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			<title>風船子、迷想記</title>
			<description>　野次馬稼業を４半世紀続け、風船よろしく、アジア、中東、欧州を、あっちへ行ったり、こっちへ行ったり。今は関東の某所で定住生活をしています。
　
　所詮、他人様の文章のコピペと私的ななぐり書きですが、気持ちだけは、「自分の外側」に向かって書いているつもりです。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/soko821</link>
			<language>ja</language>
			<copyright>Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.</copyright>
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			<title>風船子、迷想記</title>
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			<description>　野次馬稼業を４半世紀続け、風船よろしく、アジア、中東、欧州を、あっちへ行ったり、こっちへ行ったり。今は関東の某所で定住生活をしています。
　
　所詮、他人様の文章のコピペと私的ななぐり書きですが、気持ちだけは、「自分の外側」に向かって書いているつもりです。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/soko821</link>
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		<item>
			<title>追悼、岡田英弘さん</title>
			<description>&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　 歴史学者の岡田英弘氏の訃報が今朝の朝刊各紙に載っていた。&lt;br /&gt;
　ちょうど岡田氏の『日本史の誕生』（ちくま文庫）を読んでいるところだった。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　岡田氏の『世界史の誕生』（ちくま文庫）は、モンゴル帝国が真の意味での「世界史」を成立させたと主張する。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;pre class=&#039;wiki&#039;&gt;中国史では、「第一の中国」は秦と漢時代の統一国家、その後、分裂し、中央ユーラシア草原から移動してきた鮮卑などの遊牧民が隋、唐の「第二の中国」を作る。この鮮卑系と争い、最後に中国を飲みこんだのが中央ユーラシア草原のトルコ、ウイグル、キタイ、金、モンゴルである。とくにモンゴルは中国を徹底的にモンゴル化して、元、明、清の「第三の中国」を形成した。このモンゴル化した中国が、今、いわれる「中国の伝統文化」である。
&lt;/pre&gt;

&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;pre class=&#039;wiki&#039;&gt;モンゴル帝国が、それまで別個に存在していた地中海型の歴史と中国型の歴史を融合させて、はじめて「世界史」を成立させた。
　
モンゴル帝国の影響は広範囲にわたり、中国、インド、ロシア、イランの成立にはモンゴルが深くかかわっており、これらは「モンゴル帝国の継承国家」といってよい。
&lt;/pre&gt;

&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　スケールがでかすぎて、真偽の判定は素人の能力を超えている。ただ、斬新な視点で世界史を再構成する手際の鮮やかさ、断定の切れ味は、読んでいて爽快感を覚えた。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　『日本史の誕生』も、アジア全体の視点から、極東の島国の地域史としての「日本史」を解き放つ魅力にあふれている。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;pre class=&#039;wiki&#039;&gt;　日本文明と韓国文明は、中国文明の基礎のうえに、660年代に同時に発達を始めたものである。

　日本史という枠組みは日本という国家が成立した後にしかあてはまらない。だから、7世紀の日本建国以前の歴史は、日本史でも、日本古代史でもなく、日本列島・韓半島・満州・中国にまたがる、広い意味での中国史なのである。
&lt;/pre&gt;

　&lt;br /&gt;
　岡田氏は、日本の建国の事情について、「みなさんの気に入るような話にはなりそうもない。しかし、真実はえてして苦いものだとあきらめてもらおう」と前置きして、大胆にこう要約している。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;pre class=&#039;wiki&#039;&gt;　一口に言えば、われわれ日本人は、紀元前2世紀の終わりに中国の支配下に入り、それから400年以上もの間、シナ語を公用語とし、中国の皇帝の保護下に平和に暮らしていた。それが、紀元4世紀の初め、中国で大変動があって皇帝の権力が失われたために、やむをえず政治的に独り歩きをはじめて統一国家を作り、それから独自（？）の日本文化が生まれてきたのである。
&lt;/pre&gt;

