三浦綾子 あかし

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あかし 三浦綾子 

今回は、私の大好きなクリスチャン作家
三浦綾子さんの、あかしのお話をご紹介します。



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わたしがキリスト信者になった時、
友人たちは
「へぇー、あの人がクリスチャンになったって?」
と、驚いたということである。
なぜ驚いたのか。


その第一の理由は、わたしが
大のキリスト教ぎらいだったからである。


わたしには、キリスト信者という者は、妙に堅苦しい
人種に思われてならなかった。
上品ぶっているようにも見えた。
へんに優しげな種族とも言えた。

それでいて、内心信者でない者を上から見下しているような
傲慢さがあるようにも思われた。


それに、日本人が何も外国の神を拝むことはないという
気持ちもあって、とにかく、わたしはキリスト信者なる人たちに
反感を持っていた。


友人達が驚いた第二の理由は、わたしが、あまりにも
自堕落な人間だったからである。


当時のわたしを、友人たちはヴァンプ(妖婦)だと言っていた。
美しくもないのに、わたしには男の友達が多かった。


わたしは、生きることに何の喜びも持たず、
いつ死んでもいいと思っている投げやりな、
虚無的な人間だった。


およそわたしは、上品でもなければ、正直でもない。
優しくもなければ、真面目でもない。
その私がキリスト信者になったと聞いた時、
友人たちが
「あの人が!」
と、唖然としたのも無理はない。


このわたしが、どうしてキリストを信ずるようになったのか。
話は少しさかのぼる。


昭和二十年、敗戦を迎えた時、わたしは旭川のある小学校の教師をしていた。
教師をして7年目、23歳だった。


私は旧制女学校卒業後、検定試験を受けて
小学校教師になったのは、まだ17歳未満であった。


自分の口から言うのもおこがましいが、
わたしは生徒に対しては熱心すぎるほど熱心な教師であった。


それは若い者が誰でも持っている熱情の故であったろう。
教壇に倒れるならば本望だと、本気で私は思っていた。

そのわたしが、敗戦を迎えてのショックは大きかった。
敗戦によって日本はアメリカ軍に占領された。
占領軍の命令は絶対である。


その指令により、わたしたちの使っていた教科書は
いたるところ、自分達の手で真っ黒にぬりつぶさなければならなかった。


わたしも、受け持ちの4年生に墨をすらせ、何ページをひらいて、
何行から何行目までを消しなさいと、生徒たちに指示した。


生徒たちは、言われるままに素直に自分の教科書を筆でぬりつぶす。
その姿を見て、教師であるわたしの胸は押しつぶされる思いであった。


昨日まで、教科書は手あかもつけないように、生徒たちに大事にさせてきた。
その教科書を今、筆で墨をぬる作業をさせねばならない。


彼らの姿を見ながら、わたしの胸にはぽっかりと穴があく感じを
どうすることもできなかった。


以来わたしは、何を生徒に教えるべきかわからなくなった。
今まで教えてきた日本の方針が正しいのか、
アメリカの新方針が正しいのか。
そのどちらもまちがっているのか、わたしはわからなくなった。


生徒に何を教えるべきか、わからなくなったわたしは
教師をやめた。


そして、わたしは2人の男性と同時に結婚の
口約束をするような女に堕落した。


どちらか早く結納をもってきたほうと、結婚しようと思っていた。
一生の一大事である結婚にさえ、こんな投げやりな
考え方を持っていたのである。

やがてその一人が結納を持ってきた。
ちょうどその日、わたしは貧血を起こして倒れ
まもなく肺結核を発病した・・。

こうして2年、療養生活に入ったわたしは
むなしさの果てに自殺をはかったこともあった。

そのわたしにキリストを伝えてくれたのは
幼なじみの、前川 正であった。
彼もまた肺を病む医学生だった。


だがいつまでたっても真剣に生きようとしないわたしの姿に、
彼はある日、旭川の街を一望する丘の上で、わたしをいさめた。


その彼に応じないふてくされたわたしを見て
彼はいきなり、傍にあった小石で自分の足を打った。
驚いて止めるわたしに、彼は言った。


「綾ちゃん、あなたが真剣に生きることを
僕は今まで神に祈ってきた。しかし、僕にはあなたを救うことは出来ない。
その不甲斐のない自分を、僕は責めているんです」


彼の目にあふれる涙を見た時、わたしは全身を彼の愛がつらぬくのをかんじた。
それは、男が女を愛する愛ではなく、人格が人格を愛する愛であった。


以来、わたしの姿勢は変わった。
だまされたと思って、彼の信ずるキリストを求めてみよう。


わたしは、彼の背後にある何か輝く清いものを
求めて生きはじめた。


この世には信ずべき何ものもないとし、
キリスト信者を侮蔑し、嫌っていたわたしも
彼の真実な生き方に心を打たれたのである。


その後、幾多の曲折はあったが、わたしはついに床で洗礼を受けた。
忘れもしない昭和27年7月5日だった。


わたしがどのようにして、神の子キリストを信じたか。
それは、わたしの自伝「道ありき」や
「光あるうちに」などに詳しく書いてあるが、
わたしは、自分の小説「塩狩峠」の一節を引用して
その一端を伝えたい。


