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先日、家族の関係で鹿児島へ行ってきました。 |
平和への祈り
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もうすぐお盆です。 |

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先程、記事をアップしました。 (もう一つ続きを書くと思います。) 私の母方の祖父は、学徒動員のときに零戦、そして飛行場の建設に携わりました。 そのつながりで、どうしても私と母を知覧へ連れて行きたかったようです。 2回目です。 前回のときは小学生だったので、見ることもしませんでした。 大人になり、まがりなりともヒーラー、セラピストとして命にかかわることをさせていただいてますが、 正直、現代だからこそ出来る仕事だと痛感してます。 実はここへ行く直前、風邪を引いており、普段より防御も出来ず、アンテナが広がっている状態でした。 軍服を見て、肺を鷲掴み・・・ お気付きかもしれませんが、私の中に入ってこられた存在がありました。 お名前は・・・うろ覚えな感じだったので、インターネットで確認を取りました。 非常にありがたいです。 しかも、心残りであっただろうこともインターネット上で知ることが出来ました。 非常に助かりました。 縁があるだろうと思い、神社へお参りに行ったのですが、 お墓参りに行かせていただいたほうがよいのか悩んでます。 どうしよう・・・。 そして、夢を見ました。 こちらは特攻ではなく、長崎の原爆に関係するような感じです。 原爆が落ちる、と言うことをすでに知っていた、と非常にショッキングな内容で、 尚且つ、 その様子を生きて、どこかへ報告せねばならない、というミッションを下されていた… 実は祖父は以前、『原爆というか何か特別な爆弾が落とされると言うことは知っていた。』と話してくれたこともあります。 何かそれに繋がりそうで、こちらもお名前がなんとなくわかっている状態なので、調べてみようと思います。 それでも体調が極端に悪くなりすぎるので、結構辛い・・・・。 目下、福山雅治さんの『群青』これに救われています。
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久々の記事です。 徒然(日記)にしようかと思いましたが・・・こちらで。 そこは鹿児島の指宿市内からも離れ、更に奥の山の上にある。 今でこそ車で簡単にいけるけれども、もっと昔は本当に隔離された場所だったと思う。 私は今回で2回目。 『知覧』 今からおよそ60年前。 ここから片道分の燃料しか積めない、鉄の塊が大国の軍艦をめがけ、飛び立っていった。 もちろん、当時に自動操縦の機械はない。 今の高校生の年齢の方々が『帰る』という選択肢は一切残されない、 運命を 腹を決められ、 青い空へと飛び立ち、青く深い海へと沈んだ。 屋内の光差す展示室には、海から引き上げられた、零戦。 金属の腐食防止処理を受けても尚、磯の香りが漂っていた。 ここへこよう、と連れてきた祖父は、学徒動員でこの零戦の製作に携わっていた。 でこぼこしないビスは熟練者の証。 でも、自分たち素人が打ったあとは、でこぼこしており、これだけでも空気抵抗が生まれ、燃費が悪くなる。 「こんなのでいいのか?」 祖父は現場を監督していた将校に話し、ぶん殴られたと話した。 そして、自分が作っていた頃は、両翼が全て燃料タンクになっていたはずだ、と。 この海から引き上げられた零戦の燃料タンクは操縦席から見て、右方のみ。 一昔前の石油ストーブの給油缶ほどの大きさ。 これは間違いなく、末期のもので、ただ敵艦へ突撃するためのもので、 誰か青年兵の棺になった零戦だった。 何故、命を武器にしないといけない作戦が生まれたのだろうか。 命を懸ける、その意味が最終手段だとわかっている、命がどんなに大切なものなのか、わかっているのに、それすらも戦争と言うものは歪め、捻じ曲げてしまうのだろうか。 知覧の資料館には、絶筆と空に散った青年兵の写真が並べられている。 絶筆はコピーよりも本物が大多数だ。 書かれたご本人だけでなく、 形見とも言える大切な手紙を手放し、こちらへ届けられたご家族の思いも一緒に伝わってくる。 声なき叫び、祈り。 引き寄せられるように、私は一つの陳列ケースへ。 『向日町の方にも手紙を出します。』 思わず、見入った。 私が生まれ、今も住んでいる土地。 同じ方が書いた別の手紙には、妹さんか親しい方なのか女性のお名前があり、私とお名前の漢字が一時違い。 とても綺麗で、整った字で、何度も読んだ。 『国のために生きたと誇りを持ってほしい』 『そんな私をどうぞ褒めてください』 この気持ちをどう表現していいのか言葉が見つからない。 特に、一番に読ませていただいた少尉(殉死ということで死後、2階級特進)は、 知覧特攻の一番最初の部隊の方だった。 自分は『死』しかないことも、 自分のあとにも同じ運命を辿る後輩がいることも、 この特攻の作戦が止められることがないことも全部受け入れて、 その日を迎える。 死と向かい合わせで生きなければいけなかった期間も決して短くはなかったはずで。。 『恐い』とも、 『生きたい』とも言えず。 軍服を見た瞬間、肺を鷲掴みにされたような感覚。 息が出来なかった。 まだ、誰かが着ているような感覚。 もしかしたらまだ、終わっていない御霊もいらっしゃるのかもしれない。 それぐらいガラスを隔てていても、鬼気迫るものがあった。 それぐらいここにはまだ戦時中のときが詰まっている。 『靖国で会おう』 そう言葉を掛け合って飛び立っていた方々の声も聞こえてきそうで、、、、 命と平和 今、私が出来ることは何だろうか、そう思うばかり。
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