
5月5日、立川に帰る日に道の駅・龍勢会館による。ここには龍勢の実物と、井上伝蔵邸の復元した館がある。

近くの椋神社の道を隔てた場所に龍勢の発射台がある。江戸時代から続く竹竿ロケットである。花火は大砲と同じで、一瞬の火薬の爆発力で上昇するが、龍勢は推進力になる火薬を一定速度で燃焼させて上昇する。基本的な仕組みは今の宇宙ロケットと同じ。燃料が液体か固体か、の差である。

上の布を巻き付けた竹が龍勢の実物。全長15メートルでかなり長い。実際の発射では失敗して爆発してしまうこともあるそうだ。しかしこんなものを昔から打ち上げていたのだからすごいよなあ。この龍勢のような黒色火薬ロケットは日本各地、世界にあるそうだ。

秩父事件の首謀者の一人、井上伝蔵邸の復元した建物がこれ。明治初頭、デフレスパイラルを招いた日本の経済政策の失策と、ヨーロッパにおける生糸暴落などの大不況が重なり、秩父の農民達は生活に困窮した。重税の緩和を何度も訴え出たが退けられ、ついに武装蜂起に至ったのが秩父事件。自分はかなりアバウトな知識しか持っていない。ここでも紹介されている映画「草の乱」も見てみたい。本も読んでみる必要がある。

国家の暴力に対する民衆の抵抗権を思う。秩父困民党は、今なら「テロリスト集団」にされてしまうのだろう。だが、国家による暴力は、戦争はどうなのだ。武装蜂起という手段に追い詰められた当時の秩父の民衆に思いをはせる。
|
道の駅が博物館的?になっているのですね。
秩父事件、私も全然知りませんでした。
背景を知ると、いろいろ見えてきますよね♪
2010/5/9(日) 午前 11:10
埼玉に住んでいながら、こういうところがあるのは知りませんでした。秩父から一番遠い地域に住んでいるので、なかなか行く機会がありませんが、行ってみたいです(*^-^)
2010/5/9(日) 午後 0:24
Thanks.
I learned some part of Japan's history.
I appreciate.
Take care.
Have a nice day.
pochi
2010/5/9(日) 午後 3:54 [ Shelly ]
えりすのままさん、私の周辺の活動家仲間ででは知らないやつは誰もいません。秩父困民党に主導された武装蜂起事件であることくらいは知っています。が、運動関係者のみ知っているのではしょうがないのでしょうね。だからこういう道の駅での展示は意義があると思います。
2010/5/9(日) 午後 5:34 [ BORA ]
そう言えばかしうさんは埼玉でした。秩父は立川からも職場のある練馬からも西武線一本で行けて近く、本当にちょいちょい行きます。山に囲まれていますが、自然が多く残りいいところです。雁坂トンネルができてからは山梨直通ルートもあって、いろいろなルートが可能です。一度どうぞ。
2010/5/9(日) 午後 5:38 [ BORA ]
Thanks,Shelly.
ぽちありがとう.
There are various cases in Japan, and there is the history of the fight of the people. Please study in various ways.
2010/5/9(日) 午後 5:44 [ BORA ]
すこし記事を読ませていただきました。 私にとっては、かなりの難関です、時間がある時に勉強させて頂きます。
GBへのメッセージを有難うございました。 御返事が遅くなりました事、お許しください。
2010/5/11(火) 午後 10:14 [ Shelly ]
Shellyさん、どういたしまして。私のブログは難しい記事が多いかな。でもゆっくり勉強しましょう。日中民衆の友好のためにもお互いの文化や歴史はよく知りたいです。
2010/5/11(火) 午後 10:56 [ BORA ]
ココ行きそびれてます(^^;。自由民権運動の所謂「激化事件」の一つが、秩父事件ですね。当初、この運動の主体は不平士族や豪農でしたが、この時点で民衆まで下りてきた。背景には松方デフレ政策→農産物価格あるいは生糸の価格の下落→農民の貧困化あるいはプロレタリア化がある。だから、日本資本主義の根源的蓄積過程ダ!、と10年ほど前まで教えてましたw。実際、激化事件の所在地は、どこも新興の軽工業地帯だと言えますね。
2010/5/13(木) 午前 0:11
デフレスパイラルと世界不況と来れば、今の状況に似ていますね。もちろん、世界大恐慌はまだこの時点で起きてはいないのですけど。それ以降資本主義は修正資本主義以外はあり得なくなったが、結局矛盾は繰り返されている。ただ3万人が自殺し、餓死者も出ている日本なのですが、「激化事件」は起こりそうにない。逆にいかがなものか、とも思います。民衆はもっと怒っていい。
2010/5/13(木) 午後 6:45 [ BORA ]
もう一言w。秩父困民党をはじめとする民衆の切実な運動を、板垣の自由党は指導できなかった訳で、それは大隈の立憲改進党も同じ。ただ、やがて国会が開設され直後から民党は議会内で優勢になる。が、日清戦争では「挙国一致」体制へ。だから、秩父事件とは何だったのか、現代の問題とも重ね合わせ、今一度考えてみる価値があると思います。
2010/5/14(金) 午前 9:25
ふむ。そうなると60年安保〜全共闘、党派間抗争の激化と連合赤軍事件、現在の新左翼の衰退なんてのを重ねるといろいろ考えさせられますね。オールオアナッシングで語る気はもちろんないが、立川では政治党派のネガティブな側面が目につく時代を私は駆け抜けています。明治は一見遠いようで、「資本主義」という大枠は変わっていない。やはりいろいろ秩父事件には学習する意義がありそうです。
2010/5/14(金) 午後 8:27 [ BORA ]