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久しぶりに

久しぶりのまともな更新です。

最近自分は何のために勉強しているのかがわからなくなりました。
僕はには将来の夢というものがなく、漠然とした人生設計しかないので、何のために今自分はこんな勉強しているのか、しなければならないのかと思うようになりました。

もしかしたら、自分は勉強以外の道で生きていくべき人間なのではないだろうか。
そんなふうにも思ってしまいます。


僕の周りの友人達はほとんど夢というものがあって、それに向かって走ってます。
つまり、きちんとした目標があって、その目標を達成するために勉強できているということです。


だったら、その目標がない人間はどうしたらいいんだ?
ただ単に、「自分の満足できる人生を送る」ということを漠然と思っていて、じゃあ何の仕事するの?
と聞かれたら答えられない僕みたいな人間はどう生きればいいんだろうか。


中3まではプロ棋士になりたくて、でも努力が足らなくてなれなくて、それっからずーーーっと自分のやりたいことが見つからないんです。
そして、今後も見つかる自信がないです。
今勉強することは勿論大事。
しかし、視界ゼロの霧の中を突っ走ることは、場合によっちゃ自殺行為だ。
人生ってのはホントにわからないことが多いものです。


すみません、久しぶりのまともな更新だって言うのに愚痴言って。
悩みってわけじゃないんですが、周りと自分を比較すると、どうしても焦ってしまい、日常生活では口に出せないことをネットに吐き出しました。
なので、どうぞ聞き流してください。
すみませんでした。。。

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戦略的〜

ド・ド・ド・ド・ド素人が語ります。
あまり気にしないでください。


最近よく聞くようになった「戦略的」という言葉。
例えば、戦略的マーケティング理論、戦略的IT理論などなど。
「我が社にとって、単なるIT理論など無意味だ。我が社の発展には戦略的ITが不可欠だと思うのだが、君はどう思う?」
だいたいこんな主旨のことを言っているCMがありました。
CMではこの人は、鳥にたずねているのですが・・・。

そんなことより、戦略的ITって何?
変化する周囲の環境に適応したIT理論を打ち出すものと一言に言ってよいものか。(それが正しいのか。)
また、戦略的マーケティング理論もその時の環境に適応して価格設定などを変動させたりする仕組みらしい。
戦略的マーケティング理論には、商品価値そのものに値段をつける形態などのマーケティング・マネジメントと呼ばれる体系が包含されているらしい。

戦略的マーケティング理論は資本主義が生み出した理論だと思う。
そしてその裏には、企業理念が大きく関係しており、それに見合った資源も必要だろう。
具体的には、人的資源、財政的資源、情報的資源、物質的資源とでも呼ぶのだろうか?
しかし、もう1つばかり忘れちゃならんものがあると思う。

「顧客的資源」

僕は4つの基本資源のほかにこれを加えてみたい。
戦略的マーケティングといっても、的外れなものでは意味がない。
自分達が相手にしている顧客が求めているものとは何か。
何だったら求めてもらえるのか。

企業は顧客さえも支配していなければならないと思う。
社会が求めるものは随時変化し、それに対応するために打ち出されたものが戦略的マーケティングというのだろうが、それが長く続くだろうか?
成長していく者は先の読めるものだ。
企業は「次世代の顧客」が求めるものを予想し、それに見合った製品開発、市場の創造をしていかねばならないと思う。
しかし、そうは言っても、予想するなんて容易な事ではない。
だからこそ、企業はある程度顧客を支配しておくことが必要になると思うのだ。

まずは、顧客を知ることから。
何事においても必ずサイクルがある。
顧客の求めるものは随時変化するが、時に重複するものが必ずあるのだ。
キーポイントとなる点を見つけ出し、それをデータ化し次世代の顧客が求める商品を予想する。
これが実現されれば、企業の利益は増していくことだろう。

故に、「顧客的資源」というものは大切だと思う。


さてまぁ・・・・
マーケティングとかの知識がゼロな僕がこんなことを書いてしまいましたが、ちゃんと筋道が通った文章になったでしょうか・・・。不安でいっぱいです。

ということで、僕はもう寝ます。。。

理想と現実

あけましておめでとうございます。
今年もお年玉に期待しているスカイブルーです。


目標を定めるとき、何を基準にして定めるのがよいでしょうか?
現実を基準に定める人、理想を基準に定める人
成功するのはどちら?

目標を定めてから実行すまでの期間にもよるけれど、仮に3年間とした場合、成功するのは後者ではないでしょうか。
現実を基準に目標を定める人が何故成功しないのか?
それは、多くの人が「向下心」を持ってしまうからだと思います。
例えば、東大行きたいけど俺の実力じゃ無理だから早慶にしよう
少し経って、早慶もちょっと難しいかもしれない・・・、よしMARCHだって立派な大学だ!
また少し経って、MARCHもダメかもしれない・・・、地方の国立にしよう・・・。

こんなふうに、その時の自分の現状に相対して目標を下げていく。これを向下心と呼びます。
目標を定めることに関する現実主義者の大半がこれをもってしまうのだと思います。

しかしながら、理想を掲げ目標に立ち向かう人は違います。
現実を見ないから、向上心を抱いてどんどん昇ってく。
しかし、全く現実を見ていないのかと言うと、そうではないのです。
両者に異なるのはスタートダッシュ。
理想を基準に目標を定める人は、希望を抱き、努力できるものです。それ故に、向上心が自然に宿ります。
一度向上心がついてしまえば、あとはこっちのもの。
いくら現実を突きつけられようが、努力できる人間は努力できる。
そして、仮に目標にとどかなかったとしても、それよりちょっと下の目標なら容易に達成できる。
高い目標に対する努力には、サブ的な結果は常についてくるものだと思います。

