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焼き場に立つ少年
(1945年長崎)




【オピニオンプラザ・私の正論】第388回
2007/03/06, 産経新聞

テーマ
「核問題について考える」

入選



「被爆国だから」は思考停止


 亡父は「特別」と形容される被爆者だった。そして「威力は自分が良く知っている。日本も持つべきだ」と言っていた。被爆と敗北、二つの現実がこう言わせた。自身が被災し、直後に街を彷徨(さまよ)って、惨状をつぶさに見たという。私は何人かの被爆者たちに接してきたが、彼らが体験を秘匿することは特になく、父と同じ意見の持ち主も少なからずいた。子供の頃、父が友人たちとそのような話をするのを聞いていた記憶を思い出す。私と同境遇の知人の経験もよく似たものだった。


 今の反核運動が被爆者とその子孫の何パーセントを代表しているのかを私は知らないが、国際関係を合理的に見て、父の意見に首肯している。しかし後に、私が高放射能環境下の業務に従事することになった時、父は「心配だ、自分は被爆者だから」と言った。心底に潜む恐怖の経験と合理的判断との葛藤の表れだったのだろう。技術的事柄を縷々(るる)説明しても心配が消えることは無かった。父の被爆体験は、所謂(いわゆる)「平和教育」や施設展示などを通じて、私たちには疑似体験として植え付けられている。ただし、それらは「核兵器」、時には「核発電」までをも、条件反射的に忌避すべきもの、糾弾すべきものとだけ仕向けられるものだった。このようなものは父や私には、抑圧とも思われた。物理学で核分裂現象が確信されて後、わずか7年余で父たちは核爆弾の被害に遭った。今ではその製造技術に関して秘密事項は皆無に近いと言われている。マンハッタン計画に始まる爆縮レンズ等の技術情報拡散過程の到達点が北朝鮮の現在である。1968年以前の核兵器国が特権的地位を持ち、その他諸国への拡散を防ぐための核拡散防止条約(NPT)体制の機能低下が明らかになった。元来、物理的強制力のない国際条約が技術拡散を完全には阻止できない性質である以上、現在の状況は予測されたことだと言える。中国はかつて、部分的核実験禁止条約(PTBT)に参加せず、国内の困難を抱えながらも核開発にいそしみ核兵器国になった。


 1971年の国連での中国招請・台湾追放決議が、この地位を最大限に活用したことの成果であるのは疑うべくもない。北朝鮮は金日成時代から、中国の通った道を忠実に辿(たど)っていたのである。彼らは「核兵器国」の地位が、富をも呼び寄せると思っている。経済支援では核廃棄を買えないのだ。
現在の中露韓の行為は北にとって、その証明に他ならず、彼らには北の核を「廃棄」させる意思はない。米国には非軍事的方法では、核を廃棄させる手段がない。結局、6者協議が最大限うまくいっても、合意時点での兵器技術レベルを維持した「凍結という名の核兵器保有容認」となるだろう。しかしそれとて、政治的協定の性質上、凍結とは名ばかりに違いない。


 現在の事態は反核運動が標榜(ひょうぼう)し、振りまいてきた想像図の対極にある。こうしてわが国にとって未曾有の安全保障上の脅威が現出した。にも関わらず、依然として「唯一の被爆国であるが故に、核兵器に反対」という観念の突出は、思考停止という他はない。私は自分の子孫に父と同じ被爆と敗北の経験をさせたくはない。手段が講じられるべきである。既視事実は示唆的だ。勢力均衡は唯一、核抑止に成功した方法だった。
第2撃能力の保持に各国は腐心した。好ましいとは思わないが、他に方法がない合理的工夫の産物であったと再評価しないわけにはいかない。1980年代の初め、西ドイツ、オランダ、ベルギー等は、米国の核ミサイル・パーシングIIを導入配備し、ソ連のSS20との均衡を取った。民間の反対運動があったが、それはソ連の工作活動の一環だと後に分かった。このような対峙、一種の忍耐比べの結果は衆知の通りである。当時、仏は北大西洋条約機構(NATO)の軍事機構から離脱し、独自の核兵器体系を備えていた。米国が身を犠牲にして「第2撃」を実行する確証が無かったからだ。安全保障のオプションとは、外交的手段は無論、軍事的なものも含んだ全方位を網羅して初めて成り立つ知恵の集大成であるはずだ。

