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このような壷をそろばん型(そろばんの玉)
と言うけれど、腰が張っている分、
成形は難しいです。
やっとここまで来たという感じ。
まだまだ、手を入れなければなりません。
このあと、だんだんすぼめていって、
大きな壷になります。
高さが40〜50センチぐらいか。
大物作りは、のびのびした
気分になれるのでうれしい。
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ここで『十年目の返信』は、終わっていた。ボクは、泣きたいような、笑いたいような、へんてこりんな気持ちにつかまえられた。何かが、ざわざわしている。ジグソーパズルの最後のピースがはめられない、そんな気分だ。高杉亮という人は、今ごろどこで、どうしているだろう? 父さんと同じぐらいの年齢だから、きっとボクぐらいの子供がいて、「べんきょうしろよ」とか、「ゲームはほどほどに」とか、「夜更かしするんじゃないぞ」なんて、小言ばかり言ってるかもしれない。そして、やっちゃんは……
降り注ぐ木漏れ日が、水玉のような細かいうろこ模様を、地面の上にばらまいている。遠くで、昼時を告げるチャイムの音もする。時間がたつのを、すっかり忘れていた。ついでに、釣りのことも、すっかり忘れていた。あれから一度も、水面をよぎる魚の影や、飛び跳ねる水しぶきを思い出さずに、『十年目の返信』を読み切ってしまった。ボクにしてみれば、奇跡に近いことなんだ。
お終いのページを閉じ、原稿用紙の束を整えてから、さっきのビニール袋に入れもどした。そのとき、むしょうに祠の中を覗いてみたくなった。もしかしたら、亮の使っていた昭和十九年グッズとやらが、まだ残っているかもしれない。半分ちょうつがいが壊れかけている観音開きの扉を開けると、中はクモの巣だらけの空っぽで、ひとり竜神様が祭られているだけだった。(やっぱりな)ちょっとがっかりしながら、もっと奥に目を凝らす。一段下がった床張りの隅に、ぽつんと一つの塊が置かれていた。それは、竜をかたどった御神体から隠れるようにしてあった。心ある人のお供え物にしては小さすぎるし、かといって、子供のいたずらにしては行儀良すぎる。「おや」っという気持ちのまま、その塊を手にしたとたん、ボクの胸は、雑巾を絞るように締め付けられ、ゾワ、ゾワと、全身が波立った。ほら、暗闇で背中からニュッと捉まれたときみたいに。しばらくの間、手の震えが止まらなかった。だってそいつは、亮が靖子にあげたあの小石と、そっくり同じに見えたんだもの。「雫のような白い石」――間違いはない。どこかが肯く。やっぱり、夢や幻じゃなかった。それにしても、「手に取れば、温かさがしみ出してくる石」そう日記には書いてあった。だとしたら、肌身離さず大切にしていたはずだ。それなのに、ここにあるのはなぜ? 思いもしなかった人に、思いもしなかった場所で出くわしてしまったみたいな、つじつまの合わない目まいを感じた。そんなぐるぐる回る気持ちを落ち着かせたくて、そっと両手に包み込んでみる。手のひらの中で、そいつは、疑いようもなく「ここにいる」と告げていた。折り紙をおったり、スイカを食べたり、ベネチアの風景を眺めたり、夏祭りで踊ったりしたとき、いつも二人と一緒だった直径五センチにも満たない涙型した小石。そのなじんだ温かさの先から、ふいに生々しい息づかいや、喋り方や、仕草や、匂いが立ち上がった。たちまち、一人の少女が現われた。神かけてもいい。それは、本物の靖子だった。出会ったこともないのに、ボクには分かった。黒目がちな瞳の気配が、ボクを見つめる。お日様に焼かれた香ばしいおかっぱ頭の匂いが、鼻をくすぐる。目には見えないけれど、確かにいる……
