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2006年5月31日 立川反戦ビラ事件・弁護側上告趣意書(要旨) 第1 本件上告趣意の要旨 本件は、自衛官とその家族に向けて、イラク派兵への反対を呼びかけるビラをポスティングするために、防衛庁東立川宿舎の敷地・階段部分へ立ち入ったことが刑法130条(住居・建造物侵入罪)に該当するとして、「立川自衛隊監視テント村」のメンバー3名が令状逮捕・起訴された事件である。2004年12月16日、第一審の東京地裁八王子支部は、3名の行為は構成要件には該当するものの、可罰的違法性がないとして無罪判決を下し、検察側は控訴した。控訴審の東京高裁は2005年12月9日、3名の行為には可罰的違法性があるとして、地裁判決を破棄、罰金刑を下した。私たちは、高裁判決は憲法21および31条に違反し、また最高裁判例にも違反すると考え、上告する。 第2 原判決の憲法違反 1、 判決の憲法21条違反 高裁判決は「表現の自由が尊重されるべきことはそのとおりであるにしても、そのために直ちに他人の権利を侵害してよいことにならない」と述べ、表現の自由に対して宿舎管理人の「管理権」とされるものを事実上、無条件に優越させた。もちろん、私たちは表現の自由が常に他の権利よりも優先されるべきであるとは考えない。だが、以下に述べるような表現の自由の重要性・脆弱性を加味した上で、人々の間の権利の衝突は適切に調整されなければならないのであり、高裁判決のような粗雑な議論は本来出てくるはずがないのである。 表現の自由は自己実現と自己統治(民主政)にとって不可欠であり、それゆえ手厚く保障すべきである、としばしば説かれる。それに加えて、本件ポスティングのような政治的表現は商業ビラのような営利的表現に比べて萎縮しやすく、したがってなお一層手厚い保障が要請される。つまり、私たちは生活していくために収入が必要であり、大多数の人はそれゆえ何らかの商業活動に携わることになる。そして、それに伴い多くの営利的表現が生み出される。他方、政治的表現はたいていの場合、収入をもたらすことはない。むしろそれは「通常の人々の損得勘定からは出てこないような活動なのである。このような負担の大きい活動は、国家の制裁、あるいは制裁の脅威によって容易にくじかれてしまう」。 確かに、「一般の人々は、日常的な会話では政治について議論したりもするであろう。が、自分の意見を多くの人々に聞いてもらおう、そして願わくは民主的意思形成に影響を与えようと考えて、実際に行動する人々はごく少数である。圧倒的に多くの人々は、それほどに強い政治的信念をもっているわけではなく、マスメディアを流れる情報に受動的に接することで満足している。しかし、だからこそ、そのような状況の中で信念をもって活動する少数の人々の表現の自由を保障する必要性は高いといえるのである。・・・実際には現代社会において個人、あるいは小規模な集団の活動が世論に影響を与える可能性は非常に小さい。そのような活動に力を入れようとする人が少人数しかいないのも、ある意味で自然なことである。だから、そのような中で、強い信念から小さな可能性にかけて活動しようとする市民は、憲法の理念とする民主政治の基礎を体現する存在として特に保護されるに値する。このような信念の持ち主が、右であれ左であれ、多くの一般人の感覚からは特定の傾向をもった人々であったとしても、その活動の高い価値は変わらない。社会で一般的な思想はマスメディアで頻繁に流通しているのであり、それと同じ考えの持ち主があえて個人的行動に出るインセンティブはないといってよい。行動に駆り立てられるのは、多くは、自分達の意見が社会で伝えられていないと考える人々あろう。そのような人々の自由を確保しておくことが、個人の自由から出発する民主政治の正統性を確保するためには不可欠なのである」(毛利透・京都大学大学院法学研究科教員の意見書)。 そして政府にとっては当然のことながら、同じ政治的表現であっても、自らを支持する言論に比べ、自らを批判する言論を弾圧する誘惑の方が圧倒的に大きい。だからこそ、政府から独立した裁判所は、政府に批判的な政治的表現を最も手厚く保障する義務を負っている。 もし宿舎の住民に対する表現行為を規制できる場合があるとすれば、それは住民に対して自己の意見を一方的に押し付けて、いわゆる「とらわれの聴衆(captive audience)」の立場を強制するような表現行為だけであるが、本件ポスティングは決してそのようなものではなかった。 