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不当判決糾弾!潰し屋あくも糾弾!中畑も謝罪してヤフウブログから出て行け!

本の紹介・書評

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こんな記事紹介すると、またコロキチさんやミーミさんから「引っ越すのか?」「もう少し様子見を」とかいろいろ突っ込まれますので最初に予防線を。すぐ引っ越す気はないです。

ただ、β版のせいもあるがあまりに不安定なYahoo!ブログ。ちょっと他のブログの現状や機能などの比較もやってみた方がいいのではないか。始めて記事がたまった人は動きづらいかも知れないが、逆に考えると引っ越し決断は早い方がいいと言えるかも。

この記事ではYahoo!ブログは「初心者向けの軽いブログ」「本格的に使う人は避けた方が無難」「しばらく様子見を」と低評価。また、引っ越しの際のデータ移行の「インポート」「エクスポート」機能も具体的に比較されているが、楽天と並びヤフウは最低の評価である。
タイプ別に初心者向け、高性能で自由度の高いもの、軽くて安定しているものなどをコラムふうに紹介したコーナーもある。実際に記者がブログの引っ越しを試みたら3日もかかったという記事もある。

自分がもし引っ越すならそんな膨大な時間はかけられない。ジオログから移った時のようにここをアーカイブとして更新停止。引っ越し先に記事を更新しながら、いくつかの記事をピックアップして移していくという方法になるだろうな。

まあ、どっちにせよ引っ越し問題はしばらく様子見で、情報収集ですね。

二十歳の原点

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99件目の記事。ちょいと忙しくて新しい記事も書けなかった。自分の今の原点となった本。一冊の本が人の運命を変えることがある。多分、そんな本だ。

高野悦子は全共闘運動のさなか、京都で自殺した立命館大の学生だ。死後、発見された彼女の日記はベストセラーとなり、今も文庫版としてロングセラーが続いている。映画にもなっているが、こちらのできは音楽を除き少々?であったが。

この画像は手元にあるその本だ。高校時代当時住んでいた前橋で買ったもの。600円とある。確か煥乎堂で買ったと記憶している。当時、自分は脳腫瘍で母親を亡くし、家の中はゴタゴタしていた。自分は初めて「死」というものに直面していた。人間はなぜ生きるのか、人生とは何か、死とは何か。古今東西の哲学者、思想家が繰り返し問い続けたような悩みに直面していた。

倫理社会は好きだった。いろいろなその手の本を読んだ。その一冊が、この「二十歳の原点」だった。彼女の政治性、思想性はわからない部分も多かった。ただ、「過激派」という言葉で一括されていたはずの学生運動にたずさわった一人の学生。彼女の言葉はほぼ同じ悩みを抱え、「自殺」に直面していた自分に強く響いた。その後、奥浩平の「青春の墓標」なども読む。急速に、新左翼系の運動への傾斜を自分は強めていった。

大学に入って以降の政治党派への幻滅については「光の雨」の書評でかいた通りだ。今はこの本を広げることもなくなった。彼女の考え方への批判も可能だろう。だが、それは無意味なことだ。彼女の人生は20歳で終わってしまったのだから。この本を読んで以降、京都は自分にとって、国内でも特別な場所だ。若い頃は彼女の面影を求め、この中に出てくる様々な場所を訪ねたこともあった。ジャズ喫茶「シアンクレール」のように今はなくなってしまったところもある。

自分は彼女の人生の倍以上の長さを今生きている。彼女を越えたと言えるのだろうか。あのとき抱えていた問いにすべて自分は答えられるのだろうか。自分には今でもわからない。ただ、自分が今でも生きているのはこの本に出会ったからではないか、そのように考えている。

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フーン、こんなのも書いてるのか、とコロキチさんがやけに楽しみにしていたので取り寄せてみた。18巻のうちまず一気に前半の9巻まで読む。こいつも傑作!