りょうちゃん。ひょっとしたらあの時――炎に包まれながら、「今」をめざしていたあの時、やっちゃんは、ここにやって来れたんじゃないかな。亮という人間のどこかに貼りついて、時代の溝を飛び越えていたんじゃないかな。そして今でも、ベネチアの抜けるような青空の下で君が手を振るのを、ずっと待ち続けているんじゃないかな。
微かな風に騒ぎたった木漏れ日の中で、白い小石が、「コクリ」とうなずくように見えた。
―震災で亡くなられた方々のご冥福と、被災された方々の一日も早い復興を祈ります―
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エピローグ
大学の帰りに、ビルの谷間から沈む夕日を眺めたとき、夜更けに独り、研究室の片隅で、宇宙の呟きに耳を傾けているとき、ふっと、あの夏のことが蘇る。靖子と過ごした十年前の短い夏の日々が、心に浮かんでくる。三十光年彼方の星が、「今」を瞬くのと同じように、靖子は、時の架け橋を飛び越えて、僕の前に現われた。あれはきっと、どこにも身の置き場所がなかった僕の見た、「永遠」というもののきらめきだったのだろう。それが証拠に、彼女のディテールは、どんどん風化してしまうというのに、あの時一緒にすくった水の冷たさや、つないだ手の温かさは、昨日のことのように、鮮やかなままだ。
あれから一度だけ、大木台を訪ねたことがある。高校生になったばかりのころ。どうしても、ペンダントのその後が知りたくなった。彼の地は、あの頃のまま葛の葉が生い繁り、ちっぽけな「しるし」を埋めた場所など、捜し出すのはとても無理に思えた。ところが、講堂の跡地に立ってみると、かつての一場面が、ありありと蘇えってくるみたいで、何となくその場所が分かってしまった。さっそく、掘り起こしてみる。すっかり錆び付き、光沢を失ったペンダントが現われた。何度か蓋を開けようと試みたけれど、錆がまわってしまったのか、かたくなに口を閉ざして開かない。仕方ないので、両手に包み込んだまま、しばらく目を閉じて、じっとしていた。これを埋めたとき、靖子が子ウサギのように食んでいた言葉とは、何だったのだろう? あの二人に語りかけた最後の言葉とは、何だったのだろう? サワサワと風が生まれた。それは、僕の足元から身を起こすと、らせん状にうずを巻いて、台地の四方へと広がっていった。遠くで木々のざわめきが聴こえる。一瞬、瞼の裏にベネチアの街並みが、浮かび上がった。ここは、決して夢や幻なんかじゃなかった。ペンダントは、あの時からずっと、在り続けてくれた。その想いが、心を突き上げてくる。それでもう充分だった。変わらない風景の流れを、今いちど動作でなぞるように、僕は、ペンダントを元あった場所に埋め戻した……
そんな大木台も、数年ほど前に都市化の波に洗われ、今ではすっかり様変わりした。台地をおおい尽くした緑は姿を消して、その上にまばゆいばかりの西洋風住宅が、軒を連ねている。靖子が守りとおしたペンダントの二人や、壁画に描き込まれた遠いベネチアの人々が、その後どうなってしまったのか、もちろん知る由もない。けれど、ほんとに起きてしまった出来事は、消すことなんてできない。彼らが笑い、泣き、そして互いに支えあった暮らしは、どこかにちゃんとある。三十光年の先か、あるいは、もっと彼方に。
靖子のおかげで知り合えた横山さんのお宅には、今でも時々お邪魔している。たいていの場合、「過去と今と未来」が混ぜこぜとなったたくさんの蔵書に埋もれて、しばしのタイムトラベルを楽しむ。靖子と、靖子につながる全てを焼失している今、ここは、あの頃の彼女を辿れる数少ない窓口の一つだった。床の間の花も、掛け軸も、掃き出しの窓から眺められる小ぢんまりとした庭の風景も、大木台の残影の中で、みな靖子とつながりあっていた。僕は、頬杖をつく彼女の息遣いを遠くに感じながら、本のページをめくり続ける。
