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魅力的人間像

後悔の無い人生を歩んでいる人なんて居ないだろう。

あの時、こうだったら、ああだったら。

もっと頑張っていれば。あんなことさえしなければ・・・。


そんな呪縛のようなものに縛られて我々は生きている。

しかし、その呪縛は時に自分という人間を成長させてくれるものだ。

それ故に、後悔を持たぬ人など居ないのだ。


僕は最近自己嫌悪。

何故、こんな魅力の無い人間になってしまったんだろう。

中学時代、もっとまともな学生生活を送っていれば・・、そしてもっと遊んでいれば・・。

そして、あんなことさえしなければ。


人の性格は変わり難いというが、本当は簡単に変わってしまう。

その人にとって重大な出来事が降りかかった時、人はあまりにも無力だ。

自己コントロールを忘れ、性格をどんどん変えていってしまう。


「魅力的人間像」そんな言葉を作ってみたい。

僕の友達の殆どは、僕のことを「第二の友達」としか考えていないように見える。

誰かにとって、「第一の友達」でありたい。それは人間が共通に抱く願望だろう。

そんな時、いつも思い出す言葉がこの言葉。

一度形成されてしまった、魅力的人間像は次に重大な出来事が起こるまで変化しない。

それは人によっては宝であり、人によっては呪縛にすぎない。

そんな単純なものが、人のコミュニケーション能力を確定しているように思える。

そして、その人の人間的な魅力と深く関係している。


そんな魅力的人間像。

僕のそれはまだまだ未熟。

頑張ったってどうにかなるもんじゃない。運命的な出来事を待つしか道は無い。


魅力的な人間になりたくて。誰かにとって「第一の友達」になりたくて。

しかし、笑えるほどに、その願いは叶わない・・・。

グリーンマイル

題名は確か「グリーンマイル」

そんな映画随分前にをテレビを通して見たことがある。

いつもは冷酷な私だが、この映画には柄にも無く感動してしまった。

トム・ハンクス主演の映画なのだが、私が一番気に入った点はマイケル・クラーク・ダンカンが演じるキャラクター。

彼はこの作品の出演がきっかけで、アカデミー助演賞にノミネートされ、一躍有名になった。


この映画はアメリカ南部の死刑囚収容所での、死刑囚と看守達との心の交流を描いたものである。

その死刑囚の一人に不思議な力を持つ死刑囚がいた。それこそが、マイケル・クラーク・ダンカン演じるジョン・コーフィなのであった。

看守達はジョン・コーフィとコミュニケーションをとるたびに、彼の罪を疑問視するようになった。

なぜなら、彼の性格がとても犯罪を犯すようなものとは思えなかったからだ。

それに、コーフィの持つ不思議な力とは、触れただけで重病を治せる、数々の人の命を救えるものだった。実際、映画の中で彼は多くの人の命を救っている。

また、彼は触れることで人の心が読めてしまうらしい。


映画の終盤になって、コーフィは主人公トム・ハンクスの手を握り、自らが死刑の対象となった事件の真相をイメージさせた。

そして、やはりコーフィは真犯人ではなかった。コーフィは無実の人間だった。

しかし、もはや死刑は免れない。看守とその家族の誰もがコーフィの死刑を防ごうとした。

しかし、コーフィは死刑になることを望んだ。

「この世界に疲れたんです。」

誰かが、誰かの幸せを簡単に奪う。今も人殺しは耐えない。

そんなことを言って、コーフィは死ぬことを望んだ。


そして、死刑の日。

コーフィの死刑を見ようとたくさんの野次馬が集まる。

怒号鳴り響く中、コーフィは電気椅子の上で死んだ。




「誰かが、誰かの幸せを簡単に奪う。今も人殺しは耐えない。こんな世界に疲れたんです。」

そんな事を、思っている人はきっと多いのではないか。

コーフィの唯一の欠点は諦めてしまったこと。

我々が、人間として生まれてくる確立なんて何億分の一。

人は、自分が思っている以上に強いものだから、何かをしようとすれば、半分できたようなもの。

問題は、どこまで粘り強く追及するか。

だから諦めずに。与えられた人生というグリーンマイルを行き止まりまで歩きましょう。

カシミール問題

カシミールとはパキスタン、インド、中国が領土争いをしている土地です。

話は早くもそれますが、中国がこの争いに介入してくるのはどうかと思います。

パキスタンとインドならまだわかりますが。。。

早くも閑話休題。


さてさて、この領土争いの本当に重視すべき問題は、僕はこの問題が原因で、インド、パキスタンは核を持ってしまった、ということだと思います。

核を持った次は、一体どうするんでしょうか?

