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喜屋武マリー (きゃんまりー) 復帰後の沖縄のロック・ポップス・シーンの一方の旗頭が喜納昌吉(きなしょうきち)なら、その対極を支えていたのが、喜屋武マリーがボーカルをつとめる「マリー・ウィズ・メデューサ」だ。一九七四年に結成され、ベトナム戦争の基地となった沖縄のライブハウスで演奏を続けてきた。シャウトの効いたボーカルと豊かな表現力で「沖縄のジャニス」との異名もとる。 レパートリーはハードロック。客は来週ベトナムで死ぬかも知れない米兵。いい加減な演奏をすれば缶ビールが飛ぶ。こんな真剣勝負のライブ状況はそれ以前にも以降にも、日本のどこにもない。「『必ず帰って来る』と言い残して、結局帰って来なかった兵隊も多かったわね」とマリーは振り返る。(以下略)「オキナワなんでも事典」より 執筆者:篠崎 弘 どうせ、またYahoo!ブログの中では誰も書いていないんだろうと思いつつ書いてみると、またしても誰もいなかった。佐井好子よりは有名なのだが。 88年、前の天皇が死にかかった年(翌年死ぬんだが)、 この人のライブを立川で聴いた。こんなロッカーがまだ生き残っていたのか、という驚きだった。ロックンロールとは何だろう。そいつはジャズとは、クラシックとはという問いかけ同様、あまりにも多様化しすぎたジャンルにとっては簡単に答えることは難しい問いだ。 フラメンコでは、だるいカンテ(歌)には観客からもの(トマトとか)が飛ぶという話を読んだことがある。ものを投げるのはいいことじゃあないが、観客席とのものすごい緊張感の中で熟成されていったフラメンコ。多分その最高点が「ドゥエンデ」なんじゃないだろうか。(言葉の意味を知らない人は自分で調べて頂戴) 沖縄に生まれつつ、どこまでもアメリカーの歌。沖縄民謡の気配なんかみじんもない。だが、こんな歌手を生んだのも沖縄ならではと言える。さて、自分の人生で、この先まだこんなロックンローラーに出会うことがあるんだろうか。
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沖縄からです・・喜屋武マリーさん・・沖縄で彼女の歌が聞けなくなって久しい・・どこを拠点にしているのでしょう?
2005/5/3(火) 午後 0:45 [ - ]
あのときは市民運動家たちが手作りでコンサートを運営したようなものでした。反戦歌というわけではないのに、彼女の生き様に共感するものがあったのでしょうね。数年前、アコーステッィクのライブ聞きました。離婚して東京にいるはずですが、最近の活動は聞かないですね。
2005/5/3(火) 午後 10:17 [ BORA ]
TBさせていただきました。 「喜屋武マリーの青春」の出版に携わられた方とのご縁でこの本を読ませていただきました。 マリーさんは現在沖縄に拠点を移され、いろいろWeb上で調べたところでは歌のかたわらでラジオのパーソナリティーを勤められているとの事です。 往年の生のマリーさんの歌を聴かれたとは羨ましいかぎりです。
2005/9/28(水) 午前 6:50 [ bin*en*200* ]
沖縄へ帰りましたか。そちらの記事も読みました。ライブはビデオも持ってますよ。
2005/9/28(水) 午後 6:10 [ BORA ]