オネムの映画鑑賞メモ

2019年素晴らしいドラマのような1年になりますように!

ポーランド・ドイツ

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グレイ・ラインではミュンヘン中央駅前から英語ガイドとスペイン語ガイドのつくツアーが出ていて、英語の方で行きましたが、全くもっていい加減なドイツ人男性のガイドに当たってしまい、説明はないわ、集合場所の徹底はしないわで、危うくトイレ休憩の後放って行かれそうになりました。
モーツァルトの像が立っている広場からマーケットを通り抜けて、モーツァルトの生家前あたりで勝手にしろとばかりに自由時間となり、生家の方は、入場料が高いけど大したことないっていうので、川を渡って育った家の方に行きました。

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あまり面白くなくて、写真もいい加減です。
鍵がいっぱい吊り下げられているのがミランダ橋です。

そのあとヴォルフガング湖でクルーズをしましたが、イギリス湖水地方のそれと同じような感じで、あまり感銘は受けず。
何しろ何も説明も案内もない旅で準備もしていなかったので、ただ行っただけという、無駄なツアーとなってしまいました。

変わって翌日のみゅうのノイシュバンシュタイン城方面は日本人の良いガイドがついて、体力勝負のきつい旅でした。
城を1番いい位置から観られる吊り橋からの写真。

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中にも入れましたが、階段がきつくて、脚ガクガク。
中の写真はキッチンだけしか撮影不可。
この城は4階に劇をするための洞穴のようなものも作られていて、ひたすら娯楽、遊興のために作られたそうです。

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ディズニーランドのお城の原型になっていることで有名です。

山登り、馬糞街道の下りと、かなりのハードな歩行。若いうちに行かないとしんどいところでした。

その後、ロマンティック街道の終点になるフュッセンという可愛い町に行きましたが、日曜日で大半のお店が閉まっていて、アイスクリームだけ食べました。

雨が降り出し、集合場所から慌ただしくバスにのり、ヴィース教会に。
ふつうの家でキリストの絵が見つかり、ある日そのキリストの目から涙が流れどうやっても涙の跡が消えず、有名になり、噂が広がって遠くの街からも多くの人々が訪れるようになり、気の良い街の教会が、そこに新たに建設したのがヴィース教会になりました。

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事件が起こったのはこの後です。
ミュンヘンに帰ろうとして、2人人数が足りないことが発覚!
ガイドさんはいろんなところに電話連絡をしつつ、きっとフュッセンでバスに乗り遅れたのだろうと、バスはそちらに戻りました。
途中で、行方不明になっていた2人が、フュッセンの駅から電車でミュンヘンまで帰ろうとしているという情報が、問い合わせていたお土産店のガレリアから連絡がはいり、無事駅で拾って帰路につくことができました。
こんなこともあるのですね。

この日は最後のビアホールで夕食。
疲れたのでミュンヘン中央駅の近くに行きました。

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ヒールにも飽きたので、250ccの少量を頼みました。

旅の記録はこれで終わりです。

ミュンヘン2

5月26日。
この日もツアーなどは入れずにミュンヘン自由観光。
前日、中心部から離れたニンフェンブルク城だけ先に観光を済ませてあったので、市の中心部にあるレジデンツから。

14世紀後半に建築され、以降増築を重ねて現在の姿になった。
王家の121枚の肖像画やアンティークな家具や宝物が並ぶ。
世界史を取っていたのにドイツのこのころの歴史はさっぱり記憶にない。
ヴィッテルスバッハ家が住んでいたらしいんだけど(なんのことかよくわかってない。ガイドブックに書いてるけど習った記憶もない)、1918年に皇帝制度がなくなり、ルードウィッヒ3世退位してなくなったらしい。
じっくりみたら4時間もかかるそう。

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その近くにあったテアティアーナ教会。

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近くの適当に入った中庭みたいなイタリアレストランで食べたのはリゾットとパスタとサラダ。1人で一人前は食べきれないので、常に3種類オーダーして、シェア。

