もしますが、ここではそれ以外のことを考えますね。
努力できた人間には後悔は残りません。
そして、必ず次へと繋がる努力ができる、そういう人間だと思うのです。


ここまでの違いが出てしまう原因はスタートダッシュです。
理想と現実。
どちらもときに必要でときに不必要です。
自分にとってプラスになるような使い方をすることが成功への鍵なのかもしれませんね。

出会いと別れ

今日は中学の頃の友人3人と一緒に晩飯をレストランで食べました。
とても懐かしく、とても楽しい時間を過ごすことができました。

こんな日がいつまでも続けばいいのに。
レストランに居た僕は、明らかに日常の自分とは別人だった。
何もかもから解放され、自由への招待状を与えられたように、羽を伸ばしていました。
幸せな時間でした。そして何より、皆が何も変わってなく、元気で居てくれたことが嬉しかったです。


私はこれから多くの人々に出会うことでしょう。
しかし、出会いは別れへ歩むことに同値です。
だから、誰とも関わりたくない。
なんてのは大きな間違い。

出会うことで何かが生まれる。
別れることで次に歩み出せる。
あらゆる人間のあらゆる価値観はそれぞれ異なるものだから、
私は出会うことで学び、別れることで新たな出会いへの希望を抱くのです。

人はいつか死にます。
私も私の友もそれは同じです。
死ぬときにまた、次への希望を抱けるように。
私という人間が生きた証を誰かの心の中に残せるように。

私は今を生きます。
私は明日へ行きます。
私は未来へ行きます。
私は過去には戻りません。

闇の世界に生きる人々は自ら望んでその世界へと入っていったのだろうか?
闇とは夜という言葉を夜と言う言葉に置き換えると、闇の世界に生きる人々とは具体的にはキャバ嬢やホストをさす。
彼らは自ら望み、その道へと入っていったものが殆どだろうか?
確かに、それらの仕事は悪い仕事ではない。しかし、良い仕事ともなかなか言いがたいような気がする。
その道をわが道としている人はそれでいい。

しかし、その道へ仕方なく入ったものの瞳が僕にはとても悲しく思えてならない。


「愛はお金では買えない」とよくいわれる。
しかし「お金は愛では決して買えない」のだ。
残念ながら、社会を成り立たせている基礎の一つに金はある。
だから、生きていくには働いて金を稼がなければならない。
しかし、それができない人が居る。
そういう人が闇の世界へと引き込まれていく現実は、まるで弱肉強食が秩序としてある自然界のようだ。

これまでは、そうした人々の出現は個々の責任で済まされることが合理化できた。
例えば、「お前がリストラになるのは、お前が結果も出せないのに、だらけているからだ。」
という理由は共同体にも認められ、批判を受けることはまず少ない。
しかしそのような人を組織から除名する際の合理的な理由はそろそろ成立しなくなるのではないだろうか。
現に今、100年に1度の危機といわれているリーマン破綻から始まった一連の金融危機は、日本にも不合理な人為削減をもたらした。
多くの労働者が不条理な理由で解雇されている。
かつての世界恐慌のように、街に失業者が溢れる自体が今再び起ころうとしている事実は真摯に受け止めなければならないだろう。
そしてそういう人たちが職を求めて闇の世界に引き込まれていくという現実もまた真摯に受け止めなければならない。

闇の世界への就職者が増えていったら、一体世の中はどうなるだろう?
夜の仕事をしている人々が社会という共同体に害を及ぼすということは殆どないが、麻薬の売人などの、法律に触れる職業へと引き込まれていった人々が今後増え続けたら、一体どうなってしまうのだろうか?

そういう未来を招かないために今すべきことは、失業者や社会的弱者に対しての受け皿を作ってやることではないだろうか。
単純すぎる答えだが、やたら難しい制度や法律を導入するよりは、誰もが簡単に理解できる救済方法が最も適していると考える。
新たな就職口を作ってやることで、闇の世界へと引き込まれないようにしてやることが重要だ。

例えば、思い切ってそういう人々には日本の各地に広がった農地などで農業をしてもらうとか。
農業人口が不足しているなら、職のない人に農業をしてもらえばいい。勿論、希望制で。
これは、素人の意見なのであまり気にしないでくださいね。

いずれにしても、今のような状況は変えなければならない。
しかし、現時点では何も変わっていない。
私達にできることといえば、まずは知ることから。
闇の世界のみだけでなく、ホームレスと呼ばれる人々も同じ状況下で生きている人も多い。
そういう人々の現実を知ることから、状況を打破する狼煙を上げることができるのではないだろうか。

支配

人間というものは特殊な生き物だ。

他の動物が持ってい色々な能力を兼ね備え、それをうまく用いて生活している。

しかしそれが故に、何か盲点となっているものはないだろうか?

我々は考えるべきことを考えずに、毎日を過ごしてはいないだろうか?


人間は他のあらゆる物に対して支配的な態度を取りたがる。

科学技術の発展はその支配領域を拡大してきたといえるだろう。

生きていくに仕方のないことだとしてもだ。我々は他の動物を食べている。

食べられる側は何も知らずに捕らえられ、いつの間にか殺される。

しかし逆はありえない。

人間が他の動物に食べられることなんてのはまずない。

そんなに人間は偉いのだろうか。

と、言ってる僕も今日の晩飯で魚を食べた。

「お前も結局同じじゃないか。」

そういわれて、反論はできない。


人間はいつの間にか、自然を支配するようになってしまった。

かつては自然に支配されていた身分であるのにも関わらず、利己的な下克上を起こしてその主従関係を逆転させてしまったのである。

これは言うまでも無く、まずいことだろうが、もっとまずいことは我々がそれに対して無意識だいうことである。

不都合なことを考えない能力も、人間が兼ね備えている能力の1つと言えるだろう。


確かに、人間は色々な能力を持つ。

しかしそれ故に、盲点となっているものもあると思う。

自分達人間にとって不都合なものも真摯に受け止め、生きていくことが必要ではないだろうか。



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