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外へ出てみると、十人ほどのクラスメイトたちが、インサイドやアウトサイドのパス練習をしていた。サッカー大会まで、あと二十日もない。こんな初歩中の初歩のことしていて、だいじょうぶなのかな? ちょっと心配になった。もっと試合形式の練習をした方がいい。たとえばポジションを考えたパス回しだったり、ワンツー・アンド・シュート練習だったり……もちろん新米の僕は、言い出すことなんて出来ない。三つのグループに分かれて、黙々とボールを蹴り合っていた。そのうち、単純なくり返しに飽きてしまったのか、チューがまたさわぎ始めた。
「ねっねっねー。つまんなくねぇ。もっとさ、かっこいい練習しようよ。鹿内オーシャンズのノッコさんがチームメイトなんだぜ、なんかさ、いいのないの。ロナウドや、メッシがやってるやつ」
アホまる出しだけど、こんな時にはありがたい。みんなも、「そうだそうだ、ノッコなんかないの?」とか、「ノッコのやってた練習すればさ、強くなれるよ」なんて言い合っている。いつの間にか、「矢野くん」から「ノッコ」になっていた。そう呼ばれるたび、お尻のあたりがむずむずするけど、これで、少しは仲間入りできたんだと思う。どんなにこばまれても、今の僕は、多田小学校、六年二組の矢野健太だ。もう、中神小にもどることはできない。
「そうだなぁ」ちょっと考えるふりをしてから、
「あのさっ、二対二でボールの取りっこしない。ボール持ってる方が、オフェンスで、ボールうばう方が、ディフェンスね。パスしたり、ドリブルしたりして、相手に取られないようにする。これけっこう、試合のとき使えるんだ」と、言ってみる。
「ノッコ、それいい、いい。オフェンスに、ディフェンスだってさ。くー、かっこいい。オレってほらムードで動くタイプだから、やっぱ英語使ってくれないとだめだっつーの」
チューがまき散らす雑音はほうっておいて、僕らは、さっそく取りかかった。「二対二」は、簡単なようでいて難しい。それに、かなりハードだ。敵が目の前でじゃましているし、その網をうまくかいくぐったとしても、もう一人の敵が、パスを渡す味方にベッタリくっ付いて離れない。それだからまた、この二人をうまくかわして、パスできたときの快感は最高だ。やり出すと夢中になる。十分間ほどボールを回していると、汗ぐっしょりになった。やっぱり、サッカーっていい。僕の周りにあるのは、雲母 のようにキラキラした朝の光と、できたてのさわやかな風と、追いかける一つのボールと、そして、新しい仲間……「神谷の席」でこうむったいやな気分は、跡かたもなく消えていた。やっぱり、サッカーっていい。チューのやつも、むだ口をたたかないでボールに食らいついている。というより、「たたく」余裕がない。動きはめちゃくちゃだけど、スピードはあるみたいだ。メッシみたいにはなれなかったとしても、「義男だから、よっし(良っし?)」ぐらいは言ってやれそうな気がする。
始業のチャイムが鳴って教室へもどるとき、
「ノッコ、こんどオレにクライフターン教えてくれよ」と、肩をパンパンたたきながら、じょうきげんのチューが言った。おいおい、三年間鹿内オーシャンズ・ジュニアに入っていた僕でさえ、とてもマスターできない難しいテクニックなんだ。教えられわけないだろ。と思ったけど、「ああ、そのうちな」と答えておいた。その横で、山田くんがていねいに額の汗をふき取っている。最初会ったときふにゃっとして見えたのは、山田くんの身体が、とても柔らかいからだと分かった。柔らかさは、一つの武器だ。うまく使えば、球ぎわすれすれのボールだって、奪い取ることもできる。
「矢野くん、今日の四時間目の体育は、一組との練習試合なんだ。楽しみだね」
「ほんと? 一組って強いの?」
「どうかな。去年は、僕たちが勝った。六年になってからは、まだやっていないから……でも、神谷んのポジションに、矢野くんが入ってくれれば、そんなに違わないんじゃないかなぁ」
