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ちょっと雲が多かったが、まあまあの天気。参加は小鹿野町在住の研究者である講師の篠田さん含めて25名。マイクロバスで回った。
金比羅神社(最初の困民党が決起集会をやった場所。風布などの全参加者名が残る)
秩父の自由民権運動発祥の地
龍勢会館
椋神社(龍勢祭の会場でもある)
落合寅市・加藤織平の墓
音楽寺
旧郡役所・旧警察近辺(矢尾百貨店近辺)
他に車窓見学で永保社跡や小鹿野市内・常磐屋なども見学した。 「おそれながら天朝様に敵対するから加勢しろ」とは映画「草の乱」(未見)に出てくる言葉だそうだが、実際に秩父困民党事件で逮捕された人間の供述調書によっている。要するに「天皇陛下に敵対するからおまえも加われ」ということだ。1884年(明治17年)という時代を考えれば大変なこととも言える。だが、天皇制の神格化と、それが民衆の絶対支配に使われるようになっていくのは日本が近代国家としての体裁を整える過程で行われた。江戸時代以前の世界ではそういう位置には天皇制はなかったはずだ。ちなみに明治憲法の発布はこの事件の5年後、1889年である。 帝国主義国家としてアジア一帯への侵略を開始する、そのために必要なのは富国強兵だった。だが、西南戦争による戦費調達で生じたインフレを解消しようと、大蔵卿松方正義が行ったデフレーション誘導の松方デフレ政策で地方は大きな打撃を受けた。この政策で生糸や農産物の価格は暴落。養蚕が盛んだった秩父の農民は高利の借金を返せず苦境に陥った。これが秩父事件を含む一連の反政府活動の要因だ。農民も返済の引き延ばしや法外な利子(罰則規定が当時はない。サラ金問題などで罰則が加わったのは最近のこと)の軽減を求め、様々な請願を繰り返したがどうにもならなかった。農民を蜂起に追い込んだのは時の政府と自治体の無策ぶりだ。
江戸時代の一揆のように桑や竹槍だけでなく、日本刀や火縄銃で武装、しかも5か条の鉄の規律と総理や会計などの組織体制まで構築して武装蜂起した行動は他にはない。最初の過程で3000人と人数も多く、警官隊だけではどうにもできずついに鎮台兵(軍隊)まで送ってようやく鎮圧した。最終的な処罰者数は4000人以上にものぼるから、ほとんど内乱である。「圧政を変じて良性に改め、自由の世界と人民を安楽ならしむべし」と訴えたこの闘い、国家権力の奪取(革命)までを目指していたのだろうか。自由民権運動との関連も諸説あって意見対立があるそうだ。だが、政治も経済も危機状態にある現代に返しうる問題も多々あるのではないだろうか。 戦後の沖縄反基地運動、自分の住む立川で起きた砂川闘争、三里塚闘争など民衆の実力抵抗運動はその後もずっと起きている。本来権力者の側がこの事件から学ぶべきだが、秩父事件を「暴徒」「暴動」として歴史の闇に葬り去ろうとしたように、国家権力の側の姿勢は今も変わらない。山本議員を辞職させようとし、経産省前テントには撤去を求める裁判を起こす。いつも権力にたてつく者と運動の圧殺を考えているだけだ。社会運動を担う側が何をこの闘いから学ぶべきか。決して昔の出来事ですませていい事件ではないのだ。 |

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このあたり
学校ではやらないから自分で勉強しないとあきまへんね。
幕府がどうやって倒れて、どうやって新政府が誕生したのか
それがどう今につながっているのか、知らないことばかりデス^^;
2013/11/3(日) 午前 11:45
実は秩父事件は、一度だけ「獅子の時代」というNHK大河ドラマで扱われたことがあるのですが未見です。「八重の桜」も維新を挟んだ話なのである程度参考になるかな。が、自分で勉強しないとだめなものも多いですね。特に日本の歴史教育は近現代史やる前に時間切れになったりで役に立ちませんでした。
2013/11/3(日) 午後 0:16 [ BORA ]
「八重の桜」見ています。
結局会津藩が、ひとみごくうになったというか
旧勢力の象徴として犠牲になったのかなと思いました。
そしてまた現代でも犠牲になっているのは
なんとも言えない思いです・・・・・
2013/11/3(日) 午後 1:17
破れた、「逆賊」扱いされた側からの明治維新ですね。困民党も長い間「暴徒」扱いでした。反対側から歴史をみてみると,矛盾や未来に生かせそうな問題が見えるように思います。ただ歴史は繰り返されつつあるか?残念ですがこの国が戦争をやりそうな条件は日々ましているように思いますが・・・。
2013/11/3(日) 午後 2:43 [ BORA ]