 通常兵器の拡充や反撃能力の付与、ミサイル防衛(MD)計画推進などは、現在の脅威に対抗する重要な部分ではあるが、それがすべてではない。しかし、それすら躊躇(ちゅうちょ)し、強い反発が政治的力をもつ現状を見ると反核運動は罪作りだったのではないかとすら思うことがある。

現実的な安全保障への考察を排除するだけの、反核・平和の実現プロセスなどあり得るのだろうかと思える。

 「被爆関係者」であっても唯一の共通的意思などは、元々、存在しなかったと、そろそろ考えてもよい時期ではないだろうか。このことは世上で顕在化している、「被爆者とその子孫」の思いと背馳(はいち)していることは承知しているが、潜在的には存在する「意思」である。われわれには、広島・長崎だけが見るべき過去ではないのである。

中村新平(京都市・会社員)
昭和23年9月長崎県生まれ。58歳。









今の日本は平和だとよく言われる。

しかし、考えてほしい。


多数の日本人が北朝鮮に拉致されたまま帰って来ていない。

日本政府は、北朝鮮に対して、もっと厳しい追加制裁の手段が沢山あるにもかかわらず、制裁を強化せず、逆に一部の制裁を解除する方針を決定した。


また、日本固有の領土である竹島と北方領土は、韓国とロシアに不法占拠されたままだ。



日本政府は、竹島や北方領土を奪還するための具体的な行動を何ら起こしていない。

そればかりか、教科書に、
「竹島は、我が国の固有の領土で、現在、韓国に不法に占拠されている。」と事実を記述することさえ回避した。


支那は、数十発の核ミサイルの照準を日本全国の大都市に定めたまま、東シナ海のガス田を開発し続け、尖閣諸島の領有権を主張している。


63年前全く必要なかった日本への原爆投下を強行した米国は、その後日本の同盟国となったが、去年は慰安婦問題に関する対日非難決議案を可決し、今は多くの日本人拉致被害者が帰されないままの状態で北朝鮮に対するテロ支援国家指定を解除しようとしており、北方領土や竹島についても日本の領土であると知りながらロシアや韓国との衝突を避けるため事実を歪曲している。

今後日本が支那やロシアから核攻撃を受けた場合、米国が日本のために支那やロシアを相手に核戦争(核ミサイルの撃ち合い)をしてくれるなどということは有り得ない。

このような状態で、日本は本当に平和だと言えるだろうか?


8月6日の広島原爆の日と8月9日の長崎原爆の日を迎えるにあたり、支那や北朝鮮などから核兵器で狙われているにもかかわらず、核武装もしなければ核シェルターをつくろうともしない日本について良く考えてほしい。

核攻撃に対する防衛に関して、MDは全く役に立たず、アメリカの核の傘も破れ傘なのだから、日本には自主的な核抑止力を保有するか核シェルターをつくる以外に有効な対策は残されていない。

日本政府が日本国民の生命や財産の保護に関して無責任極まりないことは、拉致問題や領土問題への対応を見ても明らかだ。

せめて日本国民は、現実を直視し、平和ボケから脱し、どうすれば、愛する家族、愛する日本を、核攻撃などから守ることが出来るのか、真剣に考えてほしい。

63年前に広島と長崎で起こった惨劇を今後日本で繰り返させないために日本は何をするべきか、少しでも多くの日本国民が正しく認識し、実現に向けて行動していくことを願わずにはいられない。




■この記事が、転載されたり、コピペされたりして、少しでも多くの日本国民に読んでもらえたら幸いです。





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転載元転載元: 正しい歴史認識、国益重視の外交、核武装の実現

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よくテレビなどで、痴識人と称する者が、

「核は使えないので持つだけの価値が無い」という発言を聞く事がある。

しかし本当にそうなのか?

