あいにくの曇天で眺望が全くきかないが、十石峠に到達。峠の前後の道は冒頭述べたとおりなので車で行く人は、覚悟が必要。峠にはチャリダーも何人もきていましたが、大変だったろうね。ところでこの十国峠は秩父困民党の信州への進出ルートでもあったのだ。

長野側におりて小海町までいくとこの困民党の無名戦士の墓がある。困民党の武装蜂起は権力奪取まで目指したもので、関東全域での蜂起まで考えていたようだ。こんなに遠くまで進出して警官隊や軍隊と一線を交えたのだ。

今はあんまり訪れる人もいないようだ。しかし明治の歴史の暗部を知ることは必要だ。「坂の上の雲」なんてのに浮かれている人は、こういう歴史もあったことを知ってもらいたいものだ。

後は清里まで南下、高速で一気に東京に帰ったが、野辺山から清里はメッシュジャケットでは寒いくらい。あの「寒さ」がなんだか懐かしい。早く涼しくならないかな。
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清里あたりはすでに涼しいんですね。。。いいな〜
国民党、ここまで人の出入りがあったのですね
秩父からだとかなりありますよね?
国武信峠?山の中を行き来してたのかな???
2010/9/5(日) 午前 10:48
あーいやいや、1の冒頭に書いたようにこのツーリングは6月に決行したもの。今の気温はわかりませんが、東京よりは低いと思います。困民党の活動範囲は調べたら漠としたイメージで持っていたときよりかなり広いです。首都圏での一斉蜂起、中央権力の打倒と奪取、つまり革命を目指した闘いだったのです。「暴徒」として長い間封印されたその史実が明らかになってきたのは戦後、長い時間がたってからです。
2010/9/5(日) 午後 5:20 [ BORA ]