&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　うーん、気に入るかどうかは別にして、明解である。&lt;br /&gt;
　お悔みのかわりに、残りを読み続けたい。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/soko821/34750734.html</link>
			<pubDate>Wed, 31 May 2017 23:54:04 +0900</pubDate>
			<category>歴史</category>
		</item>
		<item>
			<title>「タテマエ」のお手入れ</title>
			<description>&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;５月14日付の朝日新聞書評欄から、いくつか要約と引用。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;pre class=&#039;wiki&#039;&gt;『財政と民主主義』（加藤創太、小林慶一郎編著、日本経済出版社）
　日本の財政が先進国のなかで飛び抜けて悪化した理由は、財政の透明性が低く、有権者が将来の政府を信用しなかったのが一因。民主主義には、有権者が「合理的な近視眼」に陥る構造が内在する。子供の前にマシュマロを１個置き「20分待てたらもう１個あげる」と言った場合、発言者の信頼度が結果を決める。約束通り２０分後に２個くれることが信用できなければ、今の１個を食べる方が合理的だ。さらに、自分の一票で政策が変わることがなければ、候補者の政策を比較する時間を節約した方が合理的となる。
 　またこの書では、持続可能な社会を築くため、各世代の平均余命に応じて世代ごとに議席数を配分する「余命投票制」が提言されている。
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　評・加藤出
&lt;/pre&gt;

&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　「余命投票制」は、現時点での実現可能性は低いが、高齢化社会での若年、中年の政治的決定権確保に面白い提案ではある。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;pre class=&#039;wiki&#039;&gt;　路上でも国政の場でも、最近、「建前」は通らないようだ。でも、社会を支えてきたのは、建物の梁のような理念である。幾何学を成立させているのは「点」や「線」が本当はどこにも実在しない理念であるのと同じで、言論の自由や多様性の尊重も近代社会を成立させてきた理念である。それが今、とても危うくなっている。
 　こうした理念は「これを崩したら社会はもたない」との危機感に裏打ちされていなければ、もたない。だからこそ、「建前」を絶えず手入れしておく必要がある。
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　鷲田清一
&lt;/pre&gt;

&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　「建前」の手入れの重要性。自己、あるいは所属集団の個別利益の強調が「ホンネ」として肯定的に語られる現在、有効な「タテマエ」のお手入れとは何か？&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/soko821/34737142.html</link>
			<pubDate>Sun, 21 May 2017 23:18:36 +0900</pubDate>
			<category>その他人文科学</category>
		</item>
		<item>
			<title>安部改憲は「９条護憲」？</title>
			<description>&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;「毎日新聞」のコラム「風知草」(5月15日付け)で、山田孝男・特別編集委員が指摘している点は、今後の改憲議論を考えるうえで参考になる。（引用ではなく、要約です）&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;pre class=&#039;wiki&#039;&gt; 安倍首相の「9条改憲」提案について、「右翼政権の勝手放題」との評判が先行しているが、法律的に言えば、これは右翼的とは言い難い。
　安倍提案は、「国防軍」創設を盛り込んだ自民党改憲草案とは違い、自衛隊は自衛隊のままでよいとする。形こそ「9条改憲」だが中身は「9条護憲」的だ。

　さらに、安倍は9条削除論も退けた。
　9条1項（戦争放棄）は他国の憲法にもみられる理想の表明であり、改正を主張する人は少ない。一方、2項（戦力不保持と交戦権否認）は矛盾の核心である。2条削除論は保守層の間で一定の支持があるが、安倍は2項削除も否定した。

　つまるところ、安倍の提案は、「専守防衛である限り、自衛隊は合憲」という従来の政府解釈の追認であり、公明党の「加憲」論そのものである。
　法制官僚によれば、安倍提案に従って9条3項を新設する場合、「前項（2項）の規定は自衛隊の設置を妨げない」という表現が有力らしい。