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隣に座ったインド系の女性とドイツ人らしきカップル。英語で女性が一方的に話していたけど、よくあんなに1人が喋れるなというくらい長々と、男女間のインティマシー関係の話をしていて、離婚でもするんか⁈と心配してあげたのに、帰りは手を繋いで出て行った。
意識がそちらに行ってしまって、食事を味わえなかった。
姪曰く、「男性の方は、話聞いてなかったで〜。」ということです。

その後、高級ブランド店の並ぶマクシミリアン通りを歩いて、買う気はないけどもしかしたら買える値段のものはここだけかと思い、TOD’S だけ店内に。

そこから東に歩いて180年の歴史を誇る紙屋さんグムントに入り、娘たちにお土産の小さな手帳を買った。

目的地は、そのまた東の大きな通りに面するところにあるカフェ・ルイトポルト。
ここのランチやカフェはステイタスらしい。

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ショッピング好きの妹に買い物もさせないといけないので、地下鉄で移動、ガレリア・カウフホウフへ。
デパートみたいなものですけれど、相対的に、ドイツ製の商品はファッション的センスがなく、アイグナーもブリーも魅力的ではなく、キッチン用品など工業製品がしっかりしたものが多いような感じ。
で、私は爪切りを買った。

そこから西に向かって夕食を食べる予定のホーフブロイハウスを目指す。
ここは超有名で、3000人収容できるビアホール。1589年にヴィッテルスバッハ家の醸造所として始まった店。

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ここに行き着くまでに、賑やかな通りがあり、妹は孫にサッカーの有名なチームのユニフォーム(サッカーは全くわからないのでチーム名も知らない)、私は三女にビルケンシュトックのオーロラカラーの新作サンダルを買ってあげた。日本で買う半額か6割くらいの値段。

まあまあ順調にいきました。

ミュンヘン1

クラクフからルフトハンザでミュンヘンに移動した日は、
ホテルの近くのアジア料理店でフォーなどを食べた。
本物のベトナム人の店で、具も多くとても美味しかった。
ここにはもう一度行って、あまり英語がわからない在独歴22年の店主のおばちゃんとチグハグな会話をして、『いいレストランや!』って褒めちぎったのに、2回ともチップ渡すの忘れた。

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今回の旅行で記憶に残る2人のうちの1人がこのおばちゃんなのに写真を撮らせてもらうのも忘れた。残念。

アートホテルという見かけビジネスホテル風の宿泊場所は、各部屋のドアに絵が描いてあった。
ホテルの飼い犬↓

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ホテルのロビー

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毎日4時半に起きて活動していたけれど、翌朝は、久々に普通に起きて、ゆっくりと観光に向かう。

ニンフェンブルク城。
ポーランドからドイツに入って、入場券にしろ何にしろ、急に物価高を感じる。

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庭の草引きをしているかのようなアヒルたち。

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行きはウーバーだったけれど、ニンフェンブルク城からは、なぜか何の下調べもしていなかったのに、トラムと地下鉄を乗り継いで、ミュンヘン中心部のマリエン広場へ。ひたすら姪のGoogleマップ頼みだった。

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妹と姪が、決断力がなくて、前日のクラクフでの夕食のレストランを決めるのに1時間も歩き回らされたので、この日は、私が即決。
有名ブリュワリーのツム・フランツィスカーナーへ。