また、神谷だ。ひとこと言っておくけど、僕は鹿内オーシャンズ・ジュニアのレギュラーだったんだぜ。比べて欲しくない。
「そういえばさ、良介、出てこなかったな」
みんなからヒョロノって呼ばれている、のっぽの平野くんが言った。
「ああ、変だよね。今日、だいたいのポジション、決めるって言ってたのに……どうしちゃったんだろ?」
キーパーの「タカヤン」こと高杉くんも心配している。
「ビビッたんじゃねーの。ノッコに負けそうでさ。だいたい、良介のやつキャプテンのくせに無責任だよ。夏休みが終わってから、ほとんど練習してないじゃん」
チューが、ずけずけと言う。ほんとにそうだ。「神谷の席」なんて書いているヒマがあったら、練習の面倒みたほうがいい。そう思うのといっしょに、やっぱりあいつがキャプテンだったのかと、少し気持ちが重たくなった。(つづく)
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幽霊君は、友だち
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教室に入ると、もう、大下マリちゃんは来ていた。
「おはよう」はずかしそうに、にっこり笑った。いいな。やっぱりいい。サラサラの髪は肩まであり、色白で、目や鼻や口が、子ウサギみたいに小さくまとまっている。背は低いし、顔も幼いから、五年生、いや四年生って言ってもおかしくない。美奈子とは、おお違いだ。こんなマリちゃんも、ある日とつぜん背がずんずん伸びて……美奈子みたいに、わけの分からない泣き方を、するようになるんだろうか。そんなことを思いながらイスに座ろうとしたら、そこに、一枚のコピー用紙がはり付けてあった。へたくそなマジックの文字で、「神谷の席」って書いてある。背中でマリちゃんが、「あっ」と小さく叫んだ。「なんなのさ、これ?」だれに言うでもなくつぶやいた時、マリちゃんの手が後ろからにゅっと伸びてきて、へたくそな文字をはがし取った。マリちゃんにしては、ずいぶん乱暴なことをする。「あれっ」とふり返ってみると、今にも泣き出しそうなマリちゃんがいた。
「神谷の席って、なんなの?」
聞いても返事が返ってこない。
「神谷って、人の名前?」
ようやく、「うん」とうなずいてから、
「神谷くんね、夏休みに死んじゃった」と、言った。
「えっ、死んじゃったって、あの 死んじゃった?」
なんてバカなことを聞いているんだろう、僕は。
「そう、死んじゃったって、あの 死んじゃった」
マリちゃんまで、変になっている。
「矢野くん、大川の土手を歩いて学校に来るでしょう?」
「ああ」
「その途中にね、大名淵っていう、とっても川の深くなったところがあるの」
たしか登校途中で、そんな名前を耳にした。
「そこで、おぼれて死んじゃった。とつぜんだったでしょう、なんだかウソみたいな気がした。この間まで元気にサッカーボール追いかけてたのに、給食のとき、良介くんと牛乳の早飲みしてたのに、授業中に、パラパラマンガ作ってみせてくれたのに……あたし、となりの席だったから、そんな神谷くんがいなくなったなんて、信じられなかった。だって、転校したり、病気で入院してるんじゃないもんね。さがしたって、どこにもいないんだもんね。もう会えないんだもんね。それって、とっても変。みんなも同じだと思う。神谷くんの席って、そういうことなの」
マリちゃんの話を聞きながら、だんだんムシャクシャしてきた。
(そういうことって、どういうこと? そりゃぁ、神谷ってやつはかわいそうだけどさ、僕だって、うれしくってこの学校に転校したんじゃないよ。ガンちゃんや、美奈子や、みんなと別れたくなんかなかったし、何より鹿内オーシャンズ・ジュニアをやめたくなかった。それに、そいつが死んだのは、僕のせいでも何でもない)