　石破など自民党内には、安倍提案を「敗北主義」と批判する声もある。
　自衛隊は21世紀においても自衛隊であり続けるのか、あるいは国際標準の軍隊に変わるべきか。この選択は21世紀の国際社会に日本はどうかかわるのかの根本にかかわる。

　たしかに安倍は改憲を急ぎ、悪達者な場外戦術を駆使している。政党政治や議会主義の原則、慣行の軽視に対する批判は当然だ。だが、選挙にらみで互いの非をあげつらう攻防はウンザリである。大局を論じてもらいたい。
&lt;/pre&gt;

　&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;indent&#039;&gt;
安倍にとって、実現可能性を考慮して、ここは国防軍創設などをあきらめて、最小限であっても「9条改正」を最優先したということか。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;
&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/soko821/34732372.html</link>
			<pubDate>Thu, 18 May 2017 10:10:53 +0900</pubDate>
			<category>政党、団体</category>
		</item>
		<item>
			<title>「穏健派」不在のシリア情勢</title>
			<description>&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;高橋和夫・放送大教授が日経書評（5月13日付け）でシリア問題関連書籍を紹介していた。大枠理解の参考に。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;pre class=&#039;wiki&#039;&gt;　『シリア情勢』（青山弘之、岩波新書）
→シリア情勢はアサド大統領が悪人で反体制派が善人という善人という勧善懲悪の物語ではない。しかも世界が期待を寄せてきた「穏健な反体制派」は幻想であり、実際には存在しない。この現実に依拠しない限り、シリアは理解できない。
&lt;/pre&gt;

&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;pre class=&#039;wiki&#039;&gt;『中東とＩＳの地政学』（山内昌之・明治大特任教授編集、朝日新聞出版）
→山内教授によれば、シリア情勢の構図を貫く大きなベクトルはプーチン・ロシアのシリアへの本格的な介入である。逆に米国は「穏健な反対派」と呼ばれる勢力に及び腰の援助を与えたのみだった。それゆえにアサド体制が生き延び、反体制派は敗退した。
　
 シリアにおいてロシアの主導権を認め、そのかわりにイラクは米国がリードするというディール（取引）が、トランプとプーチンの間に成立するだろうと山内教授は大胆に予想する。
&lt;/pre&gt;

&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/soko821/34728227.html</link>
			<pubDate>Mon, 15 May 2017 17:17:32 +0900</pubDate>
			<category>中東情勢</category>
		</item>
		<item>
			<title>写実画の凄み</title>
			<description>&lt;p class=&quot;img&quot;&gt;&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-be-04/soko821/folder/521200/67/34726367/img_0_m?1494725307&quot; alt=&quot;&amp;#x0030a4;&amp;#x0030e1;&amp;#x0030fc;&amp;#x0030b8; 1&quot; class=&quot;popup_img_224_320&quot;&gt;&lt;/p&gt;&lt;p class=&quot;img&quot;&gt;&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-be-04/soko821/folder/521200/67/34726367/img_1_m?1494725307&quot; alt=&quot;&amp;#x0030a4;&amp;#x0030e1;&amp;#x0030fc;&amp;#x0030b8; 2&quot; class=&quot;popup_img_540_385&quot;&gt;&lt;/p&gt;&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;Ｅテレの「日曜美術館」の今日のテーマは、「ニッポンの写実画のゆくえ」。番組で紹介された礒江毅、長谷川 &amp;#28542;二郎、犬塚勉、木下晋…いずれも、個展に足を運び、大きな衝撃を受けた画家ばかりだ。平塚美術館で開催中だという。次の日曜に足を運んでみよう。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;pre class=&#039;wiki&#039;&gt;「写実を極めると写実でなくなる」（礒江）
&lt;/pre&gt;