2、 原判決の憲法31条違反 憲法31条(「何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない」)は、(1)「何をすれば犯罪となるのか」を人々に対して事前に告知すること、そして(2)公権力の行為を法律の範囲内に制限し、恣意的な権力行使を防ぐこと、を要求する。 従来、集合住宅への穏当な形でのポスティングは社会通念上許容されてきた。だが警察・検察は突如として反戦ビラのポスティングへの逮捕・起訴に踏み切ることで「何をすれば犯罪となるのか」を不明確にし、全国の市民運動を萎縮させた。これは憲法31条が人々に対して保障しようとする「予測可能性」を奪うものであり、31条に反するものである。 第3 原判決の最高裁判例違反〜可罰的違法性の不存在 これまで最高裁は判例において「犯罪の構成要件に該当する行為であっても、当該行為の具体的状況その他諸般の事情を考慮に入れ、それが法秩序全体の見地から許容されるべきものであれば、可罰的違法性は存在せず、したがって犯罪は成立しない」という立場をとってきた。その具体的な判断基準は、(1)行為の目的の正当性、(2)行為の態様の相当性、(3)行為によって生じた被害の重さ、の三点である。政治的表現の自由の重要性を鑑みて、本件ポスティングに可罰的違法性は存在しないと判断した地裁判決とは全く異なり、高裁判決は粗雑な判断に基づいて可罰的違法性の存在を肯定した。 だが本件ポスティングは、(1)自衛官に対する反戦の訴えという正当な目的を持った、憲法21条が保障する政治的表現行為であり、(2)昼間に短時間、宿舎の共用部分に静かに立ち入るという穏当な方法で、(3)郵便・新聞配達と同様、とりたてて住民のプライバシーを侵害するものではない。したがって可罰的違法性は存在しないのである。 第4 原判決の破棄事由 1、被告人らの行為は構成要件に該当しない 刑法130条(「正当な理由がないのに、人の住居若しくは人の看守する邸宅、建造物若しくは艦船に侵入し、又は要求を受けたにもかかわらずこれらの場所から退去しなかった者は、三年以下の懲役又は十万円以下の罰金に処する」)が成立するためには、(1)「人の住居若しくは人の看守する邸宅、建造物」に、(2)「侵入」することが必要である。 (1)テント村の3名がポスティングの際に立ち入ったのは、宿舎の敷地および階段部分である。まず、最高裁の判例では、「住居」とは「起臥寝食に使用する場所」とされており、宿舎の敷地・階段部分がそれに該当しないことは明らかである。また、「人が看守する」とは「人が事実上管理・支配する」ことであり、単に戸締まりをしただけとか立入禁止の立て札を立てただけでは足りないとされている。宿舎には、団地でよく見かけるような「関係者以外立ち入り禁止」の立て札はあるものの、敷地部分は、自由に出入りできるようになっていて、宿舎前の歩道が狭いため、日常的に付近の住民や小中学生が通り抜けている状態である。階段部分についても、部外者の侵入を防ぐような物的・人的設備はとりたてて存在しない。したがって敷地・階段部分は「人の看守する邸宅、建造物」に該当するとはいえない。 (2)「侵入」の定義に関しては、地裁判決は「同宿舎の居住者及び管理者の意思に反して立ち入ること」、高裁判決は「管理権者の意思に反して立ち入ること」とし、共に本件ポスティングが「侵入」に該当すると判断した。 だが、私たちは両判決の定義も誤っていると考える。なぜなら、管理者と居住者の意思が対立した場合、両判決の定義では問題を適切に解決できないからである。例えば、管理者が「寿司のチラシは構わないが、ピザのチラシは許さない」あるいは「イラク派兵に反対するビラは認めないが、賛成するビラなら構わない」といった理不尽な判断をした場合であっても、高裁判決の定義では、居住者はそれに従わなければならなくなってしまう。また、そもそも本件宿舎の管理者が存在する目的は、建物の補修や駐車場の管理といった宿舎の財産的価値の管理である。他方、居住者が日常的に使用する宿舎の共用部分に誰を立ち入らせるかを判断する権利は、管理者ではなく宿舎の居住者にあると考えるべきである。したがって、管理者は居住者の意思に従う限りにおいてのみ立入りの許可・不許可を決定できると考えなければならない。 2 本件は公訴棄却されるべきである 3 手続違背 第5 まとめ(省略)
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