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再びペットの処分を考えたい記事が朝日新聞に出た。05年度の統計だと、犬が13万900匹、猫が22万6400匹が引き取られ、処分された(つまり殺された)という。ただ、北海道は未統計だそうなので、実際はもっと多いのだろう。 BOWEYES店というペットショップの記事で調べたが、方法はガスだがその種類は二酸化炭素。つまり窒息死で10分以上と結構長くかかり、犬猫も苦しむらしい。つまり安楽死などではない。これは、作業を行う人間への安全性も考慮しての選択だそうだ。猫は動き回らないように麻袋に、犬はゲージに入れられて処分される。子猫などは呼吸数が少ないため、それでも死なない場合があるが、いちいちチェックされないらしく、生きたまま焼却炉いきになるらしい。(写真) 飼えなくなり保健所に持ち込む理由は以下のごとしだ。 ・病気にかかって、治療費が高額だから ・新しい犬(猫)を買ったから ・大声で鳴いて、近所から苦情がきた ・発情期になってしまい、うるさい ・妻が妊娠した ・(親など)と同居するすることが決まった ・引っ越すことになった ・飼ってた犬(猫)が子供を産んだから、親犬はもういらない ・言うことを聞かない ・躾けても、いつまで経っても糞便の場所を覚えない ・年を取ってしまい、飼うのが面倒になった ・犬(猫)が子供を沢山生んでしまい、こんなに飼えない 人間の身勝手はなんたることか、と思える。 朝日の記事は有料化急増とあるが、無料とは知らなかった。飼い主に負担を負わせるのは当然とも思う。いや、それ以前に殺すな、と言いたい。処分するくらいなら飼うな、である。 板東眞砂子の子猫投げ殺しは大いに批判された。板東の避妊より投げ殺しを選択した論理自体が変だから、批判されるのはやむを得ないが、板東がそっと飢え死にや他の野生動物の餌食になるかも知れない可能性を考慮しつつも、捨て猫にしていたらこんなに非難を浴びなかったかも知れない。何しろ日本では一般に横行している行為だからだ。捨て猫を見たことがないひとは少ないんじゃないのか? 板東を非難していた人びとは本当にその資格があったのだろうか。自分は板東とは関係ない、あんなに残酷じゃないと本当に言い切れるのか。ますます、板東批判に対して疑問がわいてきた。
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雑記帳
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写真は準々決勝の時のものです。 いやあ、ビックリした。シャラポワは過去一回もモレスモに勝ったことがない。それを6−0,4−6,6−0で勝利!このUSオープンの前の大会、アキュラ・クラシックでキム・クライシュテルスを破って優勝したのに続く快挙である。波にのる、ということなのか。 最近は、あまり見せなかったネット際のボレープレーなんかも見せてくれるようになったシャラポワ。攻撃に多彩な角度を付けるようになった。冬の東レでヒンギスに完敗したのがもしかしたら、いい経験になったのかも知れないな、と思う。以降、別の大会で2回ヒンギスにあたったが、いずれも完勝している。ヒンギスのテニスは、パワー一辺倒の最近の傾向のテニスとはかなり違う。いろんな形で彼女の復帰は他の選手の刺激になったのではないだろうか。 さて、選手にとっては今まで一回も勝ったことのない相手に勝つことの意味は凄く大きいだろうと思う。決勝ではまたしても分の悪いエナンが待っている。シャラポワに何とか久しぶりにグランドスラムを制してもらいたいものだ。がんばれ!