&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;div class=&#039;indent&#039;&gt;
「見たまま」に迫ろうとすると「見えないもの」が見えてくる。リアリズムというのは、不思議なものだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;
※過去記事です&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;a href=&quot;https://blogs.yahoo.co.jp/soko821/folder/521200.html?m=lc&amp;sv=%E3%A6%B9%BE&amp;sk=0&quot; target=&quot;_blank&quot;&gt;https://blogs.yahoo.co.jp/soko821/folder/521200.html?m=lc&amp;sv=%E3%A6%B9%BE&amp;sk=0&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;a href=&quot;https://blogs.yahoo.co.jp/soko821/25693439.html&quot; target=&quot;_blank&quot;&gt;https://blogs.yahoo.co.jp/soko821/25693439.html&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;a href=&quot;https://blogs.yahoo.co.jp/soko821/29415410.html&quot; target=&quot;_blank&quot;&gt;https://blogs.yahoo.co.jp/soko821/29415410.html&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/soko821/34726367.html</link>
			<pubDate>Sun, 14 May 2017 10:20:28 +0900</pubDate>
			<category>イラストレーション</category>
		</item>
		<item>
			<title>「昭和天皇実録を読む」を読む</title>
			<description>&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;『「昭和天皇実録」を読む』（原武史、岩波新書）を読む。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　全体としては、「昭和天皇の理解には、実の母である貞明皇太后との確執が重要」という原武史氏の持論を、「実録」で検証していくというもの。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;div class=&#039;indent&#039;&gt;
まず、昭和天皇の人間形成には、幼少期の沼津体験が多かったと指摘する。（同書からの直接引用ではなく、要約です）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;pre class=&#039;wiki&#039;&gt; 昭和天皇は幼少時に静岡県沼津にある川村伯爵の別邸で1年のうちに3か月ほど過ごした。
ここは、海に近く、後年の海洋生物学研究につながっていく。また生物学研究が非科学的なものへの違和感も生んでいく。
 また、皇太后、皇后ら近親の女性に囲まれて育ち、これが昭和天皇の女性的な性格に関係したのではないか。沼津には、明治天皇の側室（本当の祖母）たちとも一緒にいたこともある。
ちなみに、明治天皇の子供は、男子が5人、女子が10人で、すべて側室の子供。生き残ったのは男子1人、女子4人。この1人が大正天皇。
&lt;/pre&gt;

&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;
　成年になってからは、1921年の半年間にわたる訪欧が決定的な影響を与えたという。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;pre class=&#039;wiki&#039;&gt; 英国では、国王ジョージ5世と会見し、立憲君主制を学ぶ。また、一夫一婦制確立していた英王室のあり方についても影響を受けた。帰国から2年後、摂政時代に、それまで生涯独身で宮中に住み込みだった女官制度を大幅に改め、人数を減らし通勤制に替えて、後宮の名残を一掃した。

また、フランス、ベルギーでは第一次大戦戦跡を訪ね、戦争の悲惨さを痛感している。
&lt;/pre&gt;

　&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;indent&#039;&gt;
注目すべきは、カトリックとの関係だ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;pre class=&#039;wiki&#039;&gt; イタリアでは、ローマ法王ベネディクト15世に対面している。わずか20分の会談だったが、「実録」によれば、ローマ法王は「カトリックは、確立した国体・政体の変更は許さず、各過激思想に対して戦っている。将来、日本帝国とカトリック教会と提携して進むこともたびたびあるべし」と語った。昭和天皇は、カトリックへの親近感を抱く。この翌年から2年に1度、ローマ法王庁から皇室に特使が派遣されるようになった。
 ちなみに、「実録」によると、裕仁は1907年（明治40年）に、両親からクリスマスプレゼントをもらったとの記録がある。すでに明治時代に宮中にキリスト教行事が入っていた。
&lt;/pre&gt;

&lt;br /&gt;
法王庁への関心は、第二次大戦時にもみられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;pre class=&#039;wiki&#039;&gt; シンガポールが陥落するなど、日本軍が破竹の勢いで進撃していた1942年2月に、「実録」には下記のような記述がある。

