平和への祈り

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先日、家族の関係で鹿児島へ行ってきました。

よくよく考えますと、私には山陰地方のハーフであり、静岡県と鹿児島のクォーターということになります。

実は…別の目的があったのですが、なんやらかんやら…

気が付けば長崎鼻から鉄砲伝来之地、種子島を望み・・
かのむかし坊津水軍があった場所へ
そこからさらに九州の端っこを海岸沿いに北上…立ち寄ったのは、坊ノ岬。

写真がアップできればいいのですが、画素数大きいのしかなくて…
後日編集を加えてアップするようにしますが、

そうです、戦艦大和を含む、第二艦隊がこの先に眠っている、その場所へ連れていってもらったのです。

というか、偶然行ってみたら慰霊碑…。

何も視界を遮るものはなく、太陽が海の水面を照らし、眩しいくらいにキラキラと・・・
風も穏やかで、ただただ、地球の丸さを美しさを感じられる場所でした。

慰霊碑にまだ綺麗なままの花束…
やっとの思いできたこの地なのですが、他のどなたかが英霊に捧げて、枯れた花は一本もありません。

以前、私は知覧の特攻平和記念館へ
そして、この戦艦大和がご神益にあやかり名付けられた大和神社へ
この度の、坊ノ岬…

呼ばれているのかもしれません。
きちんとした意味での平和を知るべきかもしれません。

お花を持っていませんでしたので、合掌と念仏しか唱えることはできませんでした。

海の色は冬なのに、なんとも言えない綺麗な青でした。
カラーセラピーで青は、平和の象徴です。
ただただ、この海の青さと穏やかな海、太陽からのきらめきの中にいさせていただきました。

そのとき、ふと思い浮かんだことがあります。
不謹慎かもしれませんが、少しばかり私の感じたことを…

実は私はアニメの宇宙戦艦ヤマトが大好きなのです。
わかりません、ただただ、突っ込みどころはありますが、再放送があると見てしまいます。

たった一隻の軍艦が、未知なる星を目指し、宇宙へ飛び出る。
たった一隻なのに、どんどんと敵を倒し、地球を救うために勝ち進む…

もしかしたら、これは一種の鎮魂というか、癒やしではなかろうか、と。

実際に、ヒーリング・セッション(トラウマ、前世からのショック)を解放するのに、
本当に起こったことをエネルギーレベルで上書きする、という技術があります。
本当はどうなりたかったのか、を付け足すのですが、不思議なことにそれで解放されたり、
前世の魂が成仏??みたいな感じで軽くなることがあるのです。

空想の世界だからこそできることですが、現実レベルでも大きな癒しと、解放があるのも確かです。

真実を伝えることも重要ですが、同時並行でこのように本当はどうなりたかったか…の部分をクローズアップして何か出来ないだろうか、と思います。

知覧でも感じましたが、今あるのは、命をかけて平和を!!と願って行かれた先人がいらっしゃるからです。
あの時代では武器を取り、戦うことしか選択できませんでした。

確かに日本国憲法第9条は国内法で、国際法ではないという危うい一面があります。
戦争を起こさないために何ができるか、個人レベルでは何ができるかわかりませんが、考える思考は常に持っておきたいものです。

皆さまはどのようなアイデア、実践法をお持ちでしょうか?

そして、何よりも同じ今を生きて行かれる大切な皆様が、平和と幸せを心から感じられますよう、、、
祈ることしかできませんので、祈らせていただきたいと存じます。

まずは、お風などをお召にならぬように・・・ですね。

お盆に思うこと

もうすぐお盆です。



お盆近くなると・・・なんとなく、空気の密度が変わっているような気がします。

日本の終戦記念日・・・ということもあるかもしれませんが、命と平和をこの日だけは、
国会議員を含め、みんなが真摯に考えてほしいと思います。



以前ブログに書きましたが、私は祖父に連れられて、鹿児島の知覧へ行ったことがあります。



知覧をご存知ですか??