「湾岸戦争において核兵器は使われた。」

そう言ったら驚きますか?

実は使われているのです。


実戦使用ではなくて、政治的使用=核恫喝というヤツです。


イラクが所持しているであろう毒ガス兵器を使わせないために、多国籍軍側は「サダム・フセインが毒ガスを使用すれば核兵器で報復する」と発表し、サダムの毒ガス使用を抑止しました。


それ以前にも、核の政治的使用=核恫喝は戦後史上度々あります。


1946年、イランに侵攻したソ連軍はアメリカから核恫喝を受けて撤退しました。
これを当時は「原子力外交」と言いました。

1951年3月、アメリカは朝鮮半島に戦術核兵器を持ち込むと発表。
同年7月10日、支那はこれに怯み、朝鮮戦争休戦会談に引きずり出される。

毛沢東は「核兵器は怖くない。支那には人が有り余るほどいるので、一億やそこら殺されたところで痛くも痒くもない。」と述べていましたが、強がりだった事がバレてしまいます。
戦術核兵器の朝鮮半島配備は、支那の人海戦術を無力化させる効果もありました。

1954年、第一次インドシナ戦争がディエンビェンフー陥落を以てフランスの敗退が決まると、アメリカは再び支那を核恫喝。
ジュネーブでの休戦協定に支那はまたも引きずり出される。

1955年1月、金門島を砲撃で陥落させようとした支那に対して、アメリカが空母機動部隊を派遣。
「核攻撃する」と恫喝し蒋介石の撤退を援護。

1956年、スエズ動乱(第二次中東戦争)でソ連がイスラエルとイギリスを核恫喝。
アメリカはハンガリー動乱でのソ連を批難する方が得策と判断し両国を援護しなかったのでイスラエルとイギリスはスエズから撤退。(イスラエルは核武装決意)


まあ、ざっと論ってみたところでもこれだけある。

非公式な席ではもっと核恫喝が頻繁にされているだろう事は容易に想像できる。

その証拠に、1996年人民解放軍副総参謀長の熊光楷は訪支したアメリカ国防次官チャールズ・フリーマンに以下のように述べている。


「1950年代貴方がたは3回核兵器で中国を攻撃すると公言した。貴方方がそのような事が出来たのは、我々が反撃出来なかったからである。今我々は反撃する事が出来る。それゆえ貴方がたは再び我々を追い詰めると、貴方がたは台北よりロサンゼルスの方を心配した方が良い。」


2005年だったか、人民解放軍国防大学の防務学院長の朱成虎少将が

「台湾海峡の戦争にアメリカが介入するなら、核兵器で反撃する」

と発言したが、熊光楷の例を見るようにそれ以前から核による脅しは珍しくもないのです。



人民など一億やそこら死んでも痛くも痒くもないと言って大躍進政策や文化大革命で自国民を数千万単位で殺しまくった毛沢東や、粛清と称して同様の事を平然として為したスターリンですら核恫喝には一目もニ目も置かざるを得なかったのです。
まして、国民の幸福を真剣に考えている指導者や選挙で勝ちたいだけの政治屋が、核恫喝に遭えばどのような判断をせざるを得ないのか、想像する事は容易いでしょう。

核恫喝なんか無視しておけば良いのだと無責任な事を言う人は、イスラエル首相のペングリオンや、キューバ危機のケネディ、フルシチョフの立場になって考えてみると良いのです。


「万が一実行しやがったらどうしよう」と考える政治家は責任感のある政治家でしょう。


賢明なる日本国民は政治家の尻を叩いて核武装させなければなりません。


でなければ土壇場で突っ張りきれませんよ。

転載元転載元: 日本核武装講座

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