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再び板東眞砂子のエッセイについて考えて見たい。あちこちで意見を読む内に、板東をナチス同然と批判したり、かなり手前勝手な動物愛護の精神らしきものが振りかざされているような気がしたからだ。話をわかりやすくするため、再びアシダカグモに登場して頂いた。写真はひょうすべさんのHPから拝借。なんといってもこいつが一番迫力があった。 アエラの板東の反論メールからまず引用しよう。 −朝、まだ暗いうちから起きて、夜の8時頃には寝る。畑仕事をしたり、山を歩いて、バニラの人工授粉をさせたり、人とあまり合うことはなく、むしろ自然の中で生きています。畑や山で採ってきた野菜、山菜をできるだけ食べ、足りないものは店で買うという暮らしです。肉は自分の殺せる範囲の生き物しか食べないことを基本にしています。つまり、魚介類と鶏です。自然の中の暮らしには、殺す、ということは日常的に起こります。私は、蟻を、蚊を、百足を、無数の虫を、魚を、そして鶏を殺しています。鶏は、たまに犬が捕ってくると、自分で捌いて、料理して食べています。そうして食べる鶏の肉は、私には、とても貴重で、確かな「生」の手応えがあります− −こんな生活の中から、単に息をして、食べて、寝る、だけではなく、きらきらした輝き、生の充実がないと、「生きる」とはいえないのではないかと感じ、考えるようになりました。そして、生の充実と、殺し、とは対立するものではなく、殺しはその中に含まれるものだという捉え方が、私の中に根付いてきました− 批判渦巻く日本は、こう見える。--都市は殺しを隠蔽する。そんな言葉が頭に浮かんでいます。都市生活は多くの殺しの上に成り立っているのに、人々は、それから目を逸らし、自分の手はきれいだといわんばかりの顔をして暮らしています。自然の中にいれば、それは幻想であるとわかります。幻想の中で泣き笑い、怒っている。それは、ほんとうに「生きている」といえるのでしょうか−(引用はここまで) 板東の趣旨は、実際には魚や豚や牛や多くの生き物の犠牲の上に、「殺し」の上に成り立つ私たちの都市生活の生に対する批判のようである。これを生きる上でやむを得ないもの、とする主張があったが、野生動物とは違い、ずいぶんと飽食生活を送る私たちにはこうした食べるものでも多く残飯となったりしている。 さらに「虫けらのように殺す」とよく言われるが、ハエやゴキブリも毎日のように私たちは殺している。人間に有害だからか?しかしそれを補食するハエトリグモやアシダカグモ(写真)も平然とたたきつぶしてはいないか?「気持ち悪いから」という理由だけで。同じ虫(クモは昆虫ではありませんが)でも、華麗な存在に描かれる蛍や赤とんぼ、鈴虫などとはずいぶん差別された扱いだ。 アエラの板東の写真の下にはこういう記載がある。「日本で1年間に処分されている猫は24万匹、犬も9万4000匹(2004年度)。猫の多くは子猫で、飼い主や市民からの通報で引き取っているという。」板東から見れば、自分の手でなく、保健所などに処分を依頼する人びとの行為は欺瞞でしかないだろう。 少なくとも、ペットをかうこと自体が人間のエゴだと思う。エリスのママさんのようにこの達観した態度に立ってでしか、板東への批判は自己矛盾の身勝手に陥ることになると思う。板東のように避妊より子猫殺しがましというスタンスは、やはり批判されるべきだが、保健所に処分を依頼したり、ワニガメやアライグマを平然と野山に捨てる連中に板東を批判する資格はない。 余談だが、環境保護運動でよくジュゴンやイルカが旗印になっている。別にジュゴンもイルカも嫌いじゃないが、ゴルフ場や基地の建設予定地に仮に「ヤンバルテナガゲジゲジ」なんて新種のゲジゲジが発見されても、きっと旗印になることはないんでしょうね?
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「子猫殺し」に抗議相次ぐ 坂東真砂子さんのエッセー
共同通信 [ 08月24日 13時00分 ]
仏領タヒチ島在住の直木賞作家・坂東真砂子さん(48)が、自分の飼い猫には避妊手術をせず、生まれた子猫を「殺している」と日本経済新聞に書いたエッセーに対し、「不快だ」などの抗議が相次いでいることが、24日までに分かった。エッセーは18日付夕刊に「子猫殺し」と題して掲載。雌猫3匹を飼っており、子猫が生まれるたびに家の隣のがけに放り投げていると告白。「人は他の生き物に対して、避妊手術を行う権利などない」「自分の育ててきた猫の『生』の充実を選び、社会に対する責任として子殺しを選択した」などと記した。 日本経済新聞社には、23日までに約300通の電子メールと約60件の電話があり、多くは「理解に苦しむ」などの批判や抗議だったという。 快刀乱麻さんのとこでも紹介されていた記事だが、ちょっとコメント。以上は共同通信の記事の引用だが、本体のエッセーを読む限りでも全くの論理矛盾。避妊という行為を「本質的な生を、人間の都合で奪いとっていいものだろうか」としながら、生まれた子猫の生を奪うのは人間の都合でいい、としている点など突っ込みどころは多い。本人も糾弾の嵐にさらされることは覚悟の上で書いたようだが、何を問題提起しようと考えたのか理解に苦しむエッセイだ。
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