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ロシアのニュース動画です。(動画の中のRTはRussia Todayの略です)
以下は動画内の字幕の書き起こしです。 リビアにNATOが軍事介入した理由について、様々な憶測がなされています。その中には、カダフィが目論むドル支配体制打破を、阻止するためだと考えている人達がいます。 市民を守るための戦争だという人達もいます。自国民に対して、攻撃するなど許し難いことです。 リビアの石油を奪う目的だと言う人もいます。 しかし、今回の介入には、背景に通貨問題があると確信している人達もいます。特にカダフィが提案しているディナ金貨の件です。これは実際に金から作られるアフリカ単一通貨であり、これを使用することで真の利益共有となります。 このようなことは、なるべく秘密裏に行わなければなりません。なぜなら、この件で言及した時点で、すでに米ドルからの変更を意味するからです。 2回すでに提案されています。1996年と2000年です。共にカダフィにによって提案されました。 全ての国は興味を示して、特にアフリカ諸国はかなり前向きでした。 軍事介入が始まる一ヶ月前にも、彼はアフリカとイスラムの諸国に対して、この新統一通貨に参加するよう呼びかけていました。ドルとユーロに対抗できるようになるのだから、石油その他の資源はディナ金貨のみで取引を行おう、と。 国の財力の基準を、「ドルをどれだけ流通させているか」から「金をどれだけ持っているか」に変更してしまい、 それにより、世界各国の経済力を均衡させる狙いでした。 リビアは144トンの金を保有しています。イギリスは2倍持っていますが、人口は10倍もいます。 もしもカダフィが、石油などの取引を、新しい通貨を立ち上げるなど、ドル以外で行おうとすれば、現在のシステムを管理している世界中の中央銀行から歓迎されないことは明らかです。その意味からも、彼を権力から追い落とそうとする理由になり得ます。 フセインが、2000年からドルではなくユーロによる取引を始めたところ、制裁措置と軍事介入が続きました。アメリカとしては、OPEC諸国の全てが石油をユーロで取引することを、断固阻止しなければならなかったのです。 イギリスの金はこの場所、英国銀行のどこかに保管されています。 多くの西側諸国は、充分な金を所有していませんが、リビアのような金持国家(GOLD STATE)は違います。ディナ金貨の恩恵により石油で潤うことになったアフリカと中東諸国は、エネルギー資源を求める国々に対して、「値上がりしたら、支払いは金でないと駄目」と言うかもしれません。 このようなことは、アメリカとNATO諸国としては絶対に許せないだろうと思われます。 (書き起こし終わり) ドル取引を外そうとすると、軍事攻撃をされるのか。。 次に攻撃をされるのは、「ドル基軸体制は過去の産物」と明言し、 ドル基軸体制を見直すべきだと主張している中国か。 (以下引用) ドル基軸体制は「過去の産物」中国国家主席 2011年1月17日 http://www.news24.jp/articles/2011/01/17/10174288.html 訪米を控えた中国・胡錦濤国家主席が、アメリカの新聞の書面インタビューに応じ、ドルを基軸とする国際的な通貨体制は「過去の産物だ」と指摘した。 16日までに、「ワシントン・ポスト」などの書面インタビューに応じた胡主席は、ドルを基軸とする世界の通貨体制は「過去の産物だ」と指摘し、見直す必要があると訴えた。また、アメリカが強く求める人民元の切り上げについては、急いで調整を行う考えはないことを強調している。 一方、朝鮮半島情勢については、中国の働きかけで「緊張緩和の兆しがみられる」と分析し、韓国と北朝鮮、双方に対話を呼びかけている。 (引用終わり) そしてロシアと日米が協力して連続で軍事演習。 連続で軍事演習は異例です。 (以下引用) ロシア、日米と連続演習 中国の軍拡けん制 2011年9月1日 http://www.nikkei.com/news/category/article/g=96958A9C9381959FE1E3E2E6938DE1E3E2EAE0E2E3E39F9FEAE2E2E2 ロシア太平洋艦隊が9月上旬から日本、米国と連続して合同演習する。