（東条首相に）ローマ法王庁への外交姿勢派遣等につき御下問になる（1942年2月14日）
　ひょっとすると、天皇の心のうちには、ここで戦争を終えるべきだ、今終えれば勝てるという思いがあったからこそ、ローマ法王庁への外交使節派遣を思いついたのかもしれない。
&lt;/pre&gt;

&lt;/div&gt;
　&lt;br /&gt;
　そして、訪欧後、衣食住など生活スタイルが洋風化し、これが神道絶対の母親の貞明皇后との確執の原因になった。2015年に公開された戦時中の宮中防空壕として作られた御文庫付属室の天皇用便器は洋式だった。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　戦争末期の実例があげられている。&lt;br /&gt;
&lt;pre class=&#039;wiki&#039;&gt; 皇太后は1942年12月に疎開先の沼津から東京に戻るが、「実録」によると、44年6月以降、天皇と会う間隔があいていき、12月から翌年6月まではまったく会っていない。これは不自然。天皇が皇太后を避けているとしか思えない。「高松宮日記」や「木戸幸一日記」によると、敗色濃厚という戦況について皇太后はまったく理解せず、神がかり的に聖戦遂行を主張していたという。天皇は、皇太后を軽井沢に疎開させて、政治から遠ざけようとした。
&lt;/pre&gt;

&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　敗戦直後の「退位」問題については、また別の回に。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/soko821/34725505.html</link>
			<pubDate>Sat, 13 May 2017 18:49:10 +0900</pubDate>
			<category>日本史</category>
		</item>
		<item>
			<title>礼の効用、as-if　world</title>
			<description>&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;『ハーバードの人生が変わる東洋哲学』（マイケル・ピュエット、早川書房）紹介の続き。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;div class=&#039;indent&#039;&gt;
儒学の「礼」といえば、堅苦しく、融通が利かない儀礼と思いがちである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;
　ところが筆者は、こういう。&lt;br /&gt;
&lt;pre class=&#039;wiki&#039;&gt;　ばったり友人に出会った。
「やあ、元気？」
「うん、元気だよ。そっちは？」
　たったこれだけの行為が、二人を束の間、結びつける。
　私たちは話す相手によって挨拶を使い分け、質問の種類を選び、声のトーンを変える。たいていは無意識にやっている。
　孔子は、こうした日常的な行為が＜礼＞になりうるという。孔子は礼という言葉を新しい挑発的な意味で用いている。
&lt;/pre&gt;

&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　&lt;br /&gt;
　祖先供養の例があがっている。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;pre class=&#039;wiki&#039;&gt;　「論語」に祖先祭祀についての問答がある。孔子によると、この儀礼はなくてはならないものだが、死者の霊が臨在するかどうかは問題ではない。孔子は説く。「祭るときは、霊が目の前にいるかのようにすることが大切だ。重要なのは祭祀に本式に参加することだ」
&lt;/pre&gt;

&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;pre class=&#039;wiki&#039;&gt;「祭ること在（いま）すがごとくし、神を祭ること神在（いま）すがごとくす」（論語・八&amp;#20350;第三）
We sacrifice to ancestors, as if they are there. 
&lt;/pre&gt;

&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;div class=&#039;indent&#039;&gt;
ハーバードの先生は、こう解釈する。&lt;br /&gt;
&lt;pre class=&#039;wiki&#039;&gt;　生前仲が悪かった父が亡くなった。亡くなれば和解の可能性は消える。
　しかし子が父の葬儀を礼に従ってきちんと執り行えば、まるで理想的な親子関係であったかのような、新たな関係を築ける儀礼空間へ移行できる。そこから、生者は父のまっとうな子孫であるかのように振る舞う。生前の負の感情も薄らぐ。　
 孔子にとって、儀礼行為が本当に死者に影響を及ぼしているかどうかを問題にすることは的はずれだ。儀礼行為を行う生者の側に影響を及ぼすことに意義がある。
&lt;/pre&gt;