わけもなく泣きたくなることがあるように、わけもなく腹が立つことってある。とにかく、とつぜん沈没してしまうこのクラスのなぞも、だれが、「神谷の席」って書いたのかも、分かった気がした。前の方から、ハリネズミのそうぞうしい声がした。
「山ちゃん、なっ、なっ、お願い。算数の宿題見せて。神さま、仏さま、山ちゃんさま」
頭の上で、手をこすり合わせている。クソバエみたいなやつだ。僕はいやな気持ちをけ飛ばしたくて、
「山田くん、サッカーに行こうよ」と、声をかけた。
「ノッコからもお願いして。たのむっち」
チューのなさけない声が、返ってきた。マリちゃんは、どうしていいか分からないような顔をしながら、さっきのコピー用紙を、たたんだり開いたり、たたんだり開いたりしている。(つづく)
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二
次の日、学校へ来てみて、びっくりしてしまった。校庭が、鹿内ゴールデン街の歩行者天国状態になっている。その中を、いくつものサッカーボールが、右へ、左へ飛びかっていた。グラウンドのまん中へんでは、上級生と思われる数グループが陣地を取って、パスを回したり、ドリブルで抜く練習をしている。右側のゴールポストではペナルティーキック、左側のゴールポストではキーパーの特訓中みたいだ。上級生が取り残したすき間に、下級生たちのちょこまかと動き回る姿も見える。「パスを回せ!」「ヘッディング、ヘッディング!」「シュート決めろよ!」なんてわめき声もいせいよく響いて、身体が自然にムズムズしてきた。久しぶりに見るサッカーだ。この前ボールにさわったのは、ガンちゃんたちとお別れ試合をしたときだった。すべてが終了してから、ガンちゃんは、「オレのこと忘れるなよ。また会おうな」と言って、手を差し出した。僕は、その手をギュッとにぎり返しながら、「うん」としか答えられなかった。涙が出そうになった……いや、ほんとはちょっとこぼれた。だから、目にゴミが入ったふりをしてごまかした。あれ、ガンちゃんにはバレていたかもしれない。水曜日の今日は、二時から鹿内オーシャンズ・ジュニアの練習がある。ガンちゃんは、僕に代わる相棒を、見つけられただろうか? 見つかれば、いいなと思う。見つからなければ、いいなと思う。なんだかこの頃、僕の心はいつも二つに分かれて、ゆらゆらしている。
そんなことをぼんやり考えていたら、いきなり背中をどやされた。
「矢野くん、お・は・よ」
山田くんだ。昨日、多田小学校の決まりをいろいろ教えてくれた。太っているわけでもないのに、なんだかふにゃっとした感じがする。親切そうな小さな目をショボショボさせながら、ゆっくりとしゃべる。今までの友達にはいなかったタイプだ。明日のことを話していても、おとといあたりから返事が返ってくるような気がした。
「あっ、おはよ。昨日は、ありがとう。それにしても、すごいね」
「何が?」
「校庭」
「ああ、広いだろう。野球だったら、二面とれる」
「そうじゃなくて、この人数」
「人数ね、ほんとにすごいなぁ。ほとんど全校の皆が出てるんじゃない」
ひとごとのように言う。僕は、ちょっといらいらしながら、(聞きたいのは、そんなことじゃない)と、心の中でつぶやいた。
「二組は、どこかで練習してるの?」
「うーん」のんきそうにあたりを見回して、山田くんは言った。
「ほら、あそこ。だいたいいつも、鉄棒のそばなんだ」
そっちへ向かって、「おーい」と手を振ると、ニ、三人が、手をあげて答えた。
「山ちゃん、早く出て来いよ」なんて声もする。「オーケー」って合図をバンザイのかっこうでかえし、僕らは昇降口にいそいだ。げた箱にクツを入れている時、尻をペンペンとはたかれた。(またかよ)ふり返ると、髪の毛がツンツンしていて、目玉がキョロキョロしていて、前歯の二本が、ニョキッとつき出した、まるでハリネズミそっくりのちびすけが立っていた。昨日、「納豆にマヨネーズかけて食べたことある?」って聞いてきた変なやつ。
「ノッコ、おっはー」
ノッコって、だれだよ。ひょっとして、僕のこと?
