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今年の会津は、「会津戊辰戦争後150周年」を迎えております。
それに伴い戊辰戦争の歴史的意義と先人の功績を改めて顕彰する発信団体が創立されており、各団体とも活躍されております。しかしこの戦いにより忘れられてしまう人々の悲劇を再認識していただきたく取り上げました。
先人の痛みや信念にふれ、会津の歴史に血を通わせていただきたく、小冊子題名「会津戊辰戦争における悲劇の人々」作成
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よろしくお願いします。
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会津の歴史
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京都・金戒光明寺の会津藩殉難者墓地を訪問
京都市中警護のために会津藩主松平容保が京都守護職に任命され、
文久2年に入洛した松平公本陣として構えた場所
墓地群は北東に位置し、約300坪の敷地に墓地がある
文久二年から慶応三年にかけ237霊
鳥羽伏見の戦い戦死者115霊
禁門の変の戦い戦死者22霊
武士のみでなく使役や婦人も同様に祀られている
墓地までの参道標が数多く有り
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会津三十三観音巡りの21番札所の「左下り観音堂」へ
創建時期は鎌倉時代初期と考えられます。修検道にあって修行に入る前にこもるお堂として建てられました。
方三間の身舎が岩場に建てられており舞台に乗っているようでした。
回廊付き、東向き正面です。
舞台の上から
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只見町の記念館につづいて長岡市記念館を取り上げた。
記念館は戊辰戦争時の長岡藩状況、彼の採った行動、考え方を知ることが出来る。
幕末の風雲児河井継之助の人生魅力は、彼の生き方、個性、能力である。又
ライバルであり幼馴染で友情あった小林虎三郎「米百俵」比較してみるのも面白い。
会館には彼の諸国漫遊歴、小千谷談判と明治維新、長岡城奪還、彼の書等ある。
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秋晴れの一日、只見町の歴史を訪ねました。
八十里越叶津口番所跡の旧長谷部家住宅と河井継之助記念館。
叶津番所は会津と越後の国境に設けられた地方道の関所。
寄棟造りの茅葺。規模の大きな上層家屋で、うまや中門をつけた曲がり家
昔の面影を偲ぶことができる。
河井継之助記念館
幕末の波乱を生きた長岡藩家老の河井継之助は、長岡藩から藩士千数百人をつれて、親藩会津で再起を図るために八十里越えて会津をめざしたが、この地(只見町・塩沢)で亡くなりました。
自嘲の句「八十里 腰抜け武士の 越す峠」
当地塩沢の医王寺に葬られています。
継之助が亡くなった部屋を館内に移築又長岡から会津への戦況図など歴史資料を見ることが出来ます。
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