&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;
　つまり、そして儀礼の効用は、こうなる。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;pre class=&#039;wiki&#039;&gt; 儀礼は現実の世界でどう振る舞うべきかを教えてくれるわけではない。寸分の狂いもなく秩序が保たれた儀礼の世界が、欠陥のある現実の人間関係の世界に取って代わることはあり得ない。
　儀礼が効果を発揮するのはそれぞれの参与者が普段担っている役割とは別の役割を演じるからだ。この現実からの「離脱」こそ、人間関係の修繕をはじめるための鍵だ。

 孔子のいう礼には、少しの間、私たちを別人にしてくれる。礼は束の間の代替現実を作り出し、私たちはわずかに改変されたいつもの生活に戻される。ほんの一瞬、私たちは＜かのように＞の世界に生きることになる。

 Rituals &amp;#8211;in the Confucian sense-are transformative because they allow us to become a different person for a moment. They create a short-lived alternate reality that returns us to our regular life slightly altered. For a brief moment, we are living in an “as-if ”world.
&lt;/pre&gt;

&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　礼とは、善導への自己変革のテコになる。半信半疑ではあるが、魅力的な解釈ではある。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;div class=&#039;indent&#039;&gt;
A ritual allows you to construct a new life.&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ちなみに、孔子を扱ったこの3章の題は、「毎日少しずつ自分を変えるー孔子と＜礼＞と＜仁＞」。なんだか安手の自己啓発本のノリだ。そうした要素がないとは言わないが、啓発本にとびつきそうな層をねらった、日本側の編集者の志の低さが露呈している。そのせいで多少、売れたかもしれないが、反面、この著者の「本来の読者」をかなり逃がしている気がする。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;
&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/soko821/34721588.html</link>
			<pubDate>Wed, 10 May 2017 23:48:27 +0900</pubDate>
			<category>倫理学</category>
		</item>
		<item>
			<title>座布団はまっすぐに</title>
			<description>&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;『ハーバードの人生が変わる東洋哲学』（マイケル・ピュエット）の第二弾。今日は、孔子の「礼」について。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;pre class=&#039;wiki&#039;&gt; 孔子は、世界的な大思想家だが、崇高な理念を説いたわけではない。たとえば『論語』にはこんな言葉がある。

　「席正かざれば、坐せず」（孔子先生は、敷物がきちんとしていないと座らなかった。「郷党第十」）
&lt;/pre&gt;

&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;div class=&#039;indent&#039;&gt;
座布団がまっすぐ置かれていないと、先生は座らなかった、ということだ。「自分でまっすぐにして座れよ」とツッコミたくなるが、ここは相手に気持ち良く座ってもらうために配慮が必要だと言っているのだ。これが、世界的な大思想書？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;pre class=&#039;wiki&#039;&gt;
 『論語』のどこが偉大な哲学書なのか。それを理解するためには、孔子がどうやって食事をしていたかを必要がある。
 
 自由意思はあるのか、経験は客観的かどうか、哲学者はすぐ壮大な問いに飛びつきたがる。
しかし、孔子はこれとは正反対だ。基本的で、見かけによらず深遠なこんな質問を投げかけた。

「君は日々をどう生きているのか？」
 He asked this fundamental and deceptively profound question:
 How are you living your life on a daily basis?

&lt;/pre&gt;

&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;
　日々の暮らしで、私たちは、他者に対しその場その場で、無数の感情的対応を繰り返している。そのうち負の感情がパターン化して習癖になることもある。どうすれば、感情をむき出しにせず、他者に対して適切な対応ができるのか。孔子は、その鍛錬の手段が＜礼＞だという。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;＜礼＞とは、何か。次回に続く。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/soko821/34720155.html</link>
			<pubDate>Tue, 09 May 2017 23:43:30 +0900</pubDate>
			<category>倫理学</category>
		</item>
		<item>
			<title>學而時習之、不亦説乎</title>
			<description>&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;儒学といえば、かつて、プロ中のプロの講師の下で、朱子の「論語集注」を数年かけて読書会で読み上げたことがある。このブログでも以前、内容をいくつか紹介したことがあるが、今回の読書にあたり、久々に当時のブログ記事を読み返してみたら、「儒学の現実主義」についての関連個所がいろいろあったので再録する。重複にはなるが、「学びて時に之を習う、亦た説（よろこ）ばしからずや」（「論語」冒頭）ということで、お許しあれ。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;pre class=&#039;wiki&#039;&gt;　儒学には「あの世」がなく「この世」だけしかない。そこで、「正しいことをして『この世』が滅んでも仕方がない」との原理主義は出てこない。また、この儒学的観点からは、「この世」で良いことをすれば「あの世」でその褒美が待っている、との考えは不純であるとされる。
&lt;/pre&gt;

