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その十四
兎にも角にも、氏真勢は岡崎勢に手痛い反撃を受け、吉田城への後詰は失敗し、駿府へ退かねばならなかった。吉田城に残された小原肥前守に対し、岡崎城内でも、六月には家康自ら決着を付けるべく出陣し総攻めを掛ける事が謀議されていた。 五月十四日に至り、伊那の本多光忠、光典兄弟が、吉田城乗っ取りの策を家康に献じた。家康は「尤もなり」と応え、「さらば汝らに任せる」と本多兄弟を先陣に立て、吉田城に攻め寄せた。 本多兄弟と共に先陣に加わった弟の本多光次が、吉田城の防御陣を詳細に観察した結果、城兵の防御方法がばらばらで、戦闘意欲も旺盛とは思えず何やら効果的な防戦が出来ていない事を発見した。そこで、己の家来の戸田、小栗両名を城中に使者として遣わした。二人の使者は、城の守将小原の面前で、主に言われた通り、 「此の城を我ら岡崎勢何度も攻撃致したが、その都度堅固に防がれ堀の一つも、我らは奪えませなんだ。その武功、敵ながら天晴と、我ら称賛しており申した。然るに、駿府よりの後詰はもう期待できず、幾月もの籠城の末に兵糧は尽きかけておるはず。これ以上、互いの兵を損ずるのも詮無く、速やかに此の城を岡崎勢に開城し、再び今川、徳川両家が水魚の交わりとなる様、互いに相励みましょうぞ。」 と、丁重に諌め情を込めて説いた。 小原もよくよく考えた末に、 「家康様が旧交を忘れず、今川家と誼を復活されんとは、大慶至極なり。和睦開城の証として人質を頂戴いたさば、然る後に、開城し引き揚げ申す。引き揚げ途中、三遠国境にて人質を御放ち致す。」 と応じた。 家康はこの報せを受け、 「相分かった。人質として、わしの舎弟松平康俊と酒井忠次の娘お風を引き渡すと伝えよ。あとの首尾、万事、おぬしらに任せる故、小原に宜しく伝えよ。」 と、本多兄弟からの使者に愛想よく言い返した。 事は首尾よく進み、小原は開城後、即刻駿河に向け引き返して行った。人質も無事に三遠国境いで放され、岡崎勢もその後を追おうとはしなかった。 勲功第一の本多光次は所領を加増され、その兄弟光忠、光典、並びに光次家臣の戸田丹波、小栗渋太夫らには、各々五十貫文の領地が宛がわれた。また、家康は吉田城を酒井忠次に与え、彼を東三河の旗頭とした。家康に従属したその地の国衆、地侍らは、忠次の統率下に入る事となった。その時、忠次に下された文書に、六月二十二日の日付がある。
同月、家康は本多広高に命じて、今川家の臣朝比奈元智の守る田原城を攻めさせた。 広高は、まず梶の郷に砦を築き、そこを拠点として田原城を数日間取り囲んで敵城視察をした後、一気に攻め寄せた。広高の家来本多甚十郎が城兵の長谷川十郎三郎に一番槍を合わせた後、進撃して外郭を討ち破った。 それに呼応し、戸田忠次が先陣をきって城内に飛び込んだが、大勢の敵に取り巻かれ危うくなった所に、戸田勝則、戸田光定らが加勢し、瞬く間に、敵数十人を弓矢で射掛けて追い払った。敵兵が恐怖の色に駆られたところに付けこみ、寄せ手が一斉に城中に雪崩れ込んだので、朝比奈元智も防ぎきれずに和睦を乞うた。和議が整うや、朝比奈は即刻城より退散すると駿河へと落ちのびて行った。 同年、家康は御油の城を自ら攻めた。酒井忠次を先手に進撃し、短兵急に攻めかけた。ところが、この城は高台にある為、城兵が更に高所に昇って矢を雨の様に浴びせて来た。寄せ手の進撃が止まり、矢を盾で防ぐのが精一杯であった。そこで、家康は弓の名手内藤正成に命じて敵を射させた。正成は城の櫓に向けて二矢を射込んだ。城兵は、その矢に内藤正成の姓名を括り付けて射返し、「内藤殿、また射て寄越せ」と喚いてきた。 家康はこの様子を眺めていたが、内藤に向かって下知した。 「正成、敵に誘われ出てはならぬ。城兵共、何か企んでおるぞ。」 ところが、正成は家康の助言を聞き入れず前に進み出た。すると、盾を翳した城兵が門の脇に現れ、盾の蔭から正成に狙いを定めて射殺そうとした。正成は構わず、盾の蔭の城兵目がけて次々と矢を放った。正成の矢は敵兵が翳す盾を貫いて更に敵兵をも貫いた。何人もの敵兵が同様に射殺された。この正成の弓勢に恐怖した城兵は、あっという間に城から逃げ出すと、命からがら駿河に向けて落ちて行った。 家康は正成の弓矢の技能を目の当たりにし、大いに賞賛した、と伝わっている。 さて、家康の話が長くなり過ぎた。殊に、「三河後風土記」の現代語訳のようになってしまい、相当に小説の域を逸脱してしまった。少々反省している。ただ、無理を承知で言い訳させて貰うと、あまりに詳細で具体的な史料があると、それが事実かどうかは別にして、結果、そのままなぞってしまうような話になってしまう。反省と言うより、猛省している。今後は、もう少し小説らしく描きたい。 ここまで来て、家康のこの章だけ書き直そうかとも思ったが、この書き方は安易ではあるが風変わりな一つの物語形式にはなっていると感じたので、実は面倒なだけなのかも知れないのだが、そのままにしてしまった。ご批判は甘んじて受けるつもりだ。
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こんにちは。突然ですがどうしても教えて欲しいことがあります。
徳川の吉田城攻めで出てくる本多光次の書いてある。文献を教えてください。お願いします。
2016/6/29(水) 午後 5:20 [ あめたいさく ]