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午前中は早めに登庁し調査活動。夜の政務会合に加え、生活保護に関して週刊誌の取材(記事が出たら報告します)、パチンコ業界内部関係者からの聞き取り、そして兵庫県の上向井賢二西宮市議(写真中央。右側はご子息)が「パチンコ規制議会質問に向けての意見交換」で上京されるので、お会いしてじっくりとお話しをするなど新たな出会いが多い日でした。御縁に感謝です!
さて、ツイッターでも書きましたが、ブログでもまとめて問題提起を致します。複合的な意味で「どう考えても筋が通らない現状が更に悪化していく」という話です。
7月9日から外国人が国民健康保険に加入できる滞在資格が今までの1年以上からわずか3ケ月超に短縮となります。国の政令でそうなったのです。全国一律の変更です・・・。
今までも外国人天国の日本ですが、更にそれが顕著に。
外国人は入国と同時に居住地で住民登録(今までの外国人登録から住民登録に制度も変わります)をし、同時に国民健康保険に加入可能、3割負担で医療サービスを受けられます。
しかも保険料を滞納してから1年間は3割負担での受診可能です。日本人も外国人も。
国民健康保険制度では保険料滞納2ケ月で督促状、更に1ケ月の滞納、更に督促、呼び出し等を行い、最初の滞納から合計半年になると短期証(期限が半年と短い保険証)に切り替えになります。
その短期証の期限が切れる時、都合最初の滞納から一年がたってやっと、医療費は十割負担に。それまでの一年間は3割負担で医療サービスが受けられます。
1年間の国民健康保険料滞納でも3割負担での医療サービスを1年間受診可能なのは、日本人も外国人も同じ制度。つまり滞在資格が半年の外国人が一か月だけ滞在して、高度医療サービスを受けてから滞在一か月で帰国する際でも高額還付も。滞在数か月での出産一時金も受給可能。
しかも、外国人が支払う国民健康保険料は日本国内で入ってくる所得で、かつ捕捉できるものに限り認定して決定。多くの場合、安い保険料になります。母国の家族が金持ちだろうが、保険料決定には全く関係ありません。闇送金も容易なのが世界のお金のやり取りの常識です。
そうした状況の中高額医療費還付制度がある3割負担の医療制度で得られるメリットは莫大です。
荒川区では国民健康保険の対象となる外国人が滞在1年以上の資格から3ケ月超への資格に短期化で、500人程度増えると予想しています。
外国人に渡される国民健康保険証の有効期限は基本的に滞在資格の有る期限までですが、最長で2年間(日本人と同じ)になります。保険に登録してから1年間、保険料不払いでもその間医療サービスを7割保険負担、3割自己負担で受けられるザルのシステムなのに外国人向けの厳しいチェック制度は皆無です。
やはり、国民健康保険の制度に外国人、特に3ケ月超といった短期資格の滞在外国人を入れるのは論外だと思います。母国へ帰国してしまえば、不払いの保険料を取り戻すことなど不可能です。
そもそも、国民健康保険は「日本国民」が「基本的に日本国に住みつづけ、生まれてから高齢者になるまでのライフサイクルの中で、若い時期は医療サービスを使わなくても保険料を払うことは有っても、高齢になってから医療の御世話になる機会が多くなる時にとても助かる」という「人生の最初から最期まで」で助け合い、バランスを取っていくための制度です。
そこに、わずか3ケ月を超えて滞在「資格」の外国人という「通りすがりの客人」を多く含む対象を組み込むこと自体、筋が通らず、様々な不整合が出てくるのです。
また、特別・一般永住外国人も筋からして入れるべきではなく、彼らだけを対象にした自己完結型の保険制度に入れるべきです。
国保に入りたければ日本国に忠誠を誓い国籍取得が当然と考えます。あらゆる日本の社会風潮、戦後のシステムが国民と外国人を「区別」せずに公金を野放図に垂れ流しているシステムに陥っています。地方議員の立場から、こうした世界の非常識、日本の軸を失った惨状を是正すべく、問題提起と行動を続けて参ります。
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技能実習制度から失踪外国人が最多 消えた中国人、5年間で1万人超産経新聞 10/31(月) 7:55配信
働きながら技術を学ぶ「技能実習制度」で来日した外国人の失踪が昨年5800人を超え、過去最多に上ったことが30日、法務省への取材で分かった。全体の約半分が中国人で、現行制度成立後の統計によると、平成23年からの5年間で計1万人超が失踪している。多くが不法滞在となっているとみられ、国内の治安にも影響を与えかねないことから、捜査当局は警戒を強めている。 法務省によると、昨年失踪した技能実習生は5803人で、これまで最も多かった一昨年の4847人を約千人上回った。失踪者数は23年に1534人だったが年々増加しており、5年間で4倍弱となった。 昨年の失踪者を国別にみると、中国が3116人で最も多く、ベトナム(1705人)、ミャンマー(336人)と続いた。中国人実習生の失踪は26年には3065人で、2年連続で3千人を突破。23年から5年間の累計は1万580人となった。 技能実習生の摘発も絶えず、26年の摘発者数は全国で961人に上り、25年の約3倍に急増。期間を越えて国内に居続ける「不法残留」や、実習以外の仕事をする「資格外活動」などの入管難民法違反罪が約4割を占める。空き巣などの窃盗罪で摘発されるケースも多い。一方で、実習生は人件費が日本人と比べて安いことから、労働条件の悪い人手不足の現場に投入されるケースが続発している。 こうした状況の中で政府は、受け入れ企業・団体の監視態勢強化▽対象職種の介護分野への拡大▽滞在期間の延長−などを盛り込んだ外国人技能実習制度の適正化法案と入管難民法改正案を国会に提出。今月25日の衆院本会議で可決されており、今国会中に成立する見通しだ。 |
