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【恨み雨―part 1】
飽き飽きするくらい雨が続いて、
仕事の方は
陶土の渇きが悪くスピードダウン。
セカンド・クールはなかなか進展しない。
今回はどんなドラマ仕立てになるか、
楽しみもあったのに、
ぐずぐずしていると余計な脚色が入り
お釈迦にしてしまうかもしれない。
くわばら、くわばら(笑)
キャラクターは、前回に似たのもいれば
新しいタイプも登場する。
できれば『雨の訪問者』(1970年、フランス映画)のような
スリリングなエンディングになるといいんだけど(笑)
【恨み雨―part 2】
この長雨で野菜の生育が極端に悪い。
中には根腐れで枯れてきてしまったものもある。
ダンゴムシやカメムシも大量に発生して、
伸び盛りの茎から汁を吸い取ってしまう。
こんな状況だと、
無農薬、有機栽培は四苦八苦しちゃうのだ。
竹酢液を頻繁にまいてもさほど効果なし。
早く来い来い、暑い夏。
って、ほどほどの(笑)
【こちらは順調】
六月に仕込んだ、
梅酒、枇杷酒、苗代イチゴ酒は
順調に熟成されている。
梅と枇杷は一年後、
苗代イチゴは半年後から
飲めるようになるだろう。
【谷川俊太郎の世界を描く――展】
先週の陶芸教室でのこと、
塾長のA氏が思わず漏らした言葉がある。
「自然には勝てないなぁ」
紫陽花の葉っぱで木の葉皿を作っていた時の事だ。
自然の葉脈が生み出す模様に思わず感嘆してしまったのだろう。
以前、彼が某大手家電メーカーの
粋を集めた技術畑を歩いてきたことを想えば、
この言葉は重たい。
実は同じ響きの詩と、昨日銀座で出合った。
今ギャラリー・ゴトウで開催されている
「谷川俊太郎の世界を描く展」(会期・7月4日〜7月13日)
毎年恒例となった俊太郎氏の詩と絵画のコラボレーション展だ。
今回は特にこの展覧会のために書き下ろした詩が
いつまでも心の深くで通奏低音のように響いている。
――絵の内と外――と題された詩は、
「絵の中の花は枯れている」といった激しい言葉で始まり、
額縁の中の花と、外に咲く花は違うと締めくくられる。
何んとも、もの作りには急所を突かれたような詩なのだ。
くわばら、くわばら(笑)
もちろんこれは、
自然界に存在する花のように鮮明には描けない。
なんてぇことを言ってるんじゃない。
僕らがものを表現しようとしてまず最初にやることは
理念の世界に降りて行って「花」のイデアと出会う。
そのことを、かつてマラルメはこんな風に表現している。
――私が花! と言う。
すると、私の声が、いかなる輪郭をも
その中に払拭し去ってしまう忘却の彼方に、
我々が日ごろ慣れ親しんでいる
花とはまったく別の何かとして、
どの花束にも不在の
馥郁たる花のイデーそのものが、
音楽的にたち現われてくる――
その場所で僕らは、自分の中にある
この花と共鳴する響きのイデアをさがし出し、
現実界へと結実させなければならない。
これが何ともしんどい。
それが花ではなく、饅頭になっても
鉛筆になってもかまわないけれど、
問題なのは、
上っ面なのにこだわり過ぎたり、
未熟なのに巧妙だったり……
ライプニッツの「単子論」が言うように、
自然界の創造主と比べ、
人間の表象力は広さも深さもたりない。
けっきょくは、虚飾に逃げ込んでしまう。
しかしだからこそ僕らはまた、
今少しこだわり過ぎぬよう、巧妙過ぎぬよう、
表現し続けられるのかもしれない。
そういった意味で『絵の内と外』は、 ジャムセッションみたいな
緊張と興奮をもたらしている。
この言の葉は、
もの作り全てへの「檄」であると同時に
俊太郎氏自身への
自戒と自省のようにも聴こえる。
これからも表現し続けるために……
ぜひ、ご高覧ください。 |

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