風船子、迷想記

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橋本治の円山応挙論

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◆橋本治、応挙を論ず

 今週は政治モノが続いたので、土曜ぐらい日本画で気分転換といきましょう。

 「ひらがな日本美術史5」(橋本治、新潮社)を開く。橋本の美術評は、イラスト実作者としての経験に裏打ちされているせいか、他の分野の橋本の評論がともすれば「思いつき」に流れるのに対し、具体性に富んでいる。「自分の土俵」という意識があるせいか、断言にも自信が感じられる。「具象画風味の橋本節」は「教科書」として有益である。

 というわけで、同書冒頭にある円山応挙論のご紹介です。

 円山応挙(1733〜1795)は、江戸中期の人気画家だった。写実の巧みさが特徴で、橋本は、「西洋絵画の写実性を取り入れた新しい日本画」の観点から、応挙を「近代日本画の祖」と位置づける。

 そして、こう付け加える。

「だから近代日本画のつまらなさの源流は円山応挙にある」と言ったら怒られるかもしれないが。


 京都で一番の人気画家になるが、生存中に「応挙はつまらない」と拒絶した画家がいた。「奇想の画家」である曽我蕭白である。

 蕭白は、「画を望まば我に乞ふべし、絵図を求めんとならば円山主水(応挙)よかるべし」と言ったんだそうである。私流にそれを書き換えてしまえば、「俺の絵は芸術だが、応挙の絵は京都のプチブルの飾りだ」くらいのもんだろう。

 蕭白は反体制の前衛画家であり、応挙は体制順応の人気画家である。私も「ああ、優等生だな」とは思うのだが、しかし、私は応挙の絵を「つまらない」とは思わない。

 ここから、橋本流の「もって回った話」になる。

「雪松図屏風」(写真は上に掲載)は唯一応挙の中で「国宝」に認定されている。

 しかし、「応挙の中で一番つまらない作品を挙げろ」と言われたら、私はためらうことなく、この「雪松図屏風」をあげる。応挙は、松が下手である。他はともかく、松だけは下手である。応挙の絵の特徴はその緻密さにあって、松の幹を描くために必要なダイナミズムがない。
「雪松図屏風」では、画面中央にデンとある松の幹に、雪をかけてぼやかしている。この「雪」もだめである。まるで小麦粉をかけられたようだ。「雪」には見えず、「粉まみれの松」である。

 応挙の作品に「国宝」の称号を与えることに対して、私は反対しない。しかし、それだったら重要文化財の「雲龍図屏風」や「牡丹孔雀図」を国宝にすればいい。

 確かに、応挙の作品は優等生的でつまらない。しかし応挙の作品から「雪松図屏風」を除外したら、案外、応挙は「いい画家」になるんじゃないだろうか。
応挙を優等生的にしたのは、応挙自身ではなく、彼を取り巻く評価だったのではないかと、私なんかは思うのである。


 応挙の日本絵画史に対する影響とは何だったのか。

 応挙は、日本の絵画に写生を持ち込んだ人である。応挙の出現によって、日本の絵画は一新されてしまった趣もある。応挙の描法は、緻密で丹念で、「すきま」というものがあまりない。応挙は死ぬまでその特質を持ち続けた人である。つまりは、一生若かった。応挙は、少年であることを手放さないーであるがゆえに、大人としての変貌を遂げられなかった「永遠の青年画家」なのである。
 だからこそ彼には、グロテスクないびつが微塵もなく、だからこそまた、成熟もない。その彼を「巨匠」扱いしてしまったことが、近代日本の誤りというか、事大主義なのであろう。


 応挙のオリジナリティは、「写生」よりも「付立(つけたて)」と呼ばれる技法を確立したことにある、と橋本は指摘する。

 まず、輪郭線についての考察から始まる。

 ちなみに、風船子は、「絵画における輪郭線」については強い関心を持っている。われわれがモノを見るとき、モノには輪郭線はない。絵はおそらく線描で始まったが、この線描の名残りが絵画の輪郭線なのか。

 日本、そして中国絵画の根本にあるのは「線」である。墨の輪郭線を排除してしまったら、東洋絵画は成り立たなくなってしまうと言ってもいい。その輪郭線をなくしたのは、墨と水を併用して「墨の線をぼかす」をやってしまった水墨画である。水墨画は、東洋絵画に三次元表現をもたらしたと言ってもいいだろう。
 しかし、水墨画以外の絵で、まだ墨の輪郭線は絵の主役だった。時としてその墨の線がうるさくなるーそう思った中国人は、それを消す画法を考えた。美しい羽を持つ鳥や花を描くときに、墨の輪郭線は邪魔になる。それで、発達した技法が「没骨(もっこつ)」と呼ばれる技法である。日本に入ってきた「没骨」を、さらに自分なりに消化して生まれたものが、応挙の(筆に二種類の絵具を同時に含ませて描く)「付立」である。


 応挙が開発した新しいテクニックは、「何でも描ける技法」として、当時の画壇を席巻した。それまで君臨していた狩野派の絵は、応挙の出現で一気に古臭い魅力のない絵にされてしまったという。

 しかし、江戸幕府は狩野派の絵を公認し、明治政府の文部官僚・岡倉天心も「新しい日本画」の核として狩野派を考えていた。しかし、応挙以上の「なんでも描ける技法」を、近代の日本画家たちは発明しなかった。

 この応挙の独創性と日本絵画の限界との関係を、橋本は、こう結論付ける。

 今のところ円山応挙は、「近代日本画のスタートラインにすでに存在している“近代日本画のゴール”なのである。


 優等生的独創性。形容矛盾のようにも思えるが、特に日本では成立可能な概念だ。思想、文学など絵画以外の分野でも、橋本が指摘する「応挙的存在」が何人か思い当たる。

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