skyblueの戯言集

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人生

人は叶わぬものほど切実に求めてしまう。

心の中では感覚的にわかっている。

あれはどう考えても無理だ。俺には到底届かない。

そんなふうに思っていても、やはり諦めきれないのだ。

でも、ひょっとしたらできるかもしれない。手が届くかもしれない。

根拠も何もない、無謀なチャレンジ精神に体を奪われる。


何故なんだろう。何故そうまでして人は自分にとっての光を求める?

自分にとって、理想だから? 自分が幸せになれるから? ただの自己満足?

少し違うと思う。

その光こそが、一種の夢だからだ。

あの人とただ一緒に居たい。あの人を助けたい。世界を変えたい。

その中で、あわよくば自分も幸せになりたい。


そんな数々の夢こそが、今は全て届かぬ光なのだ。

どうしたら、近づける? どうしたら手が届く?

そう考えたとき、答えを出せるだろうか。



『「真相」は分からない。
それを無理に追うよりも、曖昧さの薄闇の中に、物事をおぼろなままで放置せよ。
そこにあるおぼろな形が人生なのだ。』


人生という言葉を夢と言う言葉に置き換えたい。

夢はまだはっきりとはわからない。

それが叶う瞬間は、案外突然だったりするだろう。

届かぬものに手が届いてしまう時は瞬時に終わる。

だから、我々はその一瞬を信じて諦めることをしないんじゃないか。

暗闇の中で発せられる光は美しい。夢もまた光なら、それは思っているほ遠くにはないのかもしれない。

暗闇の中で心がネガティブになっているだけなのかもしれない。

「どうしたら、近づける? どうしたら手が届く?」

答えは、「発想の転換」

もっと、ポジティブにオプティミズムで人生を見よう。



言ってる事わけわかりませんが、とりあえず飯食ってきます( ^0^)_D イタダキマース

勝負論

社会においての生活に直結する勝負



趣味に近い、例えば将棋などの勝負

は、少しというかだいぶ違うような気がする。


決定的に違うのは、第一に、前者の相手は不特定多数の場合が多く、後者の場合は常にひとりである点だ。

第二に、前者は生活に深く関わるのに対して、後者は生活とは全くかかわりが無いという点だ。


この2点において、同じ勝負事とはいえ、この二者は全く異なる。

では、どちらの勝負が我々にとって良いものであるのか。

それは、本来各々が決めることであって、絶対的な決定権は誰も有しない。


しかしながら、個人的な意見だが、私は後者を人生の生きがいとしたい。

なぜなら、生活に深く関わる勝負事において、相手に敬意を表することがはたして可能だろうか。

また、そんな勝負事を、普通の精神でやってられるだろうか。


勝負とは勝てば良いものというわけではない。無論、十ヶ条で述べたとおり、「勝てば官軍、負ければ賊軍」なのであるが、勝者には果たすべき義務がある。

それは、敗者へのいたわりなのだ。

将棋の対局終了後に何故感想戦をするのか。それは、敗者へのいたわりも含んでいることなのである。


こういうことができないものはどんどん腐ってく。

それが、今の社会。

相手の企業のことを考えないで、自分の利益だけ考える超結果重視の社会。

そんなとこでやってることは、僕は勝負とは認めたくない。

それでは、腐るのは当然だから。

私的な勝負の十ヶ条

一、 油断したら負け。



二、 実力差は関係ない。勝負はいつも紙一重。



三、 勝負中は冷酷に、そして相手に敬意を表さなければならない。



四、 どんな時も冷静に。



五、 勝てば官軍、負ければ賊軍。



六、 勝負後に言い訳を口にする者は、戦士としての資格は無い。



七、 勝負後に相手を恨む者は、人間としての資格は無い。



八、 勝負は勝負、私生活は私生活。



九、 勝って得るものは勝利だけ。負けて得るものは数え切れない。



十、 勝負こそが人生の生きがいだ。

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