　&lt;br /&gt;
&lt;pre class=&#039;wiki&#039;&gt;　論語には「恥」が１７回も出てくる。儒学では「あの世」がなく、「この世」での悪事が「あの世」で罰を受けることはない。倫理の土台は、「恥」の感覚に依拠している。いわば、「羞恥心が支える道徳」といえる。
　キリスト教の「罪」は、いつも自分を見ている神に対して感じるもの。ルース・ベネディクトは「菊と刀」で、東洋の「恥」は他人の目を基準にしているが、欧米の「罪」は内面的なもの、としているが、これは間違い。儒者にいわせれば、キリスト教は、「この世」の善悪を「あの世」での損得を基準に考えており、功利的で下品である、となる。「恥」を倫理的基礎としているのは、世界的にも珍しい。
　ただ、日本の武士における「恥」は、ちょっと違う。武士にとっての「恥」はモラルの重要な基準だが、これはあくまでも身分的名誉感であり、百姓町人は対象外。もし、幕末に江戸で幕府と薩長が武力衝突をしても、武士は「逃げるのは恥」なので戦うだろうが、町人はさっさと逃げ出しただろう。儒学的な「恥」は、「道」と同じく普遍性があり、「人間ならだれでも恥ずかしい」ということ。
&lt;/pre&gt;

&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;div class=&#039;indent&#039;&gt;
ここから、儒学にとって「この世で正しく生きること」が一番大事ということになる。それでは、そのために歩まねばならない「道」とはなにか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;pre class=&#039;wiki&#039;&gt;「邦、道無きに穀するは恥なり」（「論語・憲問第十四」）
（官吏として仕える国家に道がなければ、俸禄をもらうのは恥である）

　コウシ（講師）いわく、

　何か個別の仕事を極めることは儒学における「道」ではない。儒学では、専門の自己目的化を評価しない。玩物喪志。日本では、一生をかけて工夫しながらいつか完全なＸを作ろうと努力している職人を「Ｘ道を一筋に歩む者」として称賛するが、これは儒学的評価には値しない。例えば、中国語では「書道」といわず「書法」という。「道」は専門家ではなく、だれにとっても大事なもの、普遍性がある。身分的倫理である規範に「武士道」などと「道」をつけるのは、ありえない。

&lt;/pre&gt;

&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;
　田中優子による「日本政治思想史　十七世紀―十九世紀」（渡辺浩、東京大学出版会）の書評も再録したい。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;pre class=&#039;wiki&#039;&gt; この本は、儒学が江戸時代を作り上げただけでなく、日本の近代化をももたらしたものだ、と述べる。なぜなら儒学者は「超越的人格神など無しで、欧州の急進的啓蒙哲学者のように、何よりもnatureに依拠して、壮大な倫理と政治の哲学体系を構築しよう」としたからである。

　武士は戦国時代や江戸初期にあっては忠誠心もなく、喧嘩を売り、乱暴狼藉を働いていたヤクザのような人たちだった。そこに、「勇猛な武士の概観と平穏な秩序を両立させる種々の行動様式」を形成していったのであって、それが「偽装としての武士道」であった。それは「武士らしさを偽装」する「真剣な演技」だった、という論理はまことに納得する。
　武士道というものがあたかも実体としてもあったかのように語られる今日、この戦争しない武士たちによる「らしさの演技」を確認することは重要だ。
&lt;/pre&gt;

