バングラデシュ

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「なぜ、バングラデシュの国旗は、日本の国旗と似ているのか?」

イメージ 1これが私の初めの疑問でした。

しかし結論は、「わかりません」でした。

たまたまなんでしょうか。。


「インドが独立した過程に関係があるのかも知れない」とは思います。

下記サイトのマンガは非常に解り易く、私にはとても勉強になりました。
http://mang.jp/comic/view/15059


もう一つ参考のサイトがありました。
(引用開始 参考URL : http://www.geocities.jp/taratooi2545/page009.html )

インドの独立まで

太平洋戦争開始直前になりますが、大本営参謀藤原岩市陸軍少佐はマレー半島でのイギリス軍の中核を占めるインド兵に対して投降工作を行い、それを将来のインド独立の基盤とする任務が与えられました。

インドは17世紀初頭よりヨーロッパの植民地主義の標的となり、18世紀にはベンガル地方で1千万人、19世紀には南インドで1千5百万人が犠牲になり、太平洋戦争当時はイギリスの植民地となっていたことは皆様ご存知だと思います。太平洋戦争に備えて、連合軍の兵士としてイギリスの命令でインド兵も対日本戦に動員されていたのです。

少し時代を遡りますが、日露戦争における日本の勝利は、白人に支配される事を当然と思われていた有色人種が白人の軍事大国に大勝利を収めた世界史上初めての戦いであり、日本が大国ロシアを破ったときはインド全国民は非常に刺激され、大英帝国をインドから放逐すべきだという独立運動が全インドに広がったそうです。このような伏線がインドの人々の心の中にはありました。

太平洋戦争開戦後、日本陸軍はイギリス軍をなぎ倒して破竹の勢いでマレー半島を南下して行きました。その過程で日本軍は200名のインド投降兵の身柄を預かることになります。藤原少佐は、インド兵達と共にインド料理を手づかみで食べ、彼らを驚かせたそうです。イギリス軍の中では、こうした事は決してなかったからです。このようにして、藤原少佐はインド兵たちにこの戦争が長年、欧米に支配されてきたアジア独立の絶好の機会であり、インド投降兵を組織してインド国民軍を創設すべきだと説き続けました。

こうして昭和16年12月末に発足したインド国民軍は、マレー半島各地でイギリス軍中のインド兵を説得して、次々と自軍に加え、シンガポール陥落時には数万人の規模に達していたそうです。彼らがイギリス軍の情報も日本軍に伝えたために、日本軍は奇跡の快進撃が出来たのです。

昭和19年1月にインパール作戦が始まりました。インパール作戦は、ボースがインド解放のために「デリーへ」の合い言葉のもとにすべてをかけた戦いでもあったのです。しかし、イギリス軍は日本軍に数倍する兵力を用意しており、また、雨期に入り、そして日本軍への物資補給が続かなかった事もあって日本軍は惨敗してしまいました。この戦闘に参加した日印10万余の将兵の内、日本軍の死者は3万人を数え、戦病者は7万人、またインド国民軍も8千人の犠牲者を出してしまいました。

現在、過去の激戦地となったコヒマでは、日本兵が倒したイギリス軍戦車を今でも勇気のシンボルとして大事に保存されているそうです。また、インパール手前のロトパチン村には村民たちが作った日本兵の慰霊塔があり、インド独立のための日本兵の勇ましい行動に対して毎年供養が続けられているそうです。ロトパチン村長は、私たちはいつまでもこの壮烈な記憶を若い世代に伝えて行くために、ここに日本兵へのお礼と供養のために慰霊祈念碑を建てて、独立インドのシンボルとしました、と語られています。

ところで日本の敗戦後、イギリスはインド国民軍に参加した約2万名の将兵を反逆罪で軍事裁判にかけようとしましたが、ガンジー、ネルー率いる国民会議派は、「インド国民軍将兵はインド独立のために戦った愛国者である」として、インド全土での反英運動を展開しました。

イギリスは、約2年間弾圧を続けて数千の死傷者を出しましたが、ついにインドの独立を認めざるを得なくなりました。こうした経緯から、インドは戦後の日本に対してきわめて好意的で、日本に対する懲罰的な条約に反対してサンフランシスコ講和会議への参加を拒否し、戦争賠償の請求は放棄し、また東京裁判でもインド代表のパール判事が、ただひとり公正な立場から「日本無罪論」を唱えたことはご存知の方は多いと思います。さらに復興後の日本の国連入りをネルー首相は強力にバックアップしてくれました。

(引用終わり)


日本の教科書も、このような一面も書いていいのではとも思います。

民主党の支持母体の「日教組」の方針なのか、「自虐史観」で教育されてきました。


ですが、中央アジアや東南アジア、東アジアが軒並み植民地支配されている中で、
「有色人種は白人に支配されるのが当たり前」と思われていた時代に、
日露戦争で日本が勝利したという衝撃や、そのことがアジア各地に与えた影響なども考慮しつつ、

パラオには経済援助や日本語教育を与えて経済発展させたはいいが、

その後アメリカの支配に代わり、英語教育に代わり、

その後独立したために、パラオでは、

祖父母が日本語を話し、父母が英語を話し、子どもたちが現地語を話すような状態になっているという現状。

パラオ語には日本語のような言葉がたくさんあるというが、それはいいことなのか、悪いことなのか。。

そういう日本が戦時に世界に与えた影響を、

良い面も悪い面も、そして取りようによってはどちらとも取れる面も、

ありのままを歴史として伝えて、

「これから日本は諸外国に対してどのように接していけば良いのか」

を、子どもたちがそれぞれ、正しい歴史認識を持って考えていければいいなと思います。


それにしても、「植民地支配」を考えた時に、

・軍基地などの防衛関係を抑える

だとか、

・税金などの、経済を抑える

だとかを読んでいた時に、

日本って完全に米国の植民地だよな、、って改めて思いました。

もしかして増税も、米国の借金を返すためだろうか。。


米国のデフォルト危機から日本の増税って、タイミングが良すぎですよね。

しかもアメリカは所得税減税とか、どちらかといえば「減税方針」であるし。。


「資本主義は『借金をする』という仮定のもとに成り立っているので、いずれは借金を後世の人々が返していかなければならないので、資本主義は、将来的に必然的に崩壊するシステムなのだ」

という主張を逆手に取って、アメリカは、きっと、

「借金は返す必要はない。通貨切り替えなどで、踏み倒せば良い」

とでも考えているのでしょう。実は資本主義では、このアメリカのようなやり方が、頭のいいやり方なのかも知れません。

周りの国としてはいい迷惑ですが。


話が逸れましたが、この記事はバングラデシュの話でした。

今後、中国では人件費が高くなり、
バングラデシュやベトナム等、より人件費の安い地域へと、
企業も流れていきます。

バングラデシュは、これから注目されていくのでしょう。

そして日本はどうなるのでしょうか。。

「海外で工場や人員は確保するから、日本は技術だけ寄こせ」という海外の企業からのオファーも多いようです。

円高で企業が次々と海外へ流出、雇用環境の悪化、高齢化社会、少子化。。

今、日本の子供達が最も幸せになるためには、

日本はどのような道を進んでいくのが一番良いのでしょうか。。

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