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その四 康政と入れ替わりに、側近の鳥居元忠が馬を並べてきた。 「榊原殿は、意気消沈しておりましたぞ。殿様は、少々くどうございます。若者には、伸び伸びと戦働きをさせた方が、良うござる。」 「分かっておる。だが、今度は絶対に勝たねばならぬ。わしの思う通りに戦わせてもらう。元忠も、そのつもりでわしの傍を離れるな。」 元忠は常にない家康の強い意志を感じ、それ以上は話し掛けなかった。 元忠は、その家康の態度が頼もしくもあり、寂しくもあった。主君ではあるが、竹馬の友とも思っていた。その家康が、己より遥かに遠い高みへと、いつの間にか、駆け上がっていたことを知らされた。主従二騎、蹄の音を低くして闇の中を進んで行った。その後を、騎馬と徒歩の将兵が、音も立てずに粛々と歩んで行く。 家康は、寅の刻過ぎには、徳川勢を岡山西方の姉川南岸に四段に構えて布陣させた。さっそく、先陣の酒井忠次に命じて、暁闇の中を何組もの偵察部隊を出し、朝倉勢の動静を探らせた。陽はまだ東の空から顔を出さないが、確実に空は白みかけている。陽が昇る前の山野と湿田の上を、心地よい風が吹き抜ける。 あと半刻もすれば、辺りはすっかり明るくなる。 その前に姉川を渡って「敵の動静を探りたい」と、そう思っていたのは酒井忠次の家臣、石原十度右衛門だった。従士二騎と従兵が十人ほど後に続く。従士の一騎は弟の五郎次郎である。 姉川の水深は深い所で三尺ほど、騎馬でも徒歩でも流されずに楽に渡河できた。北岸に上がると、辺りは一面の湿田であった。畦道に沿ってそろそろと馬を進めて行くと、彼方の集落は三田村であろう。その方角に向かうと、確かに人馬の蠢きが望見された。 「もう少し、先に行ってみますか。」 後ろから、弟の五郎次郎が囁くように問いかけてきた。 「否、この辺で良いだろう。お主は、もう少し下がった姉川の岸で待て。もし、我等が追われた時は、鉄砲でも放って敵を牽制してくれ。わしは、八兵衛だけを連れ、もう少し先まで見て来る。」 そう言い残すと、十度右衛門は従兵の中で一番の健脚である八兵衛だけを連れ、畦道を駆けて行った。三町余り進んだ所で、前方に何騎かの騎馬武者がこちらを窺っているのに行き当たった。 どうやら、敵の朝倉勢らしい。この辺の地理に詳しくないようで、まずは周辺の地形や目標物を確認しているようだ。湿田の深さも調べている。騎馬武者の一人が、こちらを見て何やら喚いた。 十度右衛門達は、自分たちが発見されたのに気付いた。 「八兵衛、引き上げじゃ。後ろを見ずに、川の向こう岸まで一目散に走れ。」 そう命じると、十度右衛門は携えてきた短弓に矢を継がえた。 畦道に沿って、何騎かの騎馬武者が駆けて来る。十度右衛門は先頭の武者に狙いを定めた。武者が前に突き出した手槍の先が白っぽく確認できた。さらに引き付け、よしっ、と一声上げると、弦を思いっきり引き絞り、ありったけの念を込めて矢を放った。 矢は過たずに、先頭の武者が薙いだ槍を掻い潜って胸に突き立った。騎馬武者は、そのまま二十間ほど馬を駆けさせたところで、横の深田の中へ転がり落ちた。後続の騎馬武者の突進が止まった。二騎が左右の畦道に分かれ、三方から突進する態勢を取った。 十度右衛門は馬を返すと後も振り返らず、姉川の岸へと舞い戻った。弟の五郎次郎が、二人の銃兵を身構えさせて待っていた。残りの兵は姉川を渡河している。 三方から、畦道に沿って騎馬武者が駆けて来る。