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母は、知能指数が160以上あり(父もようですが)
天才と言う部類に入ります。
学校時代の成績は、父も母も常に一番でした。たまに2番になったこともあるらしいですが
学級委員長をズートり続け、竹らやり訓練の先頭でした。
先生の影響で差別問題に興味をもち
京大時代に、父が講演しているのに、惹かれたそうです。
被爆経験者の父が、展示会を開こうとしていたらしいのですが
父は、末川先生の愛弟子にあたります。(京大事件をご存知でしょうか?)
ですから、末川先生直筆の「結婚おめでとう」があります。
母は、天皇に石を投げるくらい過激な社会主義者でした。
私も、テレビで京大事件が中継されているのを消すと
ものを投げつけられました。
あまりに過激な事を言うので、女学校の先生を辞めさせられました。
また、同和問題で、教育委員会から、疎外され発病しました。
母の理想は、ことごとく打ち砕かれたのです。
私が入院している時に、母がやってきて、文句を私にいいました。
同じ入室患者は、私の事を親不幸ものと言う目でみました。
私は、その日に退院し、事情があって、上司から怒られました。
新聞で「私は母の介護をすることによって、また母に育ててもらってます。」
と言う記事が載せられ、賞賛の的でしたが、何言ってんだ!
まったく分かっていないなと思いました。
そのこと自体は、素晴らしいことかもしれませんが、
新聞記事として、子どもの虐待の記事も横に載せるべきだとおもいました。
包丁・徘徊・自殺未遂・言葉の暴力など、私は、母を見捨てました。
逆勘当したはずなのに、自殺未遂の電話で何度も出向き、母のカウンセリングを行い
病院を紹介しようとして、酷い女医に出会いそれから、躁状態になって
自分が保護入院させられるはめになりました。
母は、クモまっか出血のクリップの手術を受け、白内障の手術も受けて
カテーテルを心臓にいれました。
今、思うに母は、もっと生きたかったのだと思います。
パチンコ依存症の母はもっとパチンコがしたく
社会的貢献、社会全体が平等で、差別のない社会主義の国家を
作ることができずに死んでいったのです。
母の無念は底知れないと思います。
母は、私の目から見て壊れていました。手の打ちようがなかったです。
耐えがたい悔しさと、世の中で最高の頭脳を持っていると言う自負が
母を壊したのかもしれません。今日はここまでにします。。。
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私の過去
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気がつくと、小学生はみんな野球をしていて
私はその中に入れなかった。
トップの選手に2週半追い抜かれ、実力のなさを思い知らされた。
勉強でも挫折してしまった。
人と話をせず。不安神経症になった。
その他たくさんの挫折をあじわってきたが、挫折は、自分にとって社会勉強、人生教訓である。
と思います。これは、挫折の真っ只中にいないから言える言葉です。
授業が上手くいかなかったから、教員を続けて長い苦しみを持たずにすんだ。
会社がリストラしてくれたから、おかげで、無意味な苦しみを感ぜずにすんだ。
その時は思えない、今だから思える。
すべて、いい方に考えるか?悪い方に考えるかで決まってしまう。
挫折の中で挫折すると、自分を責めることしかできなくなる。
絶望と重い欝にないから言えるのだが、
今は、それで良かったと思う。。。
「それは違う!」
「苦しみを乗り越えなければ、本当の生き方をできない」
など、いろいろなご批判、おしかりを受けるのを承知で書きます。
挫折は、自分の都合のいいように考えればいいと思う。
そうしないと、次の行動ができない気がする。
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