ミサイル巡洋艦ワリャークを投入し、海上自衛隊と日本海で海難救助演習を実施。京都府舞鶴に寄港した後、米軍との演習の舞台であるグアムに向かう。ロシアは台頭する中国をにらみ、安全保障面で日米との関係強化を狙う。 ロシアが日米と連続して演習するのは異例。米海軍との軍事演習にあわせ、ロシア側が日本に人道的な訓練の実施を働きかけた。日米との一連… (引用終わり) そう遠くない将来に、第3次世界大戦(WWⅢ)が始まってしまうのだろうか。。 |
リビア
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(参考サイト)
リビア革命に見る歴史の発展 http://blog.goo.ne.jp/afghan_iraq_nk/e/9c924624d78cef5a898f16b0f5214666 抜粋 チュニジアやエジプトとは桁違いの豊富な石油収入があり、王制打倒の革命後はそれを一定国民にも分配してきたはすのリビアで、何故、前二国と同種の食糧暴動が広がったのか、ずっと疑問に思っていました。 そして、今や自国民を爆撃するまでに堕落したリビアのカダフィ政権が、もはや「社会主義」や「アラブ民族主義」とも無縁の、ただの独裁政権にしか過ぎない事が次第に明らかになりながらも、その一方で、かつての王族によるカダフィ批判に対しても、「国民の困窮を他所に石油収入を独占していた輩が、何を今頃になって民衆の味方面しているのか」と、ずっと違和感を抱き続けていました。 カダフィは悪者に仕立て上げられているのか? いや、多くの人々を殺しているのは確かだと思いますが、 過去にリビアを支配していた金の欲に眩んでいた輩が、 「民主化デモ」という流れを利用して、 カダフィを倒そうと考えていた構図も考えられなくはないような気もします。 ベンガジは、1969年のカダフィによるクーデターの後に首都がトリポリに移されるまで、リビアの首都でした。当然、当時の王族やリビア東部の大部族、イタリアの植民地政策に抵抗した英雄を輩出したイスラーム教団の政治的・社会的基盤が非常に強かったわけです。だからこそカダフィとその同志達は、1969年の革命が成功した際に首都をリビア西部沿岸のトリポリに移したわけですが、それ以来ベンガジではリビア政府に対する不満がたまっているといわれています。 オイルマネーのバラ撒きのおかげもあり、ベン・アリやムバーラクのように、国民の貧困を改善しないままカダフィと家族だけが富を私物化しているという批判は、国内ではそれほど聞かれません。とはいえ、革命から間もない70年〜80年代には、「ジャマーヒーリーヤ思想」に代表されるラディカルな思想を国民に押し付け、思想統制や焚書を行い、多くの政治犯や亡命者、さらには革命の同志までもを処刑したことも事実です。 例えばJETROは1981年の報告書で、「カダフィは「北アフリカの空隙地帯」「存在しない国」と言われていたこのリビアから、まさしく存在する国家を作り上げ、リビア人に地域主義や部族主義よりも一国の国民としての感情を優位に立たせることに成功した 」と述べています。 カダフィとリビア政府は弾圧によってリビア国民を苦しめてきただけではありません。カダフィが断行した石油産業の国営化と石油価格のつり上げは、国家収入を劇的に増加させました。革命前の5年間の石油収入合計は約6000億円であったのに、革命後の5年間の合計は2兆円となったのです。 政府は民衆の側からの自発的な組織と発言を厳しく禁じる代りに、オイルマネーによって家、自動車、病院、工場など国民が必要とするものを整備し、民衆の生活は確実に向上しました。教育制度も整備され、授業料は無料となったために識字率は大きく上昇したといわれます。 さらに、そのようにして文脈から切り離され「アラブの狂犬」「狂った独裁者」とレッテル付けされた「カダフィ大佐」の動向をリビア人全体の表象として捉えてしまうと、そこからは極めて一面的なリビア像しか描かれ得ないと考えています。 