その後から数人ずつ、長柄の足軽が走ってくる。朝倉勢に間違いない。 「兄者、ここは任せろ。一発ぶっ放したら、我等もすぐに逃げるわい。」 五郎次郎はそう言い放つと、自らも馬上で鉄砲を構えた。石原隊の鉄砲衆は五郎次郎が仕切っている。 「頼むぞ。」 十度右衛門はその場を五郎次郎に任せると、馬腹を蹴って姉川に飛び入った。 「与八郎は右、佐吉は左じゃ。わしが撃ったら、放て。良いな。」 五郎次郎の前で身構えた二人の銃兵が、筒先を左右に開いた。前方三十間まで敵を引き付けると、五郎次郎が鉄砲でまん中の騎馬武者を狙い撃った。続いて二発の銃声が轟いた。五郎次郎と二人の銃兵は、後も見ずに鉄砲を担いで姉川へと飛び込んだ。 五郎次郎が川に馬を乗り入れる前に確かめた様子では、まん中と右の武者は態勢を崩していたが、左の武者は馬が竿立ちになっただけで落馬はしていなかった。少なくとも、二人の武者には傷を負わせたはずだ。 五郎次郎は左右の銃兵を励ましながら姉川を渡河した。対岸で、兄の十度右衛門らが待っていてくれた。敵は川の中までは入って来なかった。北岸辺りで、こちら岸を偵察しているようだ。 岸にたどり着いた五郎次郎が威勢よく言った。 「もう二、三発、鉄砲の弾を食らわしてやるか、兄者。」 「止めとけ、止めとけ。ここからでは、まずは当たらぬ。無駄弾は止せ。」 即座にそう答えると、弟の方を見やってにやりと笑った。 対岸のあちこちで銃声がしている。酒井忠次の出した偵察隊が、何ヶ所かで朝倉勢と遭遇したらしい。 「敵も、物見を相当数放っているようじゃ。これでは、危なくて近寄れぬ。引き返すぞ。」 「敵の騎馬武者の首を取れませなんだ。まあ、物見の武者では、我等と同じで大将首とはいきませぬか。」 十度右衛門の命令に、五郎次郎が笑いながら答えた。 石原隊は無傷で物見の役目を果たすと、忠次の待つ先手の陣中へと戻って行った。 酒井忠次の放った偵察隊が、全隊帰還した。無傷で戻った隊が多かったが、中には、待ち伏せに会って手酷く損害を被った隊もあった。 「物見の報告で、朝倉勢の先陣は、朝倉一族の智将、朝倉景紀と分かったぞ。相手にとって不足は無い。皆様方、それでは持ち場に付いて下され。右翼先手は石原隊ほかの我が手勢が仕る。続いて右翼に、松平忠正殿、松平親次殿、松平伊忠殿、松平清宗殿、設楽貞通殿、西郷家員殿、奥平貞能殿、お願い致す。左翼先手は、水野忠重殿お願い致す。左翼後詰には、松平家忠殿、松平康忠殿、松平景忠殿、牧野康成殿、お願い致す。」 忠次の号礼一下、酒井隊は左右両翼に分かれて前進を開始した。 徳川勢の編成は、三河と遠江の広い範囲から、在地武士が手勢の中から半数ほどを引き抜いて引き連れて来ている。したがって、帝国陸軍で言うなら小隊規模の部隊の寄せ集めである。 忠次直属の部隊になると、石原隊の様な分隊規模の集合体になる。宿老筆頭の酒井忠次直属の兵で四百ほどだ。それを、右翼先手と後陣に分けている。 |
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延暦寺を舞台にしますか?
京を背負わせると、途端にこの国では自由闊達、夢幻が走り始めますからねぇ。
2016/3/24(木) 午後 5:45 [ zen*o*hara6* ]
> zen*o*hara6*さん
もうじき延暦寺焼き討ちが勃発しますので、その予告のためです。
2016/3/25(金) 午前 10:10 [ fuumakotarou ]