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今回もやってきました、春川。
韓国ドラマ『冬のソナタ』 大好きの私にとって ここ春川は 『聖地』 です。
今回は 『チュンサンの家』 訪問の他に 目的が二つ。
1つは 友達に会うこと、もう1つは 妹の友達が 大好きだという イ・ジュンギ のミュージカルを観るため。
このミュージカル、巨済公演を皮切りに、全州、春川、大田などの地域で上演されるそうですが
各地で パンフレットの様式が違うそうなんです。
妹の友達は ミュージカル鑑賞ツアーで 巨済公演に参加したそうなんですが
「春川に行くなら ぜひ 『春川バージョン』 のパンフレットを・・・」というお願いを受けて、上演先の
江原大学・ベクリョンアートセンター へ。
ミュージカル 『生命の航海』国防部・陸軍本部・韓国ミュージカル協会が共同制作した 『生命の航海』 は 朝鮮戦争当時 14,000人余りの
避難民が北朝鮮・咸鏡南道の興南埠頭からアメリカの貨物船「メレディスビクトリー号」に乗り巨済に脱出した
「興南撤退作戦」を背景とし ある避難民の家族があらゆる苦難を乗り越えて 巨済島に到着するまでを描いています。
芸能兵士は イ・ジュンギ、チュ・ジフン・キム・ダヒョンが参加、この他 今年5月 10:1の倍率をくぐりオーディションに
合格した軍の将兵の俳優42人とスタッフ13人が参加しています。
あらすじ 全てが韓国語で(当然ですが・・・
不思議なもので ずっと見ていると なんとな〜く ストーリーが分かってきました。
それより・・・ビックリしたのが 最後 出演者一同が舞台にそろった時・・・
観客みんな、一斉に舞台に駆け寄り 写真OK、ビデオOK・・・ 何でもあり、で
知ってりゃ、スタンバイしたのに・・・
妹の友達のため 唯一 私が撮ったイ・ジュンギは こちら・・・
ごめんね〜
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わぁ〜いいなぁ!!
言葉がわからなくても、心で感じとれる…のかな^^
それにしても、写真OKビデオOKなんて、日本では考えられないですよね。
2010/11/15(月) 午後 3:46
わぁ〜いいですね〜
韓国のミュージカルって、オープンな感じなんですね!?
写真OKとか駆け寄って・・・なんて日本ではまずスタッフに止められちゃいますもんね(−。−;)羨ましい!妹さんの好きなイ・ジュンギさんの写真が撮れてよかったですね♪
2010/11/15(月) 午後 8:36
うらやまし〜
これってジュンギシの兵役活動の一環のミュージカルですよね。
確かリハーサルで顔に大怪我したとか。
傷跡って目立ってました??
顔が命の芸能人なのに大変ですよね。
兵役活動だから体張っているといえば張ってるんですが
大変ですよね。。。
2010/11/15(月) 午後 9:13 [ こぐま ]
そうなのよ、こっぴぃさん。何でもアリって日本では考えられませんよね。日本だったら舞台が終わって片付けが始まっているのに、それでもカメラを向けると叱られる・・・
2010/11/16(火) 午後 11:17
うさぎさん、妹の友達・・・です(笑)妹の友達は最初はイ・ビョンホンでイ・ジュンギは3人目だそうです(笑)その中でイ・ジュンギのファン歴が一番長いそうです。
2010/11/16(火) 午後 11:21
こぐまさん、傷は遠目にはわからなかったですが妹の友達は随分気にしていたそうですよ。
2010/11/16(火) 午後 11:27
チッソの高い技術開発
創始者に東京帝大電気工学科出身の技術者を持つチッソは、昭和30年代において、日本の化学工業の最先端を行く企業として、また技術者を大切にする企業として応用化学を専攻する学生の間では評価が高く、トップクラスの学生しか入れないという状況であった。
確かに、その歴史は、常に新しい技術を自社で開発してきたことを示している。昭和7(1932)年、橋本彦七氏らは、アセトアルデヒド製造技術(母液循環法)を独自に開発し、ここからブタノール、酢酸、酢酸エチル、無水酢酸、酢酸繊維素、酢酸ビニールなどの製品化に成功した。
昭和16(1941)年には、日本で初めてアセチレンから塩化ビニールの合成に成功している。
水俣工場は、アセチレン有機合成化学の開発工場であり、戦前の日本化学工業界の技術をリードする存在であった。
チッソは、水俣工場で開発されたこれらの技術を使って、朝鮮咸鏡南道に建設した興南工場を中心にして、東洋一の電気化学コンビナートを造り上げた。
2012/6/16(土) 午後 7:59 [ 高砂のPCB汚泥の盛立地浄化 ]
朝鮮半島は資源は豊かではなく、唯一活用できる資源は水でした。日韓合邦後、朝鮮総督府は大規模な水力発電を利用して総合的な国土開発に着手しています。
日本窒素肥料の大実業家、野口遵は昭和3年鴨緑江上流を堰きとめ内地にもなかった17万KWもの巨大な発電所を作っています。
さらにその2年後には20万KWの発電所を建設しました。
発電事業が軌道に乗ると野口は朝鮮窒素株式会社を設置し、電力を利用して空中窒素から硫安(硫酸アンモニウム)を作り、内地へ移出しました。続いて白頭山、豆満江、虚川江などにも次々と15万KWを確保する水力発電を設けています。
鴨緑江流域には義州、雲峰、水豊など7箇所にダムを建設し、巨大な湖を作ることで180万キロワットの出力が可能な大発電所を計画しました。
野口は引退のとき、資産の大部分である3000万円(現在の6000
億円)文部省の科学進行のためと朝鮮人子弟の教育のために寄付しています。
これらの電力は各家庭にも供給され、発電所やダムは北朝鮮の国章となっています。
2012/8/5(日) 午後 8:42 [ 中国韓国の原発リスク ]