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昨日父が言ってたことを加筆して投稿します。 大阪は御堂筋、昭和元年から昭和12年に地下鉄と共に拡張工事が行なわれました。 3間程の道路を一挙に24間! 「なんでこんな広い道路つくんねん!」と当時の人は思っていたそうで。リンク先 にはそのときの建設の様子が少し伺えます。地下の工事も終わりいよいよ道路の舗装。 この部分に誤りがありますーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 現在のようなアスファルト舗装やコンクリート舗装というものではなく。一面に木片 ブロックを並べて上をタールを塗布して固まった状態で舗装完了としていたようです。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ↓ 正しくはーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー アスファルト舗装で施工されたようですが。経済封鎖後、石油製品の輸入が ストップしてから、補修の代用品として一部に木片ブロックが使われたようです。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 大阪中心の商業地に丁稚奉公に出ていた私の父は、車も走らない滑走路みたいと言っ ていた。夕刻には当時ローラースケートが丁稚さん仲間で流行っていて父も遊んだ そうです。 後に大阪空襲があったときは、上の通りの舗装道路ですから、道路自体が燃え盛って ひどい煙と激臭で一帯を覆ったと聞いております。 大阪空襲は3回ほどあったらしく、建物は燃えるし道も燃えるという状況で被害も 大きくなったんだと言っておりました。 ※記述には誤りがあるかもしれません。 <御堂筋まちづくりネットワーク 「御堂筋建設」>
http://www.midosuji.biz/history.html <立教大学ローラーホッケー部 「ローラースケートの歴史」> http://www.rikkyo.ne.jp/~z4000074/rorahohistory.htm |
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そんな舗装の方法が有ったとは知りませんでした、まさか道路が燃えるとは・・・。
2005/8/5(金) 午後 7:59
takesikabulifeさんコメントありがとうございます。これを投稿してから調べてみました。おそらく「ABCD経済封鎖」で石油の輸入がストップしてから部分補修の代用品としてごく一部に木片を用いたのをだと思います。一般的ではなかったようです。父に確かめたところ木片ブロックは間違いないと言ってましたのでそのようなところもあると言う程度でご理解くださいm(__)m
2005/8/5(金) 午後 10:03
丁寧な補正記事有り難うございました、又の来訪をお待ちしています。
2005/8/6(土) 午前 10:36