しかし、理想を基準にして目標を定めた人が陥りやすい穴は、いつまでも理想に固執してしまうことではないでしょうか?
時間というものは時に残酷です。人間どうしたって現実を直視しなければならない瞬間がやってくる。
「現実を直視する」ということは必ずしも悪い意味ではありません。
しかし、現実を直視する時に、どうしたって目標の達成が無理と推測されたなら、現実に従わねばなりません。
そしてこの瞬間にも両者の違いは現れる。
努力できた人間は辛い現実にもある種の誇りを持てるはずです。
「俺はやるだけのことはやった。だから仕方ない。」会社などではそれでは通用しないような気もしますが、ここではそれ以外のことを考えますね。
努力できた人間には後悔は残りません。
そして、必ず次へと繋がる努力ができる、そういう人間だと思うのです。


ここまでの違いが出てしまう原因はスタートダッシュです。
理想と現実。
どちらもときに必要でときに不必要です。
自分にとってプラスになるような使い方をすることが成功への鍵なのかもしれませんね。

出会いと別れ

今日は中学の頃の友人3人と一緒に晩飯をレストランで食べました。
とても懐かしく、とても楽しい時間を過ごすことができました。

こんな日がいつまでも続けばいいのに。
レストランに居た僕は、明らかに日常の自分とは別人だった。
何もかもから解放され、自由への招待状を与えられたように、羽を伸ばしていました。
幸せな時間でした。そして何より、皆が何も変わってなく、元気で居てくれたことが嬉しかったです。


私はこれから多くの人々に出会うことでしょう。
しかし、出会いは別れへ歩むことに同値です。
だから、誰とも関わりたくない。
なんてのは大きな間違い。

出会うことで何かが生まれる。
別れることで次に歩み出せる。
あらゆる人間のあらゆる価値観はそれぞれ異なるものだから、
私は出会うことで学び、別れることで新たな出会いへの希望を抱くのです。

人はいつか死にます。
私も私の友もそれは同じです。
死ぬときにまた、次への希望を抱けるように。
私という人間が生きた証を誰かの心の中に残せるように。

私は今を生きます。
私は明日へ行きます。
私は未来へ行きます。
私は過去には戻りません。

闇の世界に生きる人々は自ら望んでその世界へと入っていったのだろうか?
闇とは夜という言葉を夜と言う言葉に置き換えると、闇の世界に生きる人々とは具体的にはキャバ嬢やホストをさす。
彼らは自ら望み、その道へと入っていったものが殆どだろうか?
確かに、それらの仕事は悪い仕事ではない。しかし、良い仕事ともなかなか言いがたいような気がする。
その道をわが道としている人はそれでいい。

しかし、その道へ仕方なく入ったものの瞳が僕にはとても悲しく思えてならない。


「愛はお金では買えない」とよくいわれる。
しかし「お金は愛では決して買えない」のだ。
残念ながら、社会を成り立たせている基礎の一つに金はある。
だから、生きていくには働いて金を稼がなければならない。
しかし、それができない人が居る。
そういう人が闇の世界へと引き込まれていく現実は、まるで弱肉強食が秩序としてある自然界のようだ。

これまでは、そうした人々の出現は個々の責任で済まされることが合理化できた。
例えば、「お前がリストラになるのは、お前が結果も出せないのに、だらけているからだ。」
という理由は共同体にも認められ、批判を受けることはまず少ない。
しかしそのような人を組織から除名する際の合理的な理由はそろそろ成立しなくなるのではないだろうか。
現に今、100年に1度の危機といわれているリーマン破綻から始まった一連の金融危機は、日本にも不合理な人為削減をもたらした。
多くの労働者が不条理な理由で解雇されている。
かつての世界恐慌のように、街に失業者が溢れる自体が今再び起ころうとしている事実は真摯に受け止めなければならないだろう。
そしてそういう人たちが職を求めて闇の世界に引き込まれていくという現実もまた真摯に受け止めなければならない。

闇の世界への就職者が増えていったら、一体世の中はどうなるだろう?
夜の仕事をしている人々が社会という共同体に害を及ぼすということは殆どないが、麻薬の売人などの、法律に触れる職業へと引き込まれていった人々が今後増え続けたら、一体どうなってしまうのだろうか?

そういう未来を招かないために今すべきことは、失業者や社会的弱者に対しての受け皿を作ってやることではないだろうか。
単純すぎる答えだが、やたら難しい制度や法律を導入するよりは、誰もが簡単に理解できる救済方法が最も適していると考える。
新たな就職口を作ってやることで、闇の世界へと引き込まれないようにしてやることが重要だ。

例えば、思い切ってそういう人々には日本の各地に広がった農地などで農業をしてもらうとか。
農業人口が不足しているなら、職のない人に農業をしてもらえばいい。勿論、希望制で。
これは、素人の意見なのであまり気にしないでくださいね。

いずれにしても、今のような状況は変えなければならない。
しかし、現時点では何も変わっていない。
私達にできることといえば、まずは知ることから。
闇の世界のみだけでなく、ホームレスと呼ばれる人々も同じ状況下で生きている人も多い。
そういう人々の現実を知ることから、状況を打破する狼煙を上げることができるのではないだろうか。

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