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明日は選挙だ。政治的な信念をもって投票を拒否する人には何も言わないが、迷ってるくらいなら行けよ。重大な分水嶺を越える選挙だ。ただ、結果についてはいやな予感がする。 スポーツ選手でも政治に関心を持ち、積極的な意思表示をする人はいる。人気商売、と考えてあえてそれを出さない人もいるだろうが。ベラ・チャスラフスカ自身は決して政治に対して積極的な人だったとは思わない。しかし、圧政に抗し、ソ連軍の軍事介入に積極的に抗議した彼女の生き方は自分にとっていつまでも心に残る存在だ。 日本と関わりのあるチェコ人というと広島産業奨励館(原爆ドーム)の設計者ヤン・レッツェルとチャスラフスカが思い浮かぶ。1964年東京オリンピックの金メダリスト。大輪のバラのような存在が彼女だった。彼女の姿は市川崑の「東京オリンピック」という傑作映画の中で見ることができるはずだ。その後1976年のモントリオール五輪でコマネチにより一変した女子体操競技。それ以前の、体操競技で一つの頂点を極めたのが彼女だった。ベラのように二十代では今の体操の国際競技は闘えまい。 「プラハの春」事件は若い人は知らないだろう。自分が93年、初の海外ツーリング(かつ初の海外旅行)でプラハを訪れて見た理由は「プラハの春」とそれがソ連の軍事介入でつぶされたことがずっと記憶にあったからだ。1968年。自分はまだ小学校5年生だったのだが。 この「ベラ・チャスラフスカ もっとも美しく」 は、この事件とチャスラフスカの関わりを一つの軸にして、様々な国の体操選手へのインタビューを交え、群像を描いていく。東京・メキシコと二度のオリンピックで金メダルを獲得したにも関わらず、チェコスロバキアの民主化を支持した「二千語宣言」に名前を連ねたことを理由に党保守派に就職のじゃまをされ、不遇の人生を歩んだベラ。だが、最後まで撤回しなかった彼女。「節義のために」だ。その後のソ連崩壊、東欧圏の一連の政変で彼女の人生に明光が差したかの見えたのだが..。 どこの国でも、国の政治方針に従わないものには何らかの形で抑圧・弾圧が来る。「節義のため」それに立ち向かえるものはどれくらいいるのだろう。だけど民主主義、とはその果てにしかないのではなかろうか。
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2005年09月10日
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