ここには、特攻隊の飛行場があった場所なのです。

鹿児島県にはこういう飛行場が知覧以外にもあります。



初めて訪れた時は、小学校6年生の時で、ただただこの場所に興味がなかったから行ったと言う記憶はありますが、どうだったかということをあまり覚えてもいませんでしたし、考えてもいませんでした。

ところが、昨年は違いました。



一度行っているから、もういい・・・と言いたかったのですが、やはり祖父が行きたい、と言うことなので、再び行きました。

私の体質上、気をつけないと・・・と思っていてそれなりに準備をして、特攻のみなさんの絶筆などを展示している館内に入ったのですが・・・案の定、大変な状態となりました。



先日も、龍馬伝展で平井収二郎の絶筆(遺言書・・・と言う表現が正しいとは思いませんが、意味はお分かりいただけるかと。)を拝見しましたが、ただの紙じゃないんです。

100年経とうが、この紙には気迫というか、その当時の思いが本当に残っているのです。

それは知覧の展示されている特攻で命を懸けた隊員の絶筆も同じことなのです。


明日、自分はどういう運命になるのか、わかっていても・・・冷静に書いてあったり、
そのままの最後の最後を振り絞るような一言だったり。



8月15日に首相や国会議員が、靖国神社参拝をするのに、私はどちらかというと反対の感情を持っていたのですが、なんとも言えなくなりました。

絶筆の中には、靖国で会おう、と書いてあり、それは戦争に勝つ為に特攻するのではなく、平和を願い、戦争を二度と起こさないようにとの思いを込めての絶筆だったからです。

靖国神社にも確か沢山の絶筆があったと思いますが、、、、対外交のことを考えると、もしかしたらこちらではなく、鹿児島や沖縄のそれぞれの特攻基地や戦場跡に向う方が良いかもしれません。

平和ボケと言われる昨今です。
一番ボケているのは誰でしょう??

それを指摘しない私たち・・・なのかなあ、と。


そしてもしもう少し考えられるのなら、戦争が起こると言うことは、日本だけではなく、他の国でも同じようなことが起きると言うこと、

また、日本は比較的平和であると言われるから、絶筆に触れ、戦争について考えられ、何か行動などが出来る状態であることを忘れないでいたいです。

お盆にもし、お祖父ちゃんお祖母ちゃんと会えて、戦争の時のお話が聞ける機会が今更ながらにあればと思う今日この頃です。

知覧のつけたし

先程、記事をアップしました。
(もう一つ続きを書くと思います。)

私の母方の祖父は、学徒動員のときに零戦、そして飛行場の建設に携わりました。
そのつながりで、どうしても私と母を知覧へ連れて行きたかったようです。

2回目です。
前回のときは小学生だったので、見ることもしませんでした。
大人になり、まがりなりともヒーラー、セラピストとして命にかかわることをさせていただいてますが、
正直、現代だからこそ出来る仕事だと痛感してます。

実はここへ行く直前、風邪を引いており、普段より防御も出来ず、アンテナが広がっている状態でした。

軍服を見て、肺を鷲掴み・・・
お気付きかもしれませんが、私の中に入ってこられた存在がありました。

お名前は・・・うろ覚えな感じだったので、インターネットで確認を取りました。
非常にありがたいです。
しかも、心残りであっただろうこともインターネット上で知ることが出来ました。
非常に助かりました。

縁があるだろうと思い、神社へお参りに行ったのですが、
お墓参りに行かせていただいたほうがよいのか悩んでます。

どうしよう・・・。


そして、夢を見ました。
こちらは特攻ではなく、長崎の原爆に関係するような感じです。

原爆が落ちる、と言うことをすでに知っていた、と非常にショッキングな内容で、
尚且つ、
その様子を生きて、どこかへ報告せねばならない、というミッションを下されていた…

実は祖父は以前、『原爆というか何か特別な爆弾が落とされると言うことは知っていた。』と話してくれたこともあります。
何かそれに繋がりそうで、こちらもお名前がなんとなくわかっている状態なので、調べてみようと思います。