懐かしの60〜70年代。中学校入学は70年だったからケンジ達の世代に極めて近いと思う。Tレックスは特にファンじゃなかったが、この頃にロックに出会った。

少年達が大人になってから再び団結し、悪に立ち向かうと言う話はスティーブン・キングの「IT」を思わせる話だ。しかしケンジ達の相手は「IT」よりさらに凶悪だ。社会とか国家そのものと言ってもいい。オウム真理教事件は確かにヒントにはなっているが、自分にはむしろ「1984年」や「茶色の朝」などの寓話に共通するものがテーマにあるように受け止めた。

ファシズムとは何だろう。民主主義が抑圧される過程はどう進行するだろうか。この作品は、新興宗教団体の台頭という形を取りながら「ともだち」の教義の説明などほとんど出てこない。これはカルトの恐ろしさを主張したい作品ではないのだ。むしろ、「ともだち」が政党を作り、日本の支配権を手に入れても世の多くの人々の生活が変わらず続いていることの方がずっと恐ろしい。軍事政権のミャンマーや、朝鮮民主主義人民共和国を全体主義と批判する人は多い。だが、日本に実は似たような問題も起きていることに気がつくべきなのだ。

今、手にはいるのは18巻まで。どこまで続く話なのか。実は一巻目は大した話ではないように思っていた。どなたかが書いていたが最低でも5、6巻読まないとテーマには行き着けないだろう。「PLUTO」と並んで今後が楽しみな作品だ。

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第九回手塚治虫文化賞

火曜日の朝刊のニュースだが、第九回手塚治虫文化賞(朝日新聞社主催)のマンガ大賞に「PLUTO」。 新生賞は「夕凪の街 桜の国」のこうの史代。贈呈式は6月7日、東京都千代田区の東京会館で行われるという。
 このブログでも紹介した2作品の受賞はめでたい。

あの「刑務所の中」(花輪 和一)もこのブログで紹介記事書いたが、この賞にノミネートされたことがあるそうだ。が、花輪は、「自分は一生涯マイナー漫画家だから」と断ったそうだ。これも一つのポリシーだね。

紫電改のタカ

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またYahooブログ内でこの作品を語るのは自分一人らしい。有名な作品と思っていたのだが。

今年は戦後60周年。早いものだと思うが、10年前、50周年企画で集英社から出されたこの作品の単行本が手元にある。自分の少年時代、ゼロ戦は子供の間でも有名だった、というより常識のレベル。テレビアニメもすでにあった(ゼロ戦はやと、とか)。自分が紫電改という戦闘機を知ったのはこの作品を読んだからである。床屋の待ち時間などで夢中になって読んだ記憶がある。

ちばてつやはこの作品を失敗作と考えているらしい。「ちかいの魔球」のようなのりで、主人公の空中戦をスポーツのように描いてしまったからだ。もっと残された家族や、戦闘機乗りたちの日常の生活を描いてみたかったという悔いが残るようだ。この辺は、派手な空戦を描かないと掲載雑誌の売れ行きの問題があるというジレンマもあったらしい。

ちばてつや自身の作品は反戦色が強く、それはあちこちに出ている。「のたり松太郎」にだって、あの西尾のじいさんの妻と息子が長崎の原爆で死んだエピソードが出てくるくらいだ。この「紫電改のタカ」もクライマックスのタイガー・モスキトンとの闘い以降、一気に反戦色を強める。

主人公は最後、特攻隊を拒否しようとして、拒否仕切れず大空へ飛び立つ。「自分の死が祖国日本をすくうことになるのだということばを信じようと努力しながら....」。「信じて」ではない。「信じようと努力しながら」なのだ。ラストはそうとは知らずに、彼が大好きなおはぎをもって母と恋人が大分駅に降り立ったシーンで終わる。あまりにも悲しいラストシーン。ちばてつやはこういう形で、戦争への批判をこの作品に何とか盛り込みたかったのだろうと思う。

昔四国ツーリングをした際に、紫電改の実物をみたことがある。ゼロより機体は太く、ずんぐりした印象でスマートとは言い難い機体だった。そんな紫電改だが、これほどレシプロ機を生き生きとアニメのなかで飛ばして見せた作品はこれ以外では宮崎駿のもの以外には知らない。

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