小説「塩狩峠」は、明治42年2月28日、
北海道、塩狩峠における列車転覆の際一命を投げうって、
乗客の命を救った一人のキリスト信者の青年をモデルに書いた実話である。


その青年は国鉄職員で、当時旭川運輸事務所
庶務主任の職にあった長野政雄という人である。


彼の死に感動した人々は、同時に彼の信仰に打たれて
続々とキリスト教に入信した。


彼は神と人とのために、いつでも死ねるように
遺書を常時していたが、その血まみれの遺書の言葉と
長野氏の写真が絵ハガキとなって
彼の死後、多くの人に配布された。


次はその彼が雪の札幌の街角で聞いた
一伝道師の説教で、この説教は彼に大きな
影響を与えた。



「人間という者は、皆さん、一体どんなものでありますか?

まず人間とは、自分を誰よりもかわいいと思う者であります。

しかし皆さん、真に自分がかわいいということは
どんなことでありましょうか。

真に自分がかわいいとは、おのれの醜さを憎むことであります。

しかし、我々は自分の醜さを認めたくない者であります。

例えば、つまみ食いはいやしいとされておりましても
自分がする分にはいやしいとは思わない。

人の陰口を言うことは、男らしくないことだと知りながらも、
おのれの言う悪口は、正義の然らしむるところだと思うのであります。

俗に「泥棒にも三分の理」ということわざがあるではありませんか。

人の物を盗んでおきながら、なんの申しひらくところがございましょう。
しかし泥棒には泥棒の言い分があるのでございます。


皆さん、しかし私は、たった一人、世にもばかな男を知っております。

その男はイエス・キリストであります。

イエスキリストは何ひとつ悪いことをなさらなかった。

生まれつきの盲目をなおし、足なえをなおし
そして人々にほんとうの愛を教えたのであります。

ほんとうの愛とはどんなものか、皆さん、おわかりですか?

ほんとうの愛とは、自分の最も大事なものを
人にやってしまうことであります。

最も大事なものとは何でありますか?
命ではありませんか。

このイエスキリストは、大事なその命を我々に下さったのであります。

彼は決して罪を犯さなかった。
我々は自分が悪いことをしながら、自分は悪くないと言うものでありますのに
何ひとつ悪いことをしなかったイエスキリストは、
いや善いことばかりをしたイエスは、
この世のすべての罪を背負って、十字架にかかられたのであります。


彼は、自分に罪はないと言って、逃げることは出来たはずであります。
しかし、彼はそれをしなかった。


悪くない者が、悪い者の罪を背負う。
悪い者が、悪くないと言って逃げる。
ここにハッキリと、神の子の姿と罪人の姿があるのであります。


しかも皆さん、十字架につけられた時
イエスキリストは、自分を十字架につけた者の為に
かく祈りたもうたのであります。


『父よ(神よ)、彼らを許したまえ。
そのなす所を知らざればなり』


皆さん。いま、自分を刺し殺す者のために
人間は祈り得るものでしょうか?
イエスは許したまえと祈ったのであります。
これこそ神の人格を所有する方であるとわたしは思うのであります」



以上の伝道師の路傍説教を、小説の主人公は聞き
大いに心を動かされ、やがて信仰生活に入るのであるが、
これは、言ってみればわたし自身の信仰告白である。


わたしは前述したように、何のために生きているのかもわからず
虚無的な日々を送っていた。
2人の男と結婚の約束をし、それをさほど悪いこととも思っていなかった。


だがそんな生き方を、もし続けていたら
一体わたしの一生はどんな一生になったことだろう。

こんないい加減な、その日暮らしの生活になんの実りがあったろう。


かけがえのない命をいたずらにほろぼしてしまったにちがいない。


この、わたし自身の心の汚さ、醜さのために
つまり罪のために、イエスキリストが
十字架にかかられたと知ったとき、わたしの生活は変わったのだ。


今まで、どんな罪深い生活をしてきた人でも
自分勝手な人でも、手のつけられぬ人間と思われている人でも、
自分自身に愛想つきた人でもそのままでいい。罪深いままでいい。


聖書にあるとおり、キリストは我々罪人を
救うためにこの世に来られたのだ。
ああ、わたしが悪かった、おゆるしくださいと
言う人を、神は喜んで迎えようとしておられるのだ。


だまされたと思って、あなたもイエスキリストの神を信じてください。
全く別の人生があなたの行く手に待っていることを
わたしは断言してはばからないのです。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

イエスは言われた。
「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく
病人である。
わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく
罪人を招くためである。」
(マルコによる福音書 2章17節)

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