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母にとって創価学会は彼女の人生そのものである。
高校時代から熱心に学会員として活動していた。
母の両親は生まれてくる母に対して男であることを望んだ。しかし、母は女として生まれた。
望まれない子供として生まれたと言う自覚がある母にとって、創価学会は自分を必要としてくれる、褒めてくれる場所だった。
母は常に自分は誰かに褒められたい、必要とされたいと思っている。母自身がそう話していた。
その気持ちが強すぎて無理をすることが多い。
いつも全力で行動するので、家に帰ってくると寝たきりで起きないこともよくあった。
幼い頃の母の記憶はいつも一生懸命、だけどいつも寝ている母の姿だ。
池田名誉会長の追っかけのようなこともしていた。池田名誉会長が現れるという場所を知るとすぐさま私たちを連れて駆けつけて、滞在していると言う場所を指差して「あそこに先生がいらっしゃるのよ」と私たちに話した。
車で走り去る池田名誉会長を指差して「追いかけて手を振ってらっしゃい!」※と言ったこともあった。
池田名誉会長に子供たちをなんとしても合わせるというのがその頃の母の目標だったようだ。
私には母が追っかけをする理由がまったく理解できなかった。
そんなに池田名誉会長が好きなのかな。と思っていた。
池田名誉会長の誕生日には家に飾ってある名誉会長の写真を見ながら似顔絵を描かされ、信濃町にある創価学会本部に届けたりしたこともあった。
母の池田大作追っかけは私が中学に上がる頃まで続いた。
追っかけに付き合いたくない私たちの気を惹くために母はお菓子や外食で釣ったりしていた。
※当時はそういう追っかけ婦人部が多発していたらしく、後にあぶないから車を追いかけるようなことはしないようにと注意があった。
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