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しばらくして野方署を出る事になった俺は、お袋にオヤジの連絡先を聞いて連絡し、
身元の引き受けを頼んだ。
久しぶりに会ったオヤジは何も聞かず、俺に部屋を借りてくれ、しばらく生活出来る
程の金を渡して「頑張れ。」と一言残して帰っていった。
オヤジが借りてくれた部屋は、高円寺と中野のちょうど中間くらいにある、小さな
商店街の店舗の2階で、6畳一間のアパート。玄関もトイレも共同で、風呂は付いて
いなかった。
だが、当時コジキと同じ様な生活をしていた俺にとっては十分だった。
オヤジのくれた金で、布団とラジカセを買った。
誰も知り合いのいない大都会東京での、新しい第一歩が始まったと思ってた。
だが、現実はそう甘くなかった。人並みに屋根のある所で寝れる様にはなったが、
相変わらず生活はすさんでた。皿荒いの仕事も続かなかった。
イライラしていた。こんなにも、自分がちっぽけで、無力な物なんだと思い知った。
ある夜の事・・その日も寝付けず何もナイ部屋で布団にくるまって、ラジカセでFMを
聞いてると、しゃがれた、太くて低い、なのに妙に心に響く暖かい声が流れてきた。
『俺は、王様だと 思ってた。 俺の声で、誰でも 踊ると思ってた。
だがしかし、俺の 叫ぶ声は ピンボールさ・・・跳ねてるダケ・・・』
心に衝撃が走った!!!まさにその通りだった。今まで、喧嘩しようが負けた事なんて
ほとんどなく、俺に歯向かうヤツは力でねじ伏せてた。誰にも負けない自信があった。
何でも出来ると思ってた。・・・でも、知らない街に来たダケで、こんなにも無力で
情けない自分を思い知らされて、孤独で自信を失いかけてた。
俺の叫ぶ声なんてピンボールだった。ただ、淋しく跳ねてるダケだった。
俺の心を歌われてる様な気になって聞き入った。 その曲が終わり、続けて同じ声で・・
さっきより少し優しい声で次の曲が始まった。
『 〜 前略 〜
16の夜、家を出た。お袋は行くなと泣いた。知らない街で、ポリバケツを被って・・
それでも笑っていたさ。怖いモンなんて何もなかったから。
とりあえずは 食う事さ。新聞の広告で仕事を拾った。朝から晩まで、指紋が擦り切れる
ほど皿を洗い続けて たったの3200円。
潰れかけたスナックの裏にある、カビ臭い部屋。俺の寝ぐら。
何が都会の 気ままな暮らしだ!?それどころじゃねぇ。全く、それどころじゃねぇ。
日曜日の昼間ともなれば、気チガイじみた忙しさで、俺は飯を 食う暇もなく、立った
まま 残飯をつついた。
そんな、繰り返しの毎日が やたらと俺を 不安にさせた。立ってるだけで やっとの
街で、いったい何がつかめるんだい!?
〜 後略 〜 』
涙が出てきた。そのままじゃないか!!??この人は俺の生活をドコかで見てるのか?
と思うくらいにそのままだった。自然と涙が出てきた。泣きながら聞いてると、曲の
終盤、演奏が静かになっていき、
『久しぶりにお袋に電話をかける。雨降る街の 赤茶けた公衆電話から・・・
お袋は 静かな声で、たった一言『生きてなさい』そう言った・・・』
と続いた。
もう涙が止まらなかった。ラジカセと布団以外何もナイ部屋で、電気も点けず真っ暗
な部屋で、ただただ号泣した。
『感動』なんてちっぽけな言葉では言い表せない感情だった。
それが、俺がSIONを知った最初だった。
それからSIONのアルバムを買いあさった。全ての曲が素晴らしかった。SIONも、
山口県の田舎から16の時に上京して、右も左もわからない街で、一人ぼっちで苦労して
音楽を続けていた。作り話じゃない日記の様な詩に、不器用そうなしゃがれた声で、
優しく、あったかい声で唄を乗せて、飾らずに心を歌ってる曲ばかりだった。時には
激しく、時には優しく、俺を叱ってくれたり励ましてくれたりした。
俺にとってSIONは『兄貴』であり『親』であり『教科書』であり『精神安定剤』。
最近の、何でも世の中せいにした様な批判的な歌詞じゃなく『がんばれ』や『ありがてぇ』
なんて言葉を大切にした、本当に心に染みる曲ばっかです。是非、一度聞いてみて下さい。
間違いなくハマりますよ♪俺は自分でも音楽をしてた時代があって、ノンジャンルで、
たいがいのアーティストを聞いてきましたが、この人を超える人にまだ出会った事は
ありません。年齢、好みに関係なく本物の良さが伝わるハズです。
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