それに飽きると、縁側に出て、横山さんと将棋を指した。最初の頃は、飛車、角落ちでも敵わなかったのに、この頃では、三回に一回ぐらいは、僕が勝つ。「まいった、まいった。悔しいな」と言いながら、彼は余り残念そうでもない。なぜなら、僕らにとって「将棋を指す」ことは、一種儀式みたいなものだからだ。こうして向かい合う二人には、世代の違いや、立場の違いを越えて、いつも涼やかな風が吹き通っている。僕らは、飛車を飛ばし、桂馬を駆けさせながら、多くのことを語り合った。その中から、どれほど人生の機微といったものを学んだか知れない。横山さんは、変わることない生きた記憶、生きた言葉の語り部であり続けてくれた。里子さんは、そんな僕らを、時には「おやおや」といった呆れ顔で見つめながら、やっぱり柔和な目には、いっぱいの笑みをたたえている。そう、彼女は、今でも会うたびに、「まっ、まっ、まっ」と三回叫ぶと、小さな手を叩いて、僕を向かい入れてくれるんだ。ここばかりは、少しも変わらない時間が流れていた。
それから、これはちょっと話しにくいことだけれど、「泣いたって、何も変わりゃあしないよ」――あの教訓は、生かされていない。今でも、僕はよく泣く。でもきっと、そう諭したお茂さんも、僕の知らないところでは溺れるほど泣いていたんじゃないかと思う。そうでなければ、柏手の音が、あんなに小気味良く響くはずはなかった。だから、泣いて、泣き疲れたあとに「泣いたって、何も変わらない」と、一歩前に進むことができればそれでいい。毎度のことながら、自分に都合よく答えを出す性格は、そのままみたいだ。
けっきょく、「ひと夏の不思議な体験」は、誰にも話すことができなかった。横山さんや、里子さんにでさえ……おそらく、これからも話さずに、時を積み重ねてゆくのだろう。
…………………
ここまで書いてきて、僕は自分のうかつさにようやく気付いた。返事することばかり夢中で、後のことはまったく考えていなかった。この返信を靖子に届ける方法なんてあるのだろうか? 彼女のもとを訪ねられる配達人なんているのだろうか? 向こう見ずに始めてしまうのは、いつものことだ。ただ相変わらずとはいえ、今度ばかりはかなり難しい。書き上げたものをどうすればいいか、さっぱり見当が付かなかった。
(とりあえず、机の引き出しにしまっておこうか)と、思ったりもした。でも、それはできない。彼女から手渡された「十年後のりょうちゃんへ」は、ずっと重荷になっていたし、(何とかしなくては……)という焦りが、やり残した夏休みの宿題みたいに、まとわり付いて離れなかった。
あのころの靖子は、僕について何も知らなかった。たしかに、正体を明かせない理由はあったけれど、彼女と出会って僕が何を思い、迷い、苦しみ、そしてどう決心したか、伝える努力だけでもしておかなくちゃいけない。いろいろ考えあぐねた末に、僕と彼女を結び付けてくれたずい道のある神社、それも、昭和十九年グッズを隠していた祠に思いあたった。あそこなら、郵便ポストの役ぐらいは、引き受けてくれるかもしれない。もちろん、十分な解決とは言えなかったけれど、その先は、考えないことにした。届けられるかどうかなんて、答えの出るはずがない。僕が飛び込めたように、運良く時代の扉は開くかもしれないし、永遠に閉じられたままかもしれない。とにかく、この便りをあの祠に託してみるだけだ。今のところ、それしか方法は思い浮かばなかった。それにしても、僕と靖子の距離は、遠くへだったってしまった。三十光年の先か、あるいはもっと彼方に。
やっちゃん。これが僕からの十年目の返信です。情けないことに、君との約束を全部は果たせなかった。僕が叶えられたのは、今もこうして君を忘れないでいられることだけみたいだ。(つづく)
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