過去の首都のベンガジと現在の首都のトリポリの関係は、 今のリビア情勢を見る上では欠かせないようです。 カダフィによって、リビアの生活水準は向上したのかも知れませんが、 自発的な発言を禁じたり、反政府勢力には徹底的に弾圧するという姿勢は異常です。 そこまでしないと国民を抑えられなかったのか。 なにか、どこかの大国と似ているような気もします。。 カダフィも要するに当時はアラブ民族主義の旗手の一人として颯爽と登場し、また歴史的にもそれなりの役割もあり、また彼自身もそれなりの理想を有していたと思います。 しかし、その後、アラブ民族主義などと言う旗印そのものが歴史的役割を終了し、独裁体制を維持するイデオロギーに堕落して行ったのではないかと、と言うことです。 要するに、かつてのスターリン・毛沢東やアラブの指導者と同じく、「ミイラ取りがミイラになってしまった」という事でしょう。 革命の波がベンガジなどのリビア東部から始まったのも、その背景には植民地時代からの部族・地域対立がある。 王制時代は国王出身地として優遇されていた東部が、カダフィ政権によって冷遇され続けた事への反感が、革命の原動力となったのだ。 だからと言って、「昔の旧ソ連や帝政・王制時代の方が良かった」で終わっていたのでは、単なる懐古趣味でしかない。 大事なのは、「もっと幸せになれる世の中に作り変えていかなければならないし、それは今回の革命からも明らかなように、充分可能だ」という事です。 リビア西部にも広がった革命の波が、カダフィの限界をも乗り越える事が出来るかどうか、非常に気になる所です。 カダフィを追い出した後、リビアはどのような国家体制になり、どのような道を歩んでいくのでしょうか。。 |

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(参考サイト)
中東・イスラーム諸国の民主化 http://www.l.u-tokyo.ac.jp/~dbmedm06/index.html 抜粋 リビアの正式名称は、「大リビア・アラブ社会主義人民ジャマーヒリーヤ」である。ジャマーヒリーヤとは、文字通り「直接民主主義体制」を指し、選挙によって選ばれた国民の代表による政治ではなく、18 歳以上の国民すべてが直接国政に携わるという政治システムである。 政府も議会も否定し、その意味で厳密にはリビアには国家元首も存在しない。国家の基本は家族・部族であり、それが共同体(ウンマ)を形成し、「国家」を支えている。この国家の中心にあるのが全国人民会議で、地方人民会議の代表や各界代表者が加わり約1,000名からなる「全国人民会議」が構成されている。 このような人民大衆(ジュムフール)の究極の集合体であるジャマヒール(ジュムフールの複数形)による支配体制を、カダフィは地上初の先駆的で歴史的な試みであると胸を張る。だが、事実上カダフィが革命指導者(元首)として君臨して最終決定権を有しており、「全国人民委員会」はその意向に従う付属機関に他ならない。 リビアの正式名称が長いなんて知りませんでした。 リビアは選挙が無いんですね。 「直接民主主義体制」を目指したが、決定権を持つ人が必要になり、 結果的に「独裁」になってしまった。 他に類をみないリビアの現在の国家形成は、過去に経験した歴史的経緯にその起源があるとしばしば指摘される。1951年12月、サヌーシー教団のイドリース1世を元首とする王国として独立したが、リビアは長くイタリアの統治下にあり、第二次大戦後は国連の管理下にあった。 イタリアは、青年トルコの革命(1908年)によって弱体化したオスマン帝国に宣戦し、1911年9月、トリポリ、キレナイカを攻略し(イタリア・トルコ戦争)、1912 年10月、トルコの間で条約を結んでリビアを支配下に置いたのだった。 イタリアによる支配は、現地への技術の委譲やリビア人との協同生産には関心がなく、搾取のみで民衆の生活は凄惨を極めた。唯一その支配に抵抗したムハンマド・アリー・アル・サヌーシーを始祖とする土着のイスラーム神秘主義教団「サヌーシー教団」も、教団導師ウマル・アル・ムフタールが1931年にイタリア軍に捕らえられ、絞首刑となると影をひそめた(ウマル・アル・ムフタールはリビアでは現在でも被植民地時代の英雄として奉られ、10ディナール紙幣の肖像にもなっている)。 