|
「勉強しなさいと」 と言われたり叱られたことはほとんどなかったけれど、「いい成績を取れば褒められる」から頑張った。=>小学校から中学まで成績はいつも上位クラスだった。
「どこの高校に行きなさい」 とも言われなかったけど、「県で一番の高校に入ることが期待されていた」 ことくらい暗黙の了解でわかっていた。=>高校はまさにその高校に合格した。 「どこの大学にいきなさい」と言われたわけではないけれど、「大学に入る」ことは当然だった。=>ラッキーなことに国立大に合格した。 大学が終わりになると、今度は就職するのが当然だった。 でも、何の目的も意欲もなく、ただ大学に入った私にとって4年間は人生と親のお金の無駄使いといってもいいほど申し訳ないことで、何をしたいのかも夢もなくただ「どこでもいいからとにかく採用される」ことだけが優先だったので、当然就職試験なんかどこにも受からなかった。 卒業後すぐに留学し、「将来の夢は通訳者なんていいわねぇ」なんて小さい頃に母親に言われてそのまま自分の夢になった「私の将来の夢」を実現することもできず、日本に戻ってきたのは約2年後だった。 「就職」が待っていた。 2年時間が経っただけで、家族からの期待は何も変わっていなかったのだ。 その時になっても自分が何をしたいのか、何をするべきかなのかわからなかった。ただ「就職すること」だけがプレッシャーで、大学時代の就職活動と全く変わらない、「どこにでも採用されればいい」という焦り。 そんな甘ちゃんな人間だったものだから、労働仕事についてしまったり、とんでもない職場ばかりを転々とする酷い生活だったその後の3年間のことはすっとばして先に進めると、 「結婚するのは日本人があたりまえ」という母親とその祖父母に抱いていた反抗心を実現させて、外国籍のPartnerと結婚した。 こんな状況だから紹介なんてできるものでもなく、事前に報告だけして籍を入れたから、このときだけは彼らは何も言えなかった。 結婚後、日本国外に住んだり、戻ってきた時には大震災が起こってその支援を実家にしたりなど、家族との距離は大分縮まったように思えてた。 でも、そううまくはやっぱりいかないもので、つい先日大騒動勃発。 私とPartnerが「子供を作ること」に対して相当の文句があるらしい。 母親は、「あんた昔から他人と同じものがいいってしか言わなかったのに色が違う子供が生まれて離婚したら育てていけるの?」 とか祖父母を巻き込んで3人でなんとかかんとかとにかくうんぬん。 気持ちはわからなくもないけれど・・・。でもその抗議の「仕方」がとてつもなく卑怯で気に食わなかった(ここには敢えて書かない)。 私はまた家族と疎遠に逆戻りになった。 結局私は、彼ら(母親と祖父母)の希望通りに人生が進まなければ認められない人間のままなのだ。 |
全体表示
[ リスト ]




2011/11/20(日) 午後 11:48さん>こんにちは。2011/11/20(日) 午後 11:48さんは、私の母親と同じような環境で育ったのですよね。
ただ私の母親そのような両親でも結婚後も一緒に同居して暮らしてるくらいですから自分の人生なんだったんだろうとか思うことはおそらくないのでしょう。
2011/11/24(木) 午後 7:49