「ああ、ノッコいい。矢野くんだから、矢野ッコ、ノッコね。なるほどなぁ」
山田くんが、のんびり感心している。
「ねっ、ねっ、ね。いいだろ。オレって、あだ名付ける天才。オレは、チューね」(やっぱりな)
「中山義男だから、チュー。なんだかあたりまえで、つまんねーの。もうちっとひねり欲しいけどさ、まっ、自分のあだ名は、自分で付けられないから、いた仕方ごじゃりません」
どうでもいいけど、良くしゃべる。今まで山田くんのスローペースに合わせていたものだから、ちょっと目まいがする。
「んでさー、ノッコ。トンカツにジャム付けて食ったことある?」(またかよ)
「ないけど」
「こんど、ぜってー試してごらん。うまいんだってこれが。ほんと、ほんと、ほんとだってばさー」
うるさいって、「五月蠅(はえ)」って書くけど、きっとこいつの祖先は、ハエだ。それも、とびっきり元気なクソバエ。(つづく)
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「矢野くんはね、お父さんの仕事のつごうで、この町に越してきたの」
みどり先生の声が、下を向いている僕の頭の上をす通りする。
「前は、鹿内(しかない)市に住んでいたんだよ。
そこに鹿内オーシャンズっていうJリーグのサッカークラブあるでしょう。
矢野くんは、そのクラブにある小学生チームのレギュラーだったんだぞー」
「おお」とか、「すげぇ」って声が、
教室のあちらこちらで、わき上がった。
僕は、ちょっとうれしくなって、頭を少し持ち上げた。
サザエさんも、そう悪くはない。
「ちぇっ、鹿内オーシャンズね。しがないおっさんず、じゃねぇの」
また、あいつだ。
みどり先生は、「こら」ってにが笑いをうかべながら、話をつづけた。
「もうじき、校内サッカー大会があるでしょ。
矢野くんにも、がんばってもらおうね。
今年は、二組ぜったいブイ。ガンバレ、ガンバレ、にーくーみっ」
顔の前で、指で作ったVの字をゆらゆらしてみせた。
ほんとに、サザエさんそっくりだ。
その時、また天邪鬼の声がした。
さっきとはちがって、せっぱつまった悲鳴みたいに聞こえる。
「あいつがいなくちゃ、だめだ! あいつがいなくちゃ、勝てっこない!
勝ったって、おもしろくない」
とたんに、教室中が深い海のように、静まりかえった。
せっかく潜水艦から脱出できそうだったのに、
今度はみんなの方が、潜水艦よりもっともっと深い海の底に、
沈んでしまったみたいだ。
サザエさんのVサインまで、風がない時の旗になって、
だらりと下がっている。
なんなんだ、このクラスは? とつぜん、沈没。
?(ハテナ)が、うずまいた。それに、あいつって、だれ?……
キョロキョロとあたりを見回してみれば、
シクシクと泣き出した女の子もいる。
先生は、大きな目を開いて、教室の後ろにはられた
「六年二組、わんぱくクラス」なんて標語を見ているけど、
ほんとは何も見ていない、きっと。
なんだか僕のまわりで、わけの分からないことばかりが起こる。
機関銃の連射みたいにしゃべる先生はいるし、
鹿内オーシャンズを、「しがないおっさんず」って言う天邪鬼はいるし、
とつぜん海の底に沈没するクラスはあるし……
それに、だれだか分からないあいつ 。
チョンチョンと左ひじをつつかれ横を向くと、
そこに少しこまったようなマリちゃんの顔があった。
「なに?」
「あの、あのー」ちょっと言葉をつまらせながら、
「矢野くんて、すごい。サッカー、がんばってね」
やっとそれだけ言うと、
半分しか開いていないどびらみたいなさびしい顔で笑った。
いい。マリちゃんて、いい。美奈子の次ぐらいに、いい。
このクラスでちゃんとしているのは、
マリちゃんぐらいしかいないような気がした。
でもきっと美奈子なら、こんな時にはもっと豪華に笑ってくれて、
ウインクまでおまけしてくれたかもしれない。
そう思うと、また泣きそうになった。今度は、わけが分からない涙……
沈没したクラスは、すぐに浮かび上がった。
それから放課後まで、中神小とたいして違わない一日がすぎた。
学校なんて、たいていそんなもんだ。
いつもと変わらない「勉強、トイレ、勉強、遊び、勉強、トイレ、
勉強、給食、勉強、そしておしまいの会」を重ねたサンドイッチ。
いろいろあっても、ちゃんと元どおりになる。
休み時間が来るたびに、何人かの男子が集まってきては、
「どこに住んでるの?」とか、「サッカーのポジションは?」とか、
「好きなゲーム・ソフトは何?」とか、僕を質問ぜめにした。
中には、「納豆にさ、マヨネーズかけたことある?」なんて、
へんてこりんなこと聞くやつもいた。
ちょっとこれ、マンガに出てくる
「転校生登場」の場面とそっくりじゃない?