&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　超越的人格神に依存しない考え方は、ともすれば目の前の現実に依拠して右往左往する現実追随主義になる。しかし、儒学は、現実を改革する現実主義をめざす。風船子の私見では、&lt;br /&gt;
&lt;pre class=&#039;wiki&#039;&gt;　儒学のキモは「現実に屈しない現実主義」にあり
&lt;/pre&gt;

&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/soko821/34715941.html</link>
			<pubDate>Sun, 07 May 2017 09:16:36 +0900</pubDate>
			<category>倫理学</category>
		</item>
		<item>
			<title>古代中国思想があなたを変える!?</title>
			<description>&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;『ハーバードの人生が変わる東洋哲学』（マイケル・ピュエット、早川書房）を読む。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　なんだが「信長から学ぶ部下掌握術」のようなおバカタイトルだが、意外にも（ハーバード大に失礼だが）中身は本格的、かつユニークな中国思想解説書だった。英語の原書まで注文してしまった。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　著者は、ハーバード大の中国史教授。学部授業の「古代中国の倫理学と政治理論」は、経済学入門、コンピュータ科学入門に次ぐ学内３位の履修者数を誇る人気講座となっているそうだ。確かに古代中国思想への偏見が吹き飛ばされ、「今、使える道具」としてよみがえっている。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　今日は、最初のさわり部分を紹介する。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　著者によれば、西洋人の多くにとって、よき人生とは「本来の自分」に忠実に生きることである。これはカルヴァン派の予定説を引きずっている。一方で、西洋人にとって、古代中国は階層と序列で縛られた因習に満ちた伝統社会であり、プラス面があってもそれは「郷愁を誘う骨董品」レベルにしかすぎない。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　しかし著者は、「古代中国哲学は、貧富の格差、自己中心主義、環境問題など危機の増大を前にする21世紀の現代にとって現実的な代替案を示すことができる」と主張する。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　&lt;br /&gt;
&lt;pre class=&#039;wiki&#039;&gt;　しかし、代替案といっても理路整然とした政治社会思想などではなく、自己や、世界の中での自己の役割についての観念だ。その多くは、なんらかの包括的な思想体系に従って生きるという考え方に対抗するなかで練り上げられた。
&lt;/pre&gt;

&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　それは、体系的なナントカ主義ではない。後述されるが、それは、「身近な日々のパターンを修正して世界を変える」という戦略だ。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　&lt;br /&gt;
&lt;pre class=&#039;wiki&#039;&gt;
（「本当の自分とは何か」というように）自己を定義することにこだわりすぎると、ごく狭い意味に限定した自己を基盤に未来を築いてしまう恐れがある。中国の思想家は、どの人もみんな複雑で、たえず変化する存在であることに早く気づけと説くに違いない。私たちの感情は、世間のしがらみを断って瞑想したり、旅に出たりしても養われない。日々の営み、つまり他者と関わり、行動しながら実地に形作られる。

&lt;/pre&gt;

&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　自分は、常に変えられる、しかも、良い方向へ変えられる。ただ、それは地道な努力でゆっくりしか変えられない。その絶え間ない過程を、中国の思想家は「道」と呼ぶ。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;pre class=&#039;wiki&#039;&gt;　道は、私たちが努力して従うべき調和のとれた「理想」ではない。そうではなく、道は自分の選択や行動や人間関係によってたえまなく形づくっていく行路だ。

　The Way is not a harmonious “ideal” we must struggle to follow. Rather,the Way is the path that we forge continually through our choice ,actions, and relationships. We create　 the Way anew every moment of our lives.
&lt;/pre&gt;

&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　本日、これにて。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/soko821/34715035.html</link>
			<pubDate>Sat, 06 May 2017 18:37:42 +0900</pubDate>
			<category>哲学</category>
		</item>
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