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この望遠鏡に出会ったのは、昨夏、2015年の原村星まつり開催中の八ヶ岳自然文化園前の広場だった。口径20センチ、いや、それを超えると思われる巨体を晒していた。鉄を溶接した無骨な黒いフォーク式経緯台。赤錆が吹いている鉄の三脚。大柄な鏡筒からすると、やや華奢でアンバランスにも見える三脚と架台部であるが、近ずいて触ってみると、三脚部も含めとても頑丈である。一見してメーカー製ではない、その無骨な造形。しかし優秀な設計であることは触ってみれば分かる。
鏡筒は、金属を丸めた上でリベット留めされている。そして長い鏡筒は、三つのパイプをリベットでつなぎ一本の鏡筒としている。アマチュア用望遠鏡では初めて見る作り方だ。このような継ぎパイプリベット結合の鏡筒は、古い天文台の望遠鏡で以前見たことがあるが、このリベットが望遠鏡の古さを物語っている。 ファインダーはこの大きさの望遠鏡についているものとしては、とても小さな口径だ。3センチほどしかない。ファインダーの対物レンズの枠は、グッタペルカが貼られていて、一見して双眼鏡の対物の流用であることが分かる。 接眼部は真鍮製、抜き差し式ではあるがとてもスムーズな動き。真鍮色に鈍く輝き趣がある。 そして、水平クランプを緩めて、鏡筒全体を左右に振ってみて気づいた。三脚架台の重量に対し、望遠鏡の鏡筒はとても軽いのだ。鏡筒の素材は鉄ではなさそうだ。アルミ合金か… しばらく、この望遠鏡が放つ存在感とオーラに圧倒され、その場から離れる事が出来なくなってしまった。手持ちのカメラのシャッターを夢中で切りながら、色々と疑問が湧いてきた。 一体全体、だれがこのような物を作り、いつの時代に出来たものなのか… この見かけから想像するに相当昔のものだ。 しばし見とれていると、望遠鏡の三脚の足元にクリアファイルに入った説明書きらしきものが落ちているのに気づいた。 主鏡の口径22センチ、焦点距離180センチ 製作年1953年(昭和28年)とある。昭和28年、太平洋戦争の終戦からわずか8年後。ようやく戦後の混乱期から抜け出しかけた頃に作られた天体望遠鏡。それもこの大口径である。一体どのような人物が、宇宙に憧憬を抱き63年前にこのような大それたものを作ったのか。俄然興味が湧いてきた。 自分は、望遠鏡をたびたび宇宙に漕ぎ出す小舟に例える。望遠鏡という小舟があれば、宇宙に直接行けない今の時代でも、宇宙の景色を楽しみ、想像力を巡らせ、宇宙の旅ができるのだ。 一体全体どのような人物がこの望遠鏡で宇宙を旅したのだろうか。使いこなされたこの小舟を巧みに操ったオールドソルト(老練な水夫)に直接会いたくなった。63年前に作られたというから、ご存命なら相当のご高齢のはずである。そして、ぜひ、その宇宙大航海の話を詳しく聞きたくなったのである。 (続く) 主鏡セルを取り外したところ。主鏡の上からかぶせるタイプの主鏡の抑え。裏側から五本のネジで止められている。
主鏡裏面の刻印。FL=176センチ Nov.12 1948 No.6 と鏡面研磨をした人の名前の刻印がなされている。
水平回転軸とウォームホイル
人が並ぶとこの望遠鏡の巨体ぶりが分かると思います。
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