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3月11日を前にして。
駆け抜けた1年でした。とにかくがむしゃらに、苦しくても悲しくても、止まらずに。
楽しいこともたくさんありました。助けてくれた人もたくさんいました。
そして、何よりゴスペラーズが大切で、なくてはならないものだと再確認しました。
ツイッターで「ゴスペラーズ坂ツアー ハモリズム」の初日9月30日のことを書いていなかったので
自分のためにもここに書き記しておきます。
ハモリズムツアーは「ハモリズム」というアルバムをしょってのツアーでした。
私は忙しいのと、心に余裕がなくて殆どアルバムを聞かないで初日を迎えました。
アルバムを聞いてもとある1曲だけ必ず飛ばして、聴くことを避けました。
そんなだから歌詞はおろか曲名さえも知らずにいたんですね。
メロディは数回聞けば覚えちゃう性質なので、ほぼ体に入ってましたが。
初日、幸運にも1階7列目?の近距離で見ることが出来ました。
右側だったので、福ちゃんとバリさんはほぼ見えずでしたけど、ステージに立つゴスは良く見えました。
いつもはとにかくどきどきワクワク迎える初日。ですが今回は少し違っていました。
3月11日の地震があって、私だけじゃなくほかのお客さんも、きっとステージに立つ人たちも。
私は心配でした。
あの人がステージで、いままでのように笑顔で、気持ちよく歌ってくれるのか。出来るのかと。
余計な心配なんですけどね、でも、精神状態ってあまり良くなかったと思う。
実際、歌っているあの人の顔は固かった記憶があります。
それでも集まったたくさんの人に歌を届けてくれていました。
ライブが始まって1時間くらい、語りと共にスロウな曲が始まり。
徐々に私の心が耐え切れなくなったんですね。
涙を堪えてステージを見ていたけれど、避けていた「明日」のイントロが始まった途端もうステージを見れなくなってしまいました。
苦しかった。
脳裏から離れない、津波が街を飲み込んでいくライブ映像。
あの日テレビ画面の前で「誰か助けて」とつぶやいたこと。
でも、彼らが歌っていたから。そこに彼らはいてくれたから。
どうにか顔を上げてステージを見たんです。
間違いなく涙でぐっちゃぐちゃな顔をしていたと思いますが、、
そしたらね、あの人多分泣いていたんです。
ステージの上で、静かに、うなだれたように。
どんな思いで、今そこにいるのか。うたっているのか。
私にはわからない。
でも、私の中にある何倍も、彼は苦しくて辛くて仕方ないんだと。
そう感じました。
それからは、ライブ終わるまで顔を上げてずっとステージを見ていました。
もしからしたら、ものすごい形相で睨んでたかもしれないけど。
私に出来ることは、その瞬間同じ空間を共にしているこの幸運に感謝して
心で、体中で、ステージから投げかけられる音楽、歌、想いを感じること。
めいいっぱいの拍手を送ること。
そして、逃げずに歩いていくこと。
そんくらいしか出来ないけどね、やれることはやるべきだもん。
初日過ぎてから、私の中に変化が現れたんですね。
次に参加する大宮公演前までに「明日」の歌詞を読み込んで、音楽と向き合って。
んで、「BRIDGE」て曲の温かさと強さに勇気をもらいました。
大宮公演で「明日」を聞いたら、やっぱり涙は堪え切れなかったけど
「絶望の曲ではないこと」を体で感じた気がします。
そしてその後も数公演参加して、千秋楽。会津風雅堂。
どんな思いが渦巻こうとも、きちんと5人揃ってステージに立って、
歌おう、届けようとしてくれたことに感謝でいっぱいでした。
ツアー中盤リーダーの声が出なくなる大事件も起きたけど、
だからこそ5人でいることが、5人で歌うことが当たり前ではないことも強く感じました。
あなたの立つステージに降ってくる沢山の拍手と歓声が、少しでもあなたの糧になりますように。
ゴスペラーズに貰うパワーの数分の一でもいい、お返しが出来ますように。
どうかこれからも歌い続けてください。5人で音楽の素晴らしさを届けてください。
またどこかの会場で、みんなに会えますように。
随分と過ぎちゃったけど、誕生日おめでとうございます。
貴方にとって実りある、素晴らしき日々となりますように。
いつもありがとう。
ひかみとうか。
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