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刑法第八十二条において、仙谷由人と菅直人を死刑にしよう!

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死刑執行問題 鳩山法相が週刊誌で持論展開
10月17日0時26分配信 産経新聞

 鳩山邦夫法相が死刑執行をめぐり、16日発売の週刊誌で持論を展開した。法相が死刑執行を命令するまでの期間について「刑事訴訟法では(判決確定から)半年以内となっているが、現実は平均7年半。法務省が法の要請に応えていない」と同省を批判。9月25日の会見で「法相が絡まなくても自動的に(死刑執行が)進むような方法を考えたらどうか」と発言したことには「強烈な問題提起をしたつもり」と強調したうえで、発言を批判した死刑廃止推進議連会長の亀井静香・国民新党代表代行について「彼の人権感覚のなさを象徴する話」と切り捨てた。


上記の週刊誌とは「週刊朝日10/26号」です。鳩山法相の対談形式の主張を一部抜粋します。

抜粋ここから

「私が死刑を執行する理由」法務大臣 鳩山邦夫

週刊朝日
9/25の「死刑は法相が絡まなくても、自動的に執行する方法を考えるべき」の発言は、法務大臣として最後だと思ったから、あえて物議をかもしたのですか?
 
鳩山法相
 それは全く違います。町村官房長官は私の発言を「思い付きだ」ど述べていますが、思いつきでそんなことは言えません。死刑廃止議連会長の亀井静香さんが私の発言をとらえて、「人間の資格もない」と言うのは、逆に彼の人権感覚のなさを象徴する話だと思います。
 確かに、死刑は執行すれば後戻りできない、付加逆的な処罰です。だから慎重を期さなければならない。再審や抗告の可能性、あるいは恩赦の可能性などあらゆることを検討しなければなりません。私は死刑廃止論者の声には、いつでも真摯に耳を傾けるつもりです。亀井さんと会うつもりはありませんが、社民党の保坂議員が死刑制度の話をしたいとおっしゃっているので、会うつもりです。そうしたさまざまな議論がある中で、私は強烈な問題提起をしたつもりです。実は、死刑制度について最も触れて欲しくない人たちが法務省の役人です。「パンドラの箱を開けるのか」とか「タブーを破るのか」とかいう感じです。誰かがタブーを破って問題提起しなければ物事は先へ進みませんから。

週刊朝日
確かに鳩山さんがおっしゃっておられるように、大臣が代わるたびに死刑執行の頻度が変わるのはおかしいという見方は少なくないですね。

鳩山法相
絶対おかしい。だから、私の発言については世論の八割が支持してくれています。死刑制度については、廃止論についても冷静に考えたいと思っています。EUや世界の潮流が死刑廃止に動いていることも承知しています。ただ私は、今の日本では、死刑は未だ廃止できる段階にはないと思っています。

 日本人は凄く命の大切さを尊ぶがゆえに、命を奪うような行動については死をもって償うべき、という考えがある。ところが欧州は力と闘争の文明なんです。だから逆に死刑を廃止してもいい、という方向になるんです。これは理解すべきです。いわゆる力と闘争の文明は逆なんです。もともと命を尊ぶ思想は日本人よりも弱い。だから死刑がなくてもいいという発想にいく。まずそこの文明論を私は理解すべきだと思います。


週刊朝日
鳩山さんはひとりの人間として死刑執行の署名をするのは嫌じゃありませんか?

鳩山法相
…嫌ですね、それは。私が嫌だと言ったことに対して、無責任だとか、だったら法務大臣にならなけらばいいといった批判があります。ですが人間として当然です。
人間の命が絶たれるわけですから。勿論、大臣としてそこから逃げるわけにはいきません。

 私は人命を尊ぶがゆえに、殺人をいう方法で人命を「無」にしてしまった人に対しては償いをしてほしい。何人殺しても死刑にならないなんていう風潮が生じることは、治安上も人命尊重の思想上も、絶対に許されない。だから私は死刑は執行すべきだと思うし、死刑制度はなくしてはならないと思っています。
抜粋ここまで


この他に鳩山法相は、懲役という言葉には「懲らしめ」という意味が含まれていることを忘れてはいけない、日本の死刑以外の罰の厳しさは諸外国に比べて弱い、と述べています。例えば、日本では黙秘権があるが、イギリスでは黙秘は罪を認めたのと同義である点。日本には存在する「一事不再理」を認めない国もあることなどです。

 鳩山法相は死刑制度の背景を文明論に求めましたが、それは至極当然のことです。人の生き方、人の生と死の概念の違いこそが文化の違いであり、民族の差だと思います。鳩山さんは欧州の文明を闘争の文明と述べていますが、これは欧州では社会活動の営みすべてにおいて闘争・競争の原理が働いて、その結果として、事故や殺人で命を落とす人がいるのは当然という意識だと思います。一定の人口があれば、一定の事件・事故の存在は回避不能という意識に立脚しているため、死刑を廃止できるのだということではないでしょうか。すなわち欧州においては、そのキリスト教の原罪思想から人間すべてが罪深い存在であり、実社会における人間の善悪は、その原罪思想の一段下の価値基準であるということなのだと思います。

 それに対して我が日本の文化は死者をも一人の人間として遇する習慣があります。死んでしまえばすべて終わりではなく、死者としての人格があります。位牌に話し掛ける人もいれば、(死者が)草葉の影から見守っていると言う人もいます。そうでなくとも、死者がまだ昨日は生きていたような感覚を覚えるのです。それだけに人命に対する思いは格別で、実際は不可能でも、交通事故を根絶できないか?などと本気で考えたりするのです。そのように、日本人にとってはかけがえの無い命が理不尽に奪われたとき、奪ったものの責任は計り知れないほど重大なのです。人の命を奪ったものの責任は、既にその生命をも超えているということでしょう。

 他の死刑存置国を見ると、例えばアメリカ合衆国では、州ごとに存廃のちがいはあるものの多数の州で死刑が行われている。キリスト教国であるアメリカは欧州に倣って死刑を廃止してもよさそうなものです。私はアメリカで死刑が行われている理由は人種問題であると考えます。実際、米国で執行される死刑対象者の殆どが黒人やヒスパニックなどのマイノリティーです。事実、マイノリティーの犯罪率は非常に高いのですが、考えさせられる問題です。

 また、世界最大の死刑執行国支那の場合は論外です。かの国の死刑制度は、事実上支那共産党の政権基盤強化のために利用されており、まともな裁判すら行われている保証はありません。事実、支那の死刑執行対象は、殺人は勿論、強盗から麻薬・汚職まで含まれ、政治的な見地から「法論功」の関係者をも“処刑”しています。しかも刑の執行を終えた遺体からは、売買目的で“臓器”が摘出されています。

 内外の死刑廃止論者は、我が日本の死刑制度を支那やアメリカの制度と同一にして批判することがありますが、完全な事実誤認といえます。はっきり言えば、日本もアメリカも支那もイスラムも、死刑に関しては全く異なる要請から行われています。その中で、日本の死刑制度が最も崇高な動機から維持されているといっても過言ではありません。私は日本の死刑制度は永久に無くしてはいけないと思いますし、それを殆どの日本国民が望んでいると信じています。

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