それでも体調が極端に悪くなりすぎるので、結構辛い・・・・。

目下、福山雅治さんの『群青』これに救われています。

いのち 〜知覧にて〜

久々の記事です。
徒然(日記)にしようかと思いましたが・・・こちらで。


そこは鹿児島の指宿市内からも離れ、更に奥の山の上にある。
今でこそ車で簡単にいけるけれども、もっと昔は本当に隔離された場所だったと思う。

私は今回で2回目。

『知覧』

今からおよそ60年前。
ここから片道分の燃料しか積めない、鉄の塊が大国の軍艦をめがけ、飛び立っていった。

もちろん、当時に自動操縦の機械はない。

今の高校生の年齢の方々が『帰る』という選択肢は一切残されない、
運命を
腹を決められ、
青い空へと飛び立ち、青く深い海へと沈んだ。

屋内の光差す展示室には、海から引き上げられた、零戦。
金属の腐食防止処理を受けても尚、磯の香りが漂っていた。

ここへこよう、と連れてきた祖父は、学徒動員でこの零戦の製作に携わっていた。

でこぼこしないビスは熟練者の証。
でも、自分たち素人が打ったあとは、でこぼこしており、これだけでも空気抵抗が生まれ、燃費が悪くなる。

「こんなのでいいのか?」

祖父は現場を監督していた将校に話し、ぶん殴られたと話した。

そして、自分が作っていた頃は、両翼が全て燃料タンクになっていたはずだ、と。

この海から引き上げられた零戦の燃料タンクは操縦席から見て、右方のみ。
一昔前の石油ストーブの給油缶ほどの大きさ。

これは間違いなく、末期のもので、ただ敵艦へ突撃するためのもので、
誰か青年兵の棺になった零戦だった。

何故、命を武器にしないといけない作戦が生まれたのだろうか。
命を懸ける、その意味が最終手段だとわかっている、命がどんなに大切なものなのか、わかっているのに、それすらも戦争と言うものは歪め、捻じ曲げてしまうのだろうか。

知覧の資料館には、絶筆と空に散った青年兵の写真が並べられている。
絶筆はコピーよりも本物が大多数だ。
書かれたご本人だけでなく、
形見とも言える大切な手紙を手放し、こちらへ届けられたご家族の思いも一緒に伝わってくる。

声なき叫び、祈り。

引き寄せられるように、私は一つの陳列ケースへ。

『向日町の方にも手紙を出します。』

思わず、見入った。
私が生まれ、今も住んでいる土地。

同じ方が書いた別の手紙には、妹さんか親しい方なのか女性のお名前があり、私とお名前の漢字が一時違い。
とても綺麗で、整った字で、何度も読んだ。

『国のために生きたと誇りを持ってほしい』
『そんな私をどうぞ褒めてください』

この気持ちをどう表現していいのか言葉が見つからない。
特に、一番に読ませていただいた少尉(殉死ということで死後、2階級特進)は、
知覧特攻の一番最初の部隊の方だった。

自分は『死』しかないことも、
自分のあとにも同じ運命を辿る後輩がいることも、
この特攻の作戦が止められることがないことも全部受け入れて、

その日を迎える。

死と向かい合わせで生きなければいけなかった期間も決して短くはなかったはずで。。
『恐い』とも、
『生きたい』とも言えず。


軍服を見た瞬間、肺を鷲掴みにされたような感覚。
息が出来なかった。

まだ、誰かが着ているような感覚。

もしかしたらまだ、終わっていない御霊もいらっしゃるのかもしれない。
それぐらいガラスを隔てていても、鬼気迫るものがあった。

それぐらいここにはまだ戦時中のときが詰まっている。


『靖国で会おう』

そう言葉を掛け合って飛び立っていた方々の声も聞こえてきそうで、、、、

命と平和

今、私が出来ることは何だろうか、そう思うばかり。

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