リビアでは、過去にイタリアの支配下で、搾取された経験があった。 1951年、国王となったイドリース1世は、サヌーシー教団の始祖アル・サヌーシーの孫である。だが、西欧列強による事実上の傀儡であり、国王には人望もなく、当時北アフリカ最大であったウィラス米軍基地の存続を許し、石油の利権も米系メジャーに握られたままであった。独立してもなお、富が国外へ流出する現実に国内では不満が次第に高まっていった。そのような社会背景に、1969年にカダフィ革命が起こるのである。 1969年9月、ムアンマル・カダフィを中心とした青年将校によるクーデターによってイドリース国王は追放され、革命指導評議会がリビア・アラブ共和国の指揮を執ることになった。議長のカダフィは大尉で27歳であった。 カダフィは革命に際し、リビアの使命として、「第三世界の連合」、「社会・経済の低開発の克服」、「反帝国主義」を掲げた。そして理想社会の実現のために地域の連合・連帯を推進すること、厳しい経済条件で競争を強いられる不平等な国際経済環境を改めること、不平等に適用される国際法と、それを都合よく解釈して行動する米国を中心とした国際政治の偽善性を糾弾することに力を注いだ。逆にいえば、カダフィが掲げた目標は帝国主義に蹂躙されたリビアの悲運を映した鏡でもあった。 1973年には資本主義でもなく共産主義でもないイスラームの教えを基盤にした社会構築を目標とする文化革命と、直接統治を基礎とする人民革命を宣言し、1977年3月には「社会主義人民リビア・アラブジャマーヒリーヤ」を宣言して、革命指導評議会を廃止した。 2011年2月28日現在、反体制抗議デモの死者は600名以上にのぼる。アメリカ政府は、2月26日、リビア国内に滞在していたアメリカ人の出国が完了したことを受け、カダフィ大佐などリビア政府の幹部がアメリカ国内に所有する資産を凍結する単独の制裁措置を発動した。さらにアメリカは、多国間の枠組みによる制裁措置の実施に向けて、ヨーロッパ各国や国連などと調整を続けると表明、国連安全保障理事会は同日夕刻、最高指導者カダフィと家族らの渡航禁止や資産凍結などを科す制裁決議案を全会一致で採択した。決議は、国際刑事裁判所(ICC)への付託を盛り込んでおり、今後、カダフィは人道に対する罪に問われることになる。 1951当時のリビアは、今の日本の状況と似ている気がします。 「リビアの国王は西欧列強による事実上の傀儡」 ⇒ 「日本の総理大臣は○○による事実上の傀儡」 「リビア国王に人望がなく」 ⇒ 「日本の総理大臣に人望がなく」 「ウィラス米軍基地の存続を許し」 ⇒ 「沖縄米軍基地等の存続を許し」 リビアの石油の利権も米国に握られ、国の富が国外に流れる。。 日本でも、同じようなことがあるのではないでしょうか。 やはり「普通の感覚」では、 「自分の国に外国の軍の基地があるなんておかしい、革命を起こすくらいにおかしい」 ことであるのだと思います。 日本は何故か、教育なのか、テレビのバラエティ攻勢なのか、 「思考を停止」させ、「受動脳」を作り、「協調性が大事」「命令に従うことが善」だと思い込まされてきた。 過去にカダフィが日本のテレビ番組に中継で出演していたとき、 「なぜ日本人は米国に原爆を落とされて、米軍基地があるのに、反抗しないのか?」 と違和感を示していました。 これは、リビアが革命を起こして来た経緯を踏まえると当然の発言だと思いますが、 これが普通の感覚なのかも知れません。 それにしても、カダフィの反政府勢力に対する弾圧は異常でした。 反政府勢力が革命前の王政を支持する人々と重なるから敵対心が強まったのかも知れませんが、 奪った人命が多すぎです。 人道に対する罪に問われるのは当然かと思いますが、 「ミイラ取りがミイラになってしまった」ような感じでしょうか。 最後に、トリポリの画像です。 想像していた以上に都会でした。 |

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