山口二矢烈士五十五回忌11月2日は日本社会党・浅沼稲次郎委員長を誅殺した大日本愛国党・山口二矢烈士が自決された御命日です。 http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/b8/3265f633ae2f41494232cd1e87f8b665.jpg 烈士は昭和18年(1943年)、後の陸上自衛隊員山口晋平と大衆作家村上浪六の三女の次男として東京都台東区谷で生まれました。次男として生まれたことから、父親が姓名判断をした上で、「二の字に縁が多い」ことによって烈士の名前を二矢と名付けられました。彼の父は東北帝国大学出身の厳格な人物で、兄も学業秀才でした。大衆作家の村上浪六は、母方の祖父にあたり、文化史家の村上信彦は伯父にあたります。 幼年時代から、烈士は新聞やニュースを読み、国体護持の闘争に身を投じて政治家たちを激烈に批判しました。彼は早くから右翼思想を持った兄の影響を受けて右翼活動に参加していました。 その烈士に運命の邂逅が訪れます。 昭和34年(1954年)5月10日、烈士は16歳の時、大日本愛国党総裁赤尾敏の演説を聞いて感銘を受け愛国党への入党を決意します。 http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/c0/7b1d0bcb73dd73e9dc61299d090869cb.jpg 「日本は革命前夜にある。青年は今すぐ左翼と対決しなければならない!」 その赤尾先生の魂の叫びに山口青年の魂もまた共鳴したのです。 烈士は赤尾先生の演説に対して野次を飛ばす者がいると、果敢に野次の者に殴りかかっていきました。彼は左派の集会解散と右派人士保護を率先して行うなど言わばかつてのNSDAPの「突撃隊」「親衛隊」の役割を果たしました。ビラ貼りをしているときに、警察官と取っ組み合いの乱闘をしたこともありました。愛国党の入党後半年で、彼は10回も検挙され、昭和34年(1954)12月に保護観察4年の処分を受けています。 そして、山口烈士一世一代の闘いの時がやって来ます。 昭和39年(1959年)、支那を訪問した社会党の浅沼稲次郎は中華人民共和国の「一つの中国」論に賛同し、「アメリカ帝国主義は日中両国人民の共同の敵」と発言しました。特に「アメリカ帝国主義」を「敵」と名指しした発言は、国内外に大きな波紋を広げました。 ただ、浅沼は決して反日主義的な人物ではなく戦前は国民社会主義に関心を寄せ、大政翼賛会にも参加して総力戦体制を支えました。 戦後成立した日本社会党は、その結党式において皇居遙拝を奉って聖寿万歳の三唱を行う(指揮者は浅沼)など現在の社民党の姿からは想像できない、まるで右翼政党のようなことをしています。 つまり、この時代の浅沼や社会党は、現在のような反日「サヨク」ではなく、愛国心をもった「左翼」であったと言えるでしょう。 また、浅沼は昭和天皇陛下を揶揄した新聞記者を叱りつけるなど尊皇家でもありました。 浅沼の「反米愛国」思想も理解できます。 しかし、浅沼の行動は明らかに支那を有利にするものであり、冷戦の中で日米同盟が崩壊することは死活問題でした。 そして、山口烈士は浅沼を討つことを決意しました。(他にも日本共産党の野坂参三、日教組の小林武を標的にしていました。) 汝、浅沼稲次郎は日本赤化をはかっている。自分は、汝個人に恨みはないが、社会党の指導的立場にいる者としての責任と、訪中に際しての暴言と、国会乱入の直接のせん動者としての責任からして、汝を許しておくことはできない。ここに於て我、汝に対し天誅を下す。 皇紀二千六百二十年十月十二日 山口二矢。 (浅沼に対する斬奸状) 昭和35年(1960年)10月12日、烈士は日比谷公会堂で演説中の浅沼稲次郎を刺殺しました。 事件後、取調べに対し烈士は若年ながら理路整然と受け答えしていたと言われています。 その頃、自衛隊は、父の晋平が自衛官(1等陸佐)であることから左翼や世間からの批判を恐れ、晋平の辞職を望みました。晋平は親と子は別と考え当初は拒んでいたが、結局事件3日後の10月15日依願退職しました。 11月2日、烈士は「後悔はしてないが償いはする」と口にして裁判を待たず、東京少年鑑別所にて練り歯磨きで『七生報國 天皇陛下万才』の文字を残し自決されました。 辞世の句 「国のため 神州男児 晴れやかに ほほえみ行かん 死出の旅路に」 「大君に 仕えまつれる 若人は 今も昔も 心かわらじ」 父、晋平は二矢の死を悲しみました。 「親として気になるのは、あの事件のため私も職を失いこれからの生活設計に困っているということを、二矢が知り、悩んでたということだった。せめてそんな心配はいらない”といってやりたかった」 山口二矢烈士は国を思うのと同じように親思いな青年だったのだと思います。 山口二矢烈士に謹んで哀悼の意を表します。 |
日本創新党 荒川区議会議員小坂英二の考察・雑感平成15年4月に初当選してから、2期目も自分の地位を守るために区民の期待を裏切ることはしないよう、固く心に誓いながら区民の目線で区政に取り組んでいます。自転車であちこちに出没。山手線で囲まれるほとんどのエリア内に用があるときは、天気が悪くない限り自転車で駆け付けます。 日本の誇りを取り戻すために何をすべきかを常に考え、東京の下町で荒川区議会議員としてすべきことを圧力を恐れずに実行して参ります。日本人が歴史を正面から見つめなおさない限り、誇り有る日本にはなり得ないと確信しています。 日本創新党に所属して「義を見てせざるは勇無きなり」という言葉を常に心に置き、愚直に取り組んで参ります! |






