大学時代は結構面白く「宇宙戦艦ヤマト」のアニメを見ていたものだった。メカ好きで東宝の特撮作品はたいてい見ている。作品の善し悪しは別として、メカが出てくるSFはだいたい好きになってしまったのが当時。その後、もう少し作品の社会背景など考えるようになると素直に楽しめない作品も出てくるようになった。この「スペースバトルシップ・ヤマト」もその一つか。

原作の宇宙戦艦ヤマトはシリーズが進むにつけ人が死にすぎて、だんだんいやになってしまった。お涙ちょうだいのねらいが明白すぎる筋書きにだんだんうんざりしていった。愛するための者に死ぬ。そのことは一見絶対的に正しいようだが、ガミラス星でヤマトがやったことはジェノサイドでもある。多分女性も子どもも年寄りも大勢いたはずだが。ここには同じジェノサイドを描いたSFでも、ウルトラセブンの「ノンマルトの使者」のように考えさせられる部分は何もなかった。「やむなし」の居直りのみ。多分1945年の米国の広島・長崎原爆投下正当化と同じなんだろうね。
というような生々しさが映画に出てしまうと誰も楽しめないので、実写版で出された手はガミラス人=「結晶体」。これだとロボット同然で生き物を殺している生々しさが何もないものな。監督は「三丁目の夕日」などをとった監督で、いわば庶民派。エンタメに徹してあえて生々しい戦争映画にはしたくなかったためにこの手段をとったのだろうが、ずいぶん薄っぺらくなった印象がある。
キムタクと黒木メイサのラブシーンもとってつけたみたいだが、それはともかくとしても、やはり死にすぎ。どうせなら私は全員生き残ってほしいわけだ。死を美化するのはやめてくれ、と言いたい。自分はどんな理由があっても「特攻」も「自爆テロ」も「9/11事件」もナンセンスだと思う。全員生き残るヤマトなら、もう少し楽しめたかも知れない。自己犠牲に自分は酔いしれる気はありません。ええ、いぎたなく最後まで生き残ってやりますよ、社会運動も政治的発言も生きて闘いながら、最後まで続けますよ、と言いたいのだ。
ヤマトのベースになったのかもという作品に東宝の「海底軍艦」という作品があった。ここでは、
楠見「日本は戦争を放棄したんだ。新しい憲法でね・・・。」神宮司「誰がさせたのです!」なんて会話ややけに生々しくて面白かった。SFとはいえ新憲法論議をやった特撮映画なんて他に見当たらない。この映画もムー人へのジェノサイドで幕を閉じるが、憲法が出てこなかった分、ヤマトの方が薄っぺらな印象が強くなった。エンタメSFでもウルトラマン、ウルトラセブンにはずいぶん時代状況を取り込んだ作品があるのだが、このヤマトはあえてそれを避けて作ろうとしたようだ。まあ、下手すれば軍国主義映画になりそうな代物の題材だから、しょうがなかったのかも知れないが。
だいたい地球最後の船なのに日本人ばかりなのはなぜ?それこそ「多国籍軍」のほうが自然だ。女性兵士ばかり多いのは現実にイラクなどにも女性が多く送られているなどの現実の反映らしいが、その反面では乗員日本人限定は解せん。まあこの辺がヤマトの限界、ということか。