ぼくは、ようやくホッとできた。
でも……あいつは、無視している。かんぜんに、無視している。
知らんぷりを決めこんでいるくせに、
「天邪鬼」こと良介からは、針みたいなビームが、
僕の方へビシバシ飛んできた。
どうしてそうなるのか分からなかったけど、
そっちがその気なら、こっちだってその気だ。
いずれ、あいつとは一戦まじえなくちゃならないだろう。
そんな気がした。(つづく)
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美奈子とは、小さいころからずっといっしょだった。家が同じマンションの下の階だったって事もあるし、どういうわけだか、アップル幼稚園でも、中神小でも、クラスがいつも同じだった。小さかったころは、色黒で、ガリガリにやせていて、目玉もギョロギョロしていて、ちょっと『トトロ』に出てくるまっ黒クロスケに似ていた。気が強いくせに、弱虫なものだから、男子にかまわれたりすると、すぐにビービー泣きはじめる。泣きながら、僕の後をくっついて歩いてばかりいた。そのたびに、みんなから「ヒューヒュー、あついね」とか「チューして、なぐさめてやれよ」なんて、ひやかされた。たしか、ガンちゃんと取っ組み合いの一戦をまじえたのも、それが原因だったと思う。ほんとに、めいわくな話だ。そんな美奈子が、五年生の秋ごろから急にでかくなった。あっという間に、背はおいぬくし、おっぱいも……なんだかふくらんでいる。いつの間にか、なさけない妹というより、しっかり者のお姉さんぽくなって、なんとなく話しづらい。それに、まっ黒クロスケだと思っていた目玉も、よくよく見れば少女マンガのヒロインみたいに、パッチリ、キラキラって言えなくもない。笑うとできるえくぼだって、かなりかわいい。僕は、少し変になっちゃったのかもしれない。ビービー泣きながら後を追いかけていた美奈子は、どこかへ消えてしまった。
あれは、九月の半ば、全校水泳大会が始まる前の日だったと思う。そうじ当番のとき、あいかわらずガンちゃんとふざけ合っていた。そのころ、僕らの定番メニューは、テレビでやっていたスポーツ選手の物まねの物まね。「ブンチャカ、ブンチャブンチャ」と歌いながら、ほうきバットをふりまわしたり、ぞうきんボールでフリーキックを決めるかっこうをした。その日は、「石川遼のドライバー・ショットのまねをしようぜ」ということになって、指のあわせ方はどうだとか、ボールはこう置いて、素振りは二回ね、腰、腰、腰がだいじよ、などとワイワイやり合っていた。
「健ちゃん、いいかげんにしなさいよ! 先生に、言いつけるからね。引っ越すからって、大目に見たりしなからね」
美奈子のきつい声。かわいくない。これは、いつものことだ。僕らは、ヘラヘラ笑いながら、聞き流していた。美奈子の声は、近づいてくる救急車みたいに、だんだん高くなる。これも、いつものこと。(うるさいなー)と思いながら、心がどんどんくすぐったくなるのは、なぜだろう? そして、しまいに「うっせーんだよ」と言いながら、僕は、ぬれぞうきんボールを、ほうきドライバーで打つまねをした……そのつもりだった。そこが、遼くんとのできの違いで、まねしたつもりのほうきに、ぬれぞうきんがドンピシャリと当たってしまった。ぞうきんは、みごとな放物線をえがいて、美奈子の顔にペシャリ。「何すんのよ!」美奈子が、怖い顔をしてつめよってきた。(しまった)という気持ちがそうさせたのか、僕は思わず両手をつき出してしまった。その手のひらに、こんどは胸のふくらみがグニャリ。(あちゃぁ)ガンちゃんが、ぎょっとした顔で僕らを見た。やってはいけないことって、たしかにある。ただそれが、人によってちょっとずつずれるから、むずかしい。あわてて手を引っこめたけれど、もうおそかった。美奈子はその場にしゃがみこむと、胸をおさえながら声を出さずに泣き始めた。いつものように、「健太、ゆるさないからね!」と、つかみかかって来るものとばかり思っていた。なんで? どうして? まさか泣きだすなんて……かなりびっくりした。僕は、今まで何十回、何百回と、美奈子の泣くすがたを見てきた。でも、そんな泣き方を見るのは、初めてだった。なぐさめようもない、こっちまでが悲しくなるような泣き方だった。
それっきり、美奈子とは一言もしゃべっていない。引越しの日、母さんから、
「美奈ちゃんに、さよならして来なさい」
と言われても、無視した。見送りに来てくれたガンちゃんと目が合って、(これでいいんだよな)と、小さくうなづきあった。それが、男というもんだ。(つづく)
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