周知の通り、おそらく戦争に発展するでしょう。そして、実際印パ戦争は起こってしまった。今は、停戦状態らしいですが、いつ再発するかわかりません。


カシミール問題だけでなく、世界の領土問題に終止符を打つために一番理想的な解決法はどちらか一方が妥協してしまうことです。

しかし、実際にはそんなことは不可能なわけで、現実性が全くありません。

次に、共有の土地にしてしまうという方法がありますが、これもおそらくうまくいきません。

最悪、宗教対立などが起こり、ますます現状の悪化を招くことにもなりかねません。
(イスラム教とヒンドゥー教の対立とかね。)

故に、僕が考える最も最適な解決方法は、思い切って国連の管理下においてしまうことです。

こういった、惨劇を招く可能性のある領土争いには、ある程度強力な力を持って、強制的に解決してしまうほか無い。

国連の管理下に置くことで、終止符を打ってしまうしかもはや、方法は無い。無論、それでさえも難しいことではありますが。


そして、この解決法を世界中に適用したとしたら、それはそれで問題になってしまう。

だから、”惨劇を生み出した領土争いだけ”と特定して管理する必要がある。何でもかんでも、ではまずいですからね。


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眠いので、今日はこの辺で。

あくまでも、浅学非才な僕の意見なのであまり参考にはしないでくださいm(_ _)m

では、zzz

八百長疑惑

大麻やって相撲に泥を塗り、協会から解雇された元力士が八百長を訴えています。

確かに、八百長問題は真か偽かはわかりません。

しかし、私はこの問題気に入らない。

何が気に入らないかって、メディアが。


今回の問題は、メディアの欠点を曝け出しています。

彼らは、面白がって報道している。

大麻やった人間と、普通に相撲に取り組む力士の証言とではどちらが信用できますか?

誰がどう考えたって、後者でしょう。

今回、名指しされた2人の力士はいい迷惑です。

名指しされたおかげで、メディアがたかって普通に生活もできない。

勿論、真偽はわからないから、まだそれに対しては何とも言えない。

しかし、いくらなんでもアホすぎるだろう。


結局、この問題でも、人間の利潤への貪欲さがあらわとなっている。

面白いから、雑誌が売れるから、視聴率が取れるから。。。

今日の昼の番組でコメンテーターがこんなこと言っていた。

「朝青龍は裁判で、講談社側の質問に対して、そんなウソとも取れる適当な発言をしてるってことは、八百長もやってるんじゃないの?」

アホかと言いたくなる。

講談社は朝青龍に対して、裁判とは関係ない取材ともとれる質問を多数した。

無論、それも裁判の常套手段でもあるから、一概に悪いとは言えない。

しかし、裁判慣れしてない人間からすると、自分の気にしていることばっかり裁判で聞かれるのは腹が立つだろう。

そんなこと、ちょっと機転を利かせれば誰だってわかることだ。

それなのに、「朝青龍は裁判で、講談社側の質問に対して、そんなウソとも取れる適当な発言をしてるってことは、八百長もやってるんじゃないの?」

だとか。あまりにも醜かったのでチャンネルを回した。

どんだけ金に貪欲なんだお前らは。「本来の業務を着々と果たせ」と言いたい。


何はともあれ、この八百長疑惑が仮に真であったなら、相撲協会はもう終わりでしょう。

逆に、偽であったなら、大麻力士は社会的に追放され、メディアの欠点も示唆されるでしょう。

だから、僕としては偽であってもらいたい。

何気、僕相撲好きですしね^^;

「昼飯どこで食う?」―「どこでもいい」

「弁当どっち食べたい?」―「どっちでもいい」

「どこ行きたい?」―「どこでもいい」


こういった答えには、しばしば困ります。

相手としては、気を遣って答えてくれているのでしょうが、受けてとしてははっきりと断定して欲しいんじゃないでしょうか。


そう入っても、一線を越えてしまえば単なるわがままになってしまう。

だから「どうでもいい」は一番安全な答えとも言えるのかも知れません。


また、こういった答えが許されるのはプライベートだけです。

例えば、政治の世界でこういった答えをすれば、その人は世間から叩かれる。

「サブプライムローン問題について、大臣はどのようにお考えですか?」―「どうでもいい」

これでは、叩かれるのも納得でしょう。

ここでは、「どうでもいい」は最も危険な答えになっていることに気づきます。


こう考えてみると、「どうでもいい」と相手に選択権を与える答えは、安全と危険の両者を孕んでいると言えるでしょう。

だから、勇気をもって断定してしまったほうが、実は良いのかもしれない。

”わがままの境界線”は敢えて気にせず、はっきりと断定してしまえば、その場はうまくいくことが意外と多いのかもしれません。


話し外れますが、相手に選択権を与えることができるということは、平和の象徴でもあるのかもしれません。

平和だから、そうした楽観的なことが言える。

戦火のど真ん中で「どうでもいい」は言えないでしょう。


今や、いたるところでよく耳にする「どうでもいい」

でも敢えて「こうがいい」と言ってみる勇気も大切なのかも。

逆に、そうでないと社会では生き残れないのかも。

日本はこれから、平和ではなくなっていきそうですしね。




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毎度毎度何が言いたいんだか、よくわからなくてすみません。

もう寝ますzzz



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