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ビールとお決まりの白ソーセージなどを食べた。
ビールはスペインビールほど美味しくないが、ソーセージが美味しくてびっくり。
お肉は、脂身がなくパサパサしてかたかった。
この日の予定も無事終了。
コーヒーを飲みたかったけれど、良いカフェが見つからず、駅のスタバで飲んだ。
ユダヤ人たちがすし詰め状態の列車で到着する終着点というシーンで何度も映画で観たことがあるビルケナウ収容所。
アウシュヴィッツとは車で4、5分の距離に隣接しています。
そして、ここは全ての収容所の中で最大規模です。
終戦の時に人々が収容されていたバラックも焼却炉も打ち壊されたので、建物はほとんど残っていません。
各国の言語で書かれた記念碑や壊されたガス室、焼却炉跡などが線路の先のずっと奥にあり、パッケージツアーの見学ではそこまで見に行かないというか、時間もかかるし、体力的にもきついので省かれているのだと思いますが、私たちのガイドさんは全てを見せてくれました。

敷地の見取り図

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線路と車輌

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記念碑

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ガス室送りになる前に女性が収容されていた場所。

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広大な敷地

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全部見終わって、ポーランド人のガイドさんは、「自由はいつまでも保証されているとは限らない。人間の尊厳はいつ奪われるかわからない。今私も含めて自由に身を置くけれど、そのことを心して、今の自由に感謝するように。」
とみんなを集めてメッセージをくれました。
ポーランド人は、あの大戦での経験は過去ではなく、将来起こりえることに対する危惧は常に持ち続けているようです。
言葉にあまりにも真実味があったので、思わず涙がこみ上げそうになりました。

アウシュヴィッツとビルケナウには小さい最低限の荷物しか持って入れなかったので、一度クラクフのホテルに戻り、観光の中心になる旧市街の広場を回った後、また姪にウーバーを手配してもらって、ヴィシス川を渡った工場地区にある『シンドラーの工場』に行きました。映画で観たシンドラーの琺瑯工場跡に歴史博物館が作られています。

門。

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中は撮影禁止だったので、
ネットからの借り物ですが、ゲットーの生活などがリアルに感じられる展示物の写真です。

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1939年から1945年のナチス占領下のクラクフを年代ごとに追えるようになった造りで、作業場やシンドラーの執務室の再現、クラクフ旧市街やゲットーの様子がわかる写真の展示、実物大の再現や映像など、とてもディープで凝った、ガッツリ見応えのある博物館でした。
見る価値があると思いますが、回るのに時間がかかるし、最近はギャラリーやカフェなどもできて再開発されている地域らしいですが、少し中心から離れているので、一般のパッケージツアーには組み込まれていないのかもしれません。

クラクフ旧市街の中心広場は、ワルシャワより観光地化しています。広場の周りにはぐるりとカフェやレストランが取り巻いていて、高級ブランドショップもありました。
妹はワルシャワの方が気に入ったようです。

ポーランドで印象的だったことの1つが、車の運転の荒っぽさ。
頻繁に車線変更してなるべく前に行こう、早く行こうとするのでヒヤヒヤしました。車間距離とりません。

アウシュヴィッツ

クラクフからバスで1時間半くらいの所にアウシュヴィッツと、ビルケナウ収容所があります。

門の表から撮れなくて、裏側からですが、「Arbeit macht frei」、直訳すると、労働は自由を作る、という意味の言葉が入口の門に掲げられています。
これから過酷な労働を強いられ、死んで行くユダヤ人とそれ以外の病人や障害者などの弱者にとって『働け、されば自由になる』という言葉は、すごい皮肉ですね。

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中の様子。
いくつもの棟やガス室、焼却炉があります。

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第4棟から中の展示物などを見学。
これでも少ない方だと思いますが、おびただしい数のユダヤ人からの没収物。
女性の髪を切り落としたものも山のように積み上げられていましたが、それは撮影禁止でした。
子供の服や靴を見ると胸がしめつけられました。

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囚人が使っていたトイレ、寝床。
(これは綺麗な方だと思います。)

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壁に掛けられた数多くの写真

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銃殺が行われたshooting wallと
それを目隠しするために黒い板が貼り付けられた第11棟。

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同じユダヤ人でも、管理する側にいた者の部屋

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ガス室、焼却炉

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写真の容量が大